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2012年11月 2日 (金)

国宝 飛青磁花生と国宝 油滴天目茶碗〜東洋陶磁美術館

大阪は中之島。

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数年前のリニューアルですっかりおしゃれなエリアになりました。

右手に見える大阪市立東洋陶磁美術館へ昼休みを利用して。

なにせここには浅川伯教の家にあったという李朝白磁「蓮華文白磁大壺」があるような美術館なので、特別展はいつもツボなんです。

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いつもは中之島公会堂の中之島倶楽部で腹ごしらえをしていざ!なんですが、この日はちょっと気分を変えてリバーサイドのこちらのカフェでランチを。

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オープンカフェからみる美術館。


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今季の展示にはなんと国宝が2つも出ているのですよ。
大盤振る舞い!

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展示スペースは小さいながら、なかみは濃厚。

しょっぱなの重文・砧青磁にクラクラ。(フライヤーの左上)
ものすごいもの見たわ!coldsweats02


12世紀だから1000年近く前のものなのに、今窯からとりだしました、といわんばかりのつやつやのお肌。
(平清盛もこんな花生、宋から輸入していたかも)

歴代の所有者に大事に大事にされてきたのでしょう。(挽屋も仕覆も立派だし)
それだけでなく、経年変化しないくらい完成したテクニックで焼かれたということでもありましょう。


これが南宋時代の龍泉窯青磁か。
「雨過天晴」の青か。

高麗青磁の翡色とも違うセラドンブルー。


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さらに国宝の飛青磁花生のお肌もつやつや。
飛んでいる鉄釉のにじみ具合がなんとも、、、

奇跡のような美しさだなあ。
青磁の魅力は奥が深い。

この美術館で最古の青磁、北宋・汝窯の展示を見て以来、青磁の青はヴァリエーションが多くて、どれが「雨過天晴」の青だろう、といつも思っていたけれど、究極の「雨過天晴」ブルーをここで見たような気がします。


油滴天目(南宋時代)は展示室の電灯では(LEDを導入したらしいですが)どうしても黒っぽく地味にしか見えません。
これ、手にとって光をいろんな方向からあててみると、きっと宇宙青に見えるんだろうな。
(いつか静嘉堂の曜変天目を見てみたい)

それにしても本家本元中国に残っていない曜変天目(最近完品ではないものの中国の窯跡で見つかったらしい)、一体どのような技術で生み出されたのだろう、1000年近くも昔に。

思えば日本の茶人の愛した井戸茶碗は本家の韓国では出土しないし、曜変天目しかり、日本にだけある、、、というのは不思議というかおもしろい。
大陸文化の末梢の末梢ゆえに時代の流行におし流されずに蓄積されたのか、はたまた日本人独特の美意識のなせるわざか?

P1010214(なにわ橋から見るリバーサイドのオープンカフェ。気持ちよさそう)


あ〜、、、すごい物見ちゃった!happy02

2012年9月24日 (月)

人間国宝・江里佐代子の截金〜香雪美術館

このところ美術館めぐりばかりでございます。

でもあちこちであまりに魅力的な展示がおこなわれているんですもの。
行かないわけには!

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ところは阪急御影、神戸の「六麓荘」といわれる超・高級住宅地。

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朝日新聞創設者、村山香雪こと村山龍平のコレクションを収蔵する香雪美術館

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村山龍平は、藪内流茶道を修め、先日書きました住友春翠とも交流のあった、財閥数寄者のひとりです。
この美術館は、広い旧村山邸(重要文化財)の庭の一画にあります。

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美術館の応接室からちらりと見える旧村山邸。(ふだん非公開)
HPをみると近代数寄者のどなたにも遅れをとらない、数寄をつくしたすごい大邸宅のようです。

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藪内家の燕庵写しの玄庵という茶室もあります。(これも非公開)

庭園は年に何度か公開され、年に1回は玄庵で藪内流の茶会(点心は吉兆lovely)がひらかれます。
(かつて阪神間に住んでいたときに、行こうとしてチャンスを逃したことあり)

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さて、今回目的の展示はこれ。
当時最年少(56歳)で人間国宝となり、5年前62歳の若さで異国で急逝した截金(きりかね)作家、江里佐代子の作品展。


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実は截金の作品には以前から少し興味があったのですが、先日NHKの番組で、彼女の生前のドキュメントの再放送があったのです。
(『NHK工房探訪・つくる  截金 江里佐代子』 1990年9月放送)

しかもそこに写された工房はなんと!
いつもの散歩コースの謎の家、ご近所だったんですcoldsweats02
表札もない、かわったデザインのお家だな、となんとなく眺めていましたが、そのデザインが截金のモチーフだということに今やっと気づきました。
平安佛所

放送は現在行われているこの展示会にあわせた再放送のようで、これは行かずばなりますまい。


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截金は細く切った金箔、銀箔、白銀箔を筆と接着剤を用いて貼ることによって文様を表現する伝統技法。

日本では古く奈良時代から存在し、本来仏像・仏画の衣や装身具を荘厳するためのもの。


江里さんはもともと仏師である夫君(江里康慧氏)の彫った仏像を截金で荘厳する仕事をされていたのですが、そこから独自の技法、デザインを発展させて工芸品、美術品の作家となり、その技量をみとめられ人間国宝になった方。


京都迎賓館の舞台扉の截金でも有名ですね。


TVではその創作課程も見ることができましたが、まあ実に細かい細かい、しかも緻密な作業です。

まずはその金箔を切ることから、高等技術。
竹刀という竹の道具で細く太く、様々な太さに切っていくのですが、細いものは髪の毛よりほそいんじゃないかと思います。
しかもちゃんとまっすぐな、同じ幅の直線になっていなければ作品には使えません。


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(購入した絵はがきより)


これを2本の筆をあやつって貼り付けていくのですが、下絵はあってなきがごとし、勘だけで貼り付けていくのにあの幾何学的模様(少しでもずれたら総崩れ)がびし〜っとそろうのはまさに神業です。


展示は、御夫君の仏像に荘厳したもの、香合や盒子などの小物、風炉先や衝立などの大きなものまで。

截金制作工程の写真解説も興味深く、さらに竹刀で切った箔の糸を太さ別にそろえてしまっておく引き出しなどもありました。

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(パンフレットより)

まあ、どの作品もどうやって、どれだけ時間をかけて根気よく完成させたのか?と不思議におもえるくらいのすばらしいものばかりで圧倒されました。

すごい、、、、


パンフの右下の方にあるのが截金を漆でカバーする技法を用いた棗。
なにしろ棗は帛紗でふきますので、截金だけでは剥がれるのです。

そこへ漆を塗ると、最初は漆の黒っぽい色にかくれてうっすらとしか見えないのですが、なんと時が経てばたつほど漆は透明になって、下から截金が浮かび上がってくるのですって。

この棗は、赤っぽくなった漆を透かして、かなり明るく截金が見えるようになっています。
いいな〜lovely
(ちなみに漆は経年で赤く透明になるのです。これがまたいいんです。先日楽美術館の鑑賞茶会、楽さんと一閑さんの合作の暁塗りというのがありましたが、まさにこれかな)


まだまだこれから、というときに講演、取材先のフランスで脳出血で急逝されたのはほんとうに残念なことでした。


でも現在は、彼女が指導した若い世代(長女の左座朋子さんなど)が育ちつつあるようで、工芸展などで截金作品を見る機会も多々あります。

いつかは、なにかひとつ、茶会・茶事に使えるものを手に入れたいものです。

2012年9月20日 (木)

東博・秋の特別公開にて「流れ圜悟」

ここは上野の森。
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連休とあって、上野駅周辺は家族連れで賑わっていましたが、影も長くなる時間、帰る人の方が多い具合でした。


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上京の帰りに時間の許す限り、こちら東博(トーハク)こと東京博物館で。


正面の本館(重要文化財)は昭和初期の建物ですが、博物館自体は明治5年に創立された日本初の博物館。

入場料は、、、と思っていると、

ななな、なんと!
この日は敬老の日なので入場無料!(もちろん敬老年代でなくてもcoldsweats01
太っ腹!!

(しかも展示物の写真撮影もOKだなんて、、、泣かせるほど太っ腹!日本にもこんな博物館があったのね〜happy02


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本館の向かって左、明治42年、皇太子(後の大正天皇)ご成婚を祝って作られた表慶館 。
重要文化財です。
あの時代の雰囲気がよくでている感じです。

さて、展示品ですが、真剣に全部見ようとしたら、ルーブルや大英博物館みたいに泊まりがけでそれだけのために1週間はかかるのではないかしら。

残念ながら時間もあまりありませんでしたので、見る物を超しぼっての本館入館。

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重文だけあって、建物自体がまたいいのよね。
重厚で。
いくらゴージャスでも大規模でも、モダンな建物っていまいち惹かれません。


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陰翳礼賛。

今回の中で一番お気に入りのショット。

静かに座って、展示品を検索する人。


さて今回、どうしても東博へ、と思ったのはこれが出ているからなんです。


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国宝「流れ圜悟」


宋代禅林の巨匠・圜悟克勤(えんごこくごん:1063-1135)が,その法嗣の虎丘紹隆に与えた印可状の前半で、現存最古の墨蹟、さらに古来墨蹟の第一とされてきたもの。
(圜悟はかの禅の公案集「碧巌録」を編んだ人)

村田珠光が一休宗純から与えられ、床に掛けたことから茶席に墨蹟を掛けることが始まったといわれます。


なので、お茶をやっておられる方なら名前は一度はどこかで見たり聞いたりしていると思います。
、、、、のわりには名前ばかりでどんな墨蹟なのか知らない人が(私も含め)多いはず。


なぜに「流れ圜悟」といわれるかというと、昔、薩摩は坊津の浜に桐の古筒に入れられて流れ着いたという伝説があるから。
(真偽のほどは不明、でも大陸からこういう漂流物が流れ着くことは実際によくあったそうです。)

印可状の前半なら、では後半はどうなったか?
現在その存在はわかっていないそうです。

東博の説明文によると、これを半切したのは伊達政宗だということですが、これにも諸説があって、実際これを切るなどという事ができたのは、政宗の茶の師匠であり、当時天下一宗匠であった古田織部くらいしかいない、という説もあります。

半切したのは墨蹟としてちょうど良いサイズに大胆にもしたかったから、、、といわれると、あの男ならやりかねん、と思えますね。(「へうげもの」の愛読者ですのでcoldsweats01

大徳寺大仙院,堺祥雲寺伝来、のち松平不昧公の所蔵となり,その子孫である松平直亮氏(明治〜昭和)によって、東博に寄贈されたもの。

で、、、、さっぱり読めません。

一応活字にしたものが添えられているのですが、こんなむつかしい漢文、だれも読めないよ〜。

読めないけれど、この墨蹟の背負ってきた歴史、経てきた人の手、、、を思えば、相対して感慨いと深し、の思いです。


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他にもかの有名な(教科書に載っている)一休和尚像、佐竹本三十六歌仙断簡うち壬生忠峯、高野切、寸少庵色紙などの展示も見ました。

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(芦屋釜)

あとは時間が許す限り、茶道具を中心に見て回り、、、


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(彫三島)

心から満足して、上野の駅をあとにしたのでありました。


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(景徳鎮・青花魚藻文壺)

2012年9月16日 (日)

住友コレクションの茶道具・住友春翠〜泉屋博古館

唯一お茶関係の洛中の美術館で未到だったのが、実は一番我が家から近い鹿ヶ谷の泉屋博古館でした。

住友家歴代、とりわけ住友春翠のコレクションがその多くをしめており、彼のコレクションのメインは中国古銅器なので、なんとなくスルーしてたんです。

でも、今季の展示が「茶道具」となれば行かねばなりますまい。

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さすが、住友さん、潤沢に土地を使って、広々と開放的なエントランスです。


春翠は清華家(摂関家に次ぐ公家の階級)、徳大寺家の生まれで、今の清風荘(西園寺公望の別邸で京大に寄付された)あたりにあった徳大寺家別邸で産声をあげたとか。

実兄が西園寺家に入った公望公。
春翠は住友家へ入り、家長として事業を発展させた実業家。

本名が友純さんで、これは「ともいと」さんと読みます。(いやあ、お公家はんらしいわぁ。)


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実は徳大寺家の(かなり)末裔の方を存じ上げていて(普通の人で普通に生活してはります)、春翠さんにもなんとなく親しみをおぼえてしまいます。(おそれおおくも)


彼の青銅器のコレクションは有名で、常設展でみることができますが、実は茶の湯にも造詣が深く、茶道具のコレクションもすばらしいのです。


父上の徳大寺公純(きんいと)さんは玄々斎に茶の湯を習っていたそうですし、春翠も当時の財閥数寄者と茶の湯を通じた深い交流があったのです。
その交流録には、近くの野村美術館の野村得庵や高橋箒庵、三井泰山などの財界の巨人の名前がずらずらと。

(今回、こちらの展示にいくと、野村美術館の割引券がもらえます。11月10日には野村の谷晃先生の講演会もこちらでおこなわれます)


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そういえば大阪市立美術館に隣接して公開されている慶沢園は春翠の別邸。(まだはいったことありませんbearing
小川治兵衛の作庭で、長生庵と名付けられた茶室があり、ここで春翠は茶会を楽しんだそうです。
のちに住吉へ居を移すに際して、美術館建設を条件として、辺り一帯の茶臼山とこの慶沢園を大阪市に寄付しました。
太っ腹!

あの大阪市立美術館はそうやってできたのか。
しらなかったなあ、、、


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東山を借景とした広々とした中庭をはさんで、常設展示場と特別企画展示場が別れています。

春翠に興味をもって調べてみたら、いろいろおもしろかったので、肝心の展示物そっちのけで、つい彼のことばかりになってしまいました。

彼の茶道具コレクションは渋いです。ハイレベルです。
中国青銅器コレクションをしているだけに、唐物の名品がずらっとならびます。
高麗茶碗もすごいです。

へたに私の感想をのせるよりは、是非ご自分の目でご覧になったほうがいいです。

でもちょっといわせてもらうなら、、、、

*高麗小井戸茶碗「六地蔵」 高台だけでなく胴から腰にかけての梅花皮がすごい
*  同    「筑波山」 「六地蔵につぐ名品なり」の箱書付。枯れた感じがこれまたすごい
*紅葉呉器  これがいわゆる紅葉色の「紅葉呉器」かあ
*唐物鶴の子茶入「漱芳」 すごく小さくてかわいらしい茶入 つやつやしてなんだかおいしそう(?)
*砂張舟形釣花入「松本船」 おおぶりの舟花入 すごい貫禄 広間じゃないと似合わないかも
       村田珠光の弟子が所持していたものだそう
*古天明日の丸釜「時津風」 桃山時代の釜 釜肌にぽつぽつあいた虫食いが時代を感じさせてよいです

そのほか寒雉、与次郎、仁清、定家、伝西行、長谷川久蔵(等伯の夭折した息子)、松平不昧、片桐石州、、、ビッグネームが目白押し。


最後に春翠自ら削った茶杓が数本。
その姿は細く華奢でいかにもお公家さん風にやさしい。
茶杓には削った人の人柄がでるというし、写真を見ると細面のやさしそうなお顔。
実業家として辣腕をふるったので、やさしいばかりではなかったでしょうが、その人柄にふと思いをはせたのでありました。


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2012年8月 2日 (木)

祇園祭月雑記2012

<その1> 河原町〜柳小路

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祇園祭神幸祭〜還幸祭の1週間、八坂神社の神輿が鎮座しておられた御旅所、今ではもとどおり四条センター(京土産センター)に。なんだか不思議。

実はSOUSOU・しつらいさんで、今月の創作和菓子とテキスタイル絵はがきをチェックしにいったのですがね、満席で入れず。
(やはり週末いくもんでないdespair

SOUSOUのある花遊小路からぶらぶらしていると、こんな京情緒(陳腐な言葉?)あふれる小路を発見。

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狭い小路の両側に町家がずらっとならんで、おしゃれな小店が、、、

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石積み、ナグリっぽい木、アートな漆喰、、、、
これってオリジナル?新しいもの?

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八兵衛明神?


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ふりかえってみる。
う〜ん、良い感じ。
若干観光客向けという感じだが。

通り抜けてみると、、、

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おお、ここが最近うわさの柳小路だったのか。

この小路は昔からあって、かつては飲み屋さんがたくさんあったらしいのですが、一時荒廃無人化したのを再生、若い人たちがお店をはじめてまた名所になったとか。
大阪・中崎町にも通じるようなはなしです。

ちなみに八兵衛明神、明治はじめにできた由緒正しい(!)神さんで、祀られているのは実は狸さんなんですって。

<その2> 亀仙工房

(亀仙人ちがうよcoldsweats01

ご愛用の東山三条・古川町商店街。
ここでお買い物の後脇道にはずれたところにこんな看板発見。


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これは?


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「亀仙工房」と書かれた町家をのぞくと、玄関の間になんだかユニークな焼き物(主に磁器)に手ぬぐいが並べられています。

奥からでてきはったおぢさん、(あ、亀仙人、、、というのは冗談)この器を焼いている方でした。

いつもこのあたりは通るのになぜ気づかなかったのかというと、土日しかオープンしてないんです。
ふだんは高雄あたりの窯で仕事してはるんですって。(亀仙工房のHP

青染め付けの絵付けが多いのですが、題材は古典が多いのに、どこかユニークでなんだかあたたかい。

手ぬぐいの方は息子さんの臈纈染めとか。
どれもこれぞ手ぬぐい!ってかんじで、お値段も実用にバシバシ使えそうな設定。

お店の芳名録をみてみると、なんと遠方の方ばかり。
もしかしてかくれた有名店?

普段使いのカップと手ぬぐいをもとめて三条通にでてみると、、、


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あ、ここにも看板出てた。


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カップの裏には亀仙(人、、ではない←しつこい)


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いいでしょ〜?このカップ。
網にかかった双魚の図。(裏にもう1匹)


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ハンカチは使わず、手ぬぐいを愛用している私としては、こういう手ぬぐいがありがたいの。


<その3> 岡崎・ヒペリカムで氷


岡崎通りのカフェヒペリカムさん、カフェだけれど和菓子がでるのでお気に入り。


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ここはもともと普通のお家だったと思うが、あまり記憶にない。
中は居心地の良い大きなテーブルもあって、くつろげます。

あんまりあついので、注文はとりあえず抹茶氷!

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抹茶氷だからお抹茶茶碗ででてくるあたり、エスプリがきいてるわ。
それに追加の蜜もついてくるのがうれしい。

すっかり暑いのも忘れました。


<その4> 家ねこになりまし展

神宮道を通っていて、この文字を見て素通りできなかった私。

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ぎゃらりーあーとぺーじ唯心さんにて。


大阪でアート系のお仕事をしている笹岡MEATさんが、ひょんなことで別々に保護した子猫を家猫にした顛末とその子猫の写真の展示。


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子猫ちゃんはイザヤちゃんとこてっちゃん(いずれも♀よ)。

方や公園でひろわれ、方や動物病院で「この柄このみやないから、ひろったけれど公園にかえしにいくわ」とのたまわった(地獄に落ちろ!クソ)ばばあ(あら、暴言失礼あそばせ)に結果としておしつけられた、決してシアワセな出自でない子猫たち。


猫風邪で片目を失明しながらも、生きようという力を失わなかったけなげなかわゆい子猫たち。
今がしあわせなのは、写真をみただけでよくわかるよ。
どうか、世界中のけなげな猫たちがみんなしあわせな猫生をおくれますように。


<その5> 灰型と花と

今年こそは湿し灰を作ろうと、、、、したけれど、意気込みだけで挫折。coldsweats01
お日さまの力は十分なんだけれど、日程的にやや困難。(と、いいわけしておこう)


でも灰型のお稽古はちゃんとしてるの。

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二文字押し切り。
まあ、粗いけれど、かなり作るスピードはアップしたかな。


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遠山。
山の形に個性がでますね。
私の場合、吉田山がモデル(ウソ)


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ちょっと遊んでみた。happy02

さて、玄関にいままでずっと備前の壺をおいていたのだが。

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(写真は冬のもの)
ちょっと暑苦しいような気がしたので、鵜籠をもとめて置いてみた。


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小菊をいれてみる。
うん、まあまあだな。

あと矢筈薄などあればいいのだが。

2012年6月15日 (金)

映画「道~白磁の人」〜浅川 巧の生涯

こういう映画が日韓共同で、いや日本人の監督のもとで作られる時代になったのだ、と感慨深い。
特に韓国併合下の三・一独立運動の日韓両国人の軋轢の場面。

今の若い人たちは信じられないかもしれないが、私たちがまだ子供の時は「朝鮮人」ということばには、とても微妙なニュアンスがあったのだ。
つい最近まで、朝鮮の民族服はしっていても、どんな家に住み、どんな食事をし、どんな生活を普通の人たちはしているのか、朝鮮(主に韓国)の文化や伝統、それらについてはほとんどしらなかった。
また知る機会もなかったのだ。

思えば韓流ブームにのったおばさんパワーが、そのベルリンの壁のごとき高い垣根を圧倒的な破壊力でぶちこわした、、、ような気がする。
おそるべし!決しておばさん(含む・私)を軽んじてはいけないよ、男性諸君、若者達。

あら、すっかり脱線してしまいましたねcoldsweats01

以前からこのブログで再三取り上げて、高麗美術館学芸員の山本さんの公開記念講演会まで聴きにいった映画がついに公開されました。

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映画公式HP

浅川巧については、是非彼の存在を知ってほしいし、どんな人なのかわからなければこの記事を読んでもわからないと思いますので、参考までに過去記事をあげておきます。

出会い東洋陶磁美術館

今回は映画のおはなし。

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原作は江宮隆之さんの本、「白磁の人」。


映画では、日韓関係に今も暗い影をおとす韓国併合の時代に、林業試験場(京城:ソウル)の林業技師、李青林(イ・チョンリム)と浅川巧の民族の垣根を越えた十数年にわたる友情の物語を縦軸に展開。
青林は原作ではそれほどでてこないし、巧の朝鮮人界での人脈は貴賤をとわずすごく広かったので、ここでは青林が朝鮮人代表、といったところか。
(映画はやはり、物語として完結しないといけないのでね。)

巧と青林は朝鮮の山々を歩き、伐採ですっかり土の露出した山を緑にかえそう、と研究に励む。
朝鮮には朝鮮の木を。

ところが朝鮮五葉松はなかなか発芽してくれない。
苦労の末、巧が発見したのは「露天埋蔵法」という実は単純だが、だれも気づかなかった方法。
二人は木を植える。
朝鮮の山に。
最初に発芽した記念の小さな苗は、青林の長男の誕生記念に青林の家の片隅に。

当時の京城の建物や風俗を垣間見ることができたのは興味深い。

高麗美術館の山本さんは柳宗悦の扱いが小さすぎる、といっておられたが、私はむしろお兄さんの浅川伯教(のりたか)さんの出番が少ないのが残念。
朝鮮の陶磁器の研究においては右に出るもののない人だったのに。

伯教さんの京城のお家には、かの有名な、安宅コレクション(現・東洋陶磁美術館)の目玉、「辰砂蓮華紋壺(参考:↓)」があったぁ〜!

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これも小道具さんの苦労のたまものなのだろうけれど、惜しむらくはぴかぴかすぎ。
そしてどう見ても白磁ではなくて、磁器に見えるcoldsweats01


巧を好演したのは吉川 悠さんという俳優さん。

前にも書いたけれど、巧のイメージより、すこし生真面目すぎるかな。
もっとお茶目なところもある人だったのではないかと思うので。

この方、どこかで見た顔、、と思ったら、大河「平清盛」でのちに鹿ヶ谷の陰謀で清盛を裏切りまくる藤原成親をやってらしたのね。
清盛といえば、保元の乱で勝ち組になった悪人ヅラの藤原忠通をやった堀部圭亮さんが、朝鮮人をいじめまくる日本軍人をやってた!

さらにあの柳宗悦を、最近話題になってた塩谷瞬さんがやってたのにはひっくりかえるcoldsweats02

巧の親友であり、義兄でもあった朝田政蔵を亀治郎改め猿之助さんがやっていたのもよかった。

青林を演じたのは韓国の俳優ペ・スビンさん。
祖国独立への思いと、巧への友情に板挟みになる役どころにぴったり。

青林の友人の葬列で、泣き叫ぶ家族を見て、(朝鮮には葬儀のときの泣き女という職業がある)
「朝鮮人は葬式だからって、あんなに泣いてみっともないねえ。」
といった手塚理美演じる浅川兄弟の母親。

後日、若くしてなくなった巧の葬列に母は無表情で連なっていたが、ふと列をはなれ物陰で号泣する。
印象深いシーン。

巧は今も韓国の土に眠る。
墓碑「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に 生きた日本人、ここ韓国の土となる」。

映画は最後に、二人で植えた記念すべき最初の発芽苗が大きな朝鮮五葉松となり、現代的なビルのたちならぶソウルの町にすっくと立つ姿をうつしだす。

この映画制作のプロジェクトは、浅川兄弟のふるさと、山梨県北巨摩郡(現・北杜市)の有志を中心にたちあげられたそうで、途中なんども中断しかけたとか。
有志のあつき思いで、完成されたことに拍手を。

エンドロールにもご注目を。
浅川兄弟、柳宗悦らの白磁のコレクション、有名なのがいくつも写真ででています!
(青花草花文面取壺:柳と伯教を結びつけ、民藝運動への目を開かせた一品など)

(参考)

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ふと、映画のコピー、「明日、世界が滅びるとしても、今日、彼らは木を植える。」の意味が解釈できたような気がする。

文字通り、彼らは朝鮮の山々を緑にするために木を植えた。
けれど、このコピーはこのセリフのことを意味していたのではないかと思う。

「日本人と朝鮮人が理解し合えるなんて、見果てぬ夢だろうか。」(巧)
「夢であったとしても、それに向かって行動することに意味があるのではないですか。」(青林)

2012年5月 6日 (日)

王朝文化の華〜陽明文庫名宝展

京都国立博物館にて、開催中の陽明文庫名宝展です。

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このポスターの豪華絢爛さを期待していきましたが、ななな〜んと、展示の7〜8割くらいが古文書でありました。

その方面の研究者に資料閲覧の便をはかっているだけあって、そういう方々にはおもしろくてたまらん、、だろうと思います。
しかしその方面のしろうとにはね〜、、、catfaceと思っていたのですがすごくたくさんの方々が熱心にごらんになっていました。

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陽明文庫は、ご周知の通り、近衛文麿が戦前に宇多野に創立したもので、近衛家伝来の古文書、典籍、記録、日記、書状、古美術品などおびただしい史料を保管している施設です。

その近衛家といえば、藤原摂関家の長、(つい、いつもこの話になるが)大河ドラマですっかり悪役ぶりが板に付いた山本耕史さん扮する藤原頼長と仲のわるい兄、保元の乱勝ち組の藤原忠通の長男、基実を初代とする名家中の名家。(ああ、冗漫な説明、、、)

禁中の近衛府が陽明門の近くにあったことから陽明文庫と名付けたようです。

なかでもスター級のお宝といえばやはり忠通の5代前、藤原道長の日記、国宝「御堂関白記」。
自筆本十四巻、古写本十二巻、うち自筆本が全巻見られるのはすごいです。(前期後期通じれば)

特に紫式部日記などでおなじみの中宮彰子の出産のあたりの記録は興味深く見る。

中宮彰子に陣痛が来て、無事生まれるよう僧侶や陰陽師に祈祷をさせた云々。
素直に我が娘の出産の無事を祈る気持ちはあったでしょうが、それだけでなく、この出産には道長一門の命運がかかっていたわけで、そういうことを考えながらその筆の呼吸をみるのはわくわくします。


その他、御宸翰だらけの「大手鑑」。
江戸時代中期の21代近衞 家熈(予楽院)が蒐集した古今の名筆を貼り交ぜたもの。(国宝)

美しいなあと思ったのは、和漢朗詠集をとりどりの料紙に書いた「倭漢抄」。(国宝)
特に仮名の美しさはたとえ読めない私でもわかります。
文字までも美術品にしてしまう文化って日本の他にあるのでしょうか。


そしてお茶を嗜む物としてこれだけは!と思っていたのが予楽院遺愛の茶杓箪笥。
天皇御自作のものから、利休、紹鷗、光悦、織部、宗旦、金森宗和、細川幽斎・三斎、、、、作の31の茶杓がおさめられている小箪笥。
1本でも垂涎なのに、こんなに、こんなに、、、
予楽院さんは茶人としてもすごい人だったようです。

それから香道の道具(蒔絵がふんだんにほどこされたもの)がとてもすてきなのでお見逃しなく。

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博物館のお庭ではツツジが見頃を迎えています。

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さて、あまりの仮名の美しさに、少しでも読めるようになりたい、意味を解せるようになりたいと、(まあ、前々から思いつつなにもしてこなかったんですがね)、ちょうどみやこメッセでゴールデンウィーク恒例の古本市をやっていたこともあり、こんな本をゲット。
まあ、どこまで活用できるかは疑問ですけれどcoldsweats01

2012年3月29日 (木)

映画「道〜白磁の人」公開記念講演会

2年前の夏、高麗美術館になにげなくでかけて、そこで浅川兄弟と初めて運命的な(と、個人的には思っている)出会いをしました。

日本統治下の朝鮮に暮らして、当時の人だれからも見向きもされなかった朝鮮白磁の美しさにうたれ、その研究に朝鮮全土を歩き研究に生涯をささげた兄・伯教(のりたか)。朝鮮の服を着て、朝鮮人と同じ暮らしをし、朝鮮人に一番愛された日本人といわれ、朝鮮人に惜しまれながら夭折、朝鮮の土となった弟・巧。

彼らについては関連書籍も含め、かなり力をいれて一文をものしたので、ちょっとだけ抜粋。

    *     *     *


巧は流暢に朝鮮語を話し、いつもチョゴリ・パジ(民族服)をきてマッコリを飲みソルロンタンをたべ、多くの朝鮮人の友人がいた。彼のわずかな給料は、貧しい家の子供の学費や、生活に困っている家の生活費として消えていったという。

人間的あたたかさ、やさしさ、おもいやりの心をもった、どこか茫洋としたこの青年を、朝鮮の人々は愛したという。

彼の家に遊びにきた朝鮮人の娼婦が同じく朝鮮人の警官とけんかになり、それを尼さんがなだめる、、、という場面もあったそうで、彼の交際は身分など関係のないものだったことをしのばせる。

今の時代でいうと、どうということもないと思えるかもしれないが、かの時代、軍人が電車で座っている朝鮮人の老人をたたせて席を横取りする、ということが平気で行われていた時代の話なのだ。

しかもあまりに流暢に朝鮮語を話し、どこからみても現地の人に見えた巧は、ときに日本軍人に理不尽なしうちをうけたそうだが、決して「私は日本人だ。」と言わなかったそうだ。朝鮮人がそういうときにするように、何も言わずそっとその場を立ち去った、という。

声高に、日本の朝鮮支配を批判したわけでもなく、政治とは無縁の人だった。
ただ、ただ、朝鮮を愛し、その失われてゆく文化、芸術を惜しみ、そして朝鮮に愛された日本人だったのだ。


    *     *     *


出会ってからは、彼らに関する本を読みあさり、東洋陶磁美術館で浅川兄弟〜白磁は二人を忘れない展が来たときにはうれしくて、また会いにでかけたものです。

私は弟、巧の生き方自身にとても惹かれます。
私の敬愛する宮沢賢治と、その生き方はどこか似ていて、しかも40才前に夭折したところもどこか似ていて。

彼の生涯を伝記風に書いた本「白磁の人」の映画化の話があることは知っていました。
それがついに完成、この6月ロードショーなんですって!

それを記念して、公開前に高麗美術館(浅川兄弟の業績をもっと広めるべく、講演会など多数おこなわれています)学芸員、山本俊介さんのトークショーがあると聞きつけ、行きましたっ!

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場所は初めて行くJR京都駅南のイオンモール。(でかっ!)

この中のシネコンT・JOY京都で。


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映画のタイトルは「道ー白磁の人」。
トレーラーをみせてもらいました。

もちろん巧さんには会ったこともないのですが、私の中でこういう人だろうな、、というイメージがなんとなくあって、巧役の俳優さんはちょっと私のイメージとはちがうなあ。
誠実で真面目そうなところはイメージどおりだけれど、実際の彼はお堅い人じゃなくて、もっとユーモアのセンスにあふれた、というか茶目っ気のある人だったんじゃないかな。

それでも当時の朝鮮の風俗など忠実に再現されていて、本編をみるのがとても楽しみです。

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トークショーにどれほどの方が参加されるのかな、と思っていましたら意外とたくさんの方が。
(ほとんど私より年上、、、coldsweats01

若い方にも是非みてほしいものです。
当時の日本統治下の朝鮮の歴史も知った上で。


山本さん曰く、映画では柳宗悦の扱いが小さいのがちょっと残念、と言っておられました。

兄弟の業績は、当時の著名な思想家、哲学者、宗教家、文筆家であった彼なしでは、確かにここまで知られなかったでしょう。

思えば、伯教が初対面の手土産に持参した白磁の壺がなければ、民藝も生まれなかったし、朝鮮民族美術館(当時)の厖大なコレクションも生まれなかった。当時の朝鮮人が捨ててしまっていたその工芸の美しさも歴史の中に埋もれてしまっていたかもしれない。

そのシンボルというべき青花草花文面取壺、柳 宗悦展でも、また見て(実は数回見ているの)、その運命的な出会いに思いをはせたのであります。

高麗美術館では2年前に「浅川巧日記」を歩く、と題したツアーを企画されていたそうです。
巧が勤務した京城(ソウル)の林業試験場、住まいした清涼里、朝鮮白磁のふるさと広州分院里、そして彼が眠る忘憂里(マンウーリ)墓地を巡る旅。

とくに忘憂里の彼のお墓には是非お参りしたいなあ、、と思っているのですが、なかなか気軽に行ける場所ではないのです。
こういうツアーがあるなら是非参加したい(仕事うっちゃっても)!と思っていましたら、今年また企画されるようです。
ああ、これは是非いかなければ!


    *     *     *

<映画HP>
こちら


2011年9月24日 (土)

北村武資「織」を極める〜京都国立近代美術館

薄物の織物に「羅」というものがあるのは知っていました。
でもどんな織物なのかといわれると、漠然としたイメージしかなかったのです。


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紗のほうは着物にもよく使われますし、織り方もまあ粗めの格子状と考えればいいので、なじみがあるのですが。

羅は古代中国ですでに織られており、日本に伝来後は主に貴族の冠などに使われていたそうです。
ところが京都人のいう「さきの戦争=応仁の乱」coldsweats01で、その技術伝承はとだえ、その後散逸してしまったのだそうです。


その古代の織りともいえる羅を研究し現代に復活させたのが、ただいま岡崎の国立近代美術館で展覧会開催中の北村武資さんなのです。
それによって、かれは「羅」の人間国宝になられました。

羅の織り方のイメージはいうなればストッキングの織り方に似ているかもしれません。

自分のイメージではもっと粗い目の織物だったのですが、この展示をみてその認識を改めました。

もう、、、なんというか、天女の羽衣?

それこそストッキング並の目の細かさ、多分手に触れても重さを感じないのではないかと思うくらい。

しかも彼の織る織物は「文羅」といって、その細かいなかにも繊細な紋様を織り出しているのです。

その透き通る軽さが身上なだけに、展示にもそれが感じられるような工夫がされています。

下から光をあてる、天井から吊して、微風にゆらゆらさせる、など。

もうため息がこぼれます。
美しい羅の林の中を逍遙している気分。
(上記の北村武資のリンクから、会場風景がみられますので、是非のぞいてください)

その細かい文羅の一部を雰囲気だけでも、フライヤーの拡大でご覧下さい。


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展示の中にはこの羅で仕立てた塵よけなどがありましたが、こんなのとてももったいなくて、塵よけの上にもう一枚塵よけでカバーしたくなりますわねえ。

一度羽織って、その軽さ、涼しさを体験したいものです。

それにしてもどれだけの手間がかかっているのでしょう、この文羅一反を織るのに、、、

さらに、北村さんは羅だけでなく、「経錦(たてにしき)」という織物でも人間国宝なのです。

これは羅とは対照的にみっちり織られた織物です。

イメージとしては古帛紗や仕覆の裂地のような感じでしょうか。

これも古代からの織物で、正倉院につたわる織物に見ることができます。

数種類の色糸を縦糸として、そのうちの1本だけを表に織り出し、縦糸で紋様を織るのだそうです。このとき他の色は裏にまわるため裏も色違いのきれいな紋様になります。

これは技術的にむつかしく、縦糸の色数も制限されるので、現在ではほとんどの織物が緯錦(よこにしき:横糸で模様を織り出す)。


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これはフライヤーではうまく表現できませんね。

本物を見たイメージは、源氏物語の姫君たちが一番上にお召しになっていた唐衣、、、でしょうか。

これまた羅とちがった、気の遠くなるような作業です。
それがため息ものの美しさで、、、。

こんなすばらしい着物、帯、どんな方がお召しになるのでしょう。

これだけ手間がかかり、高度な技術が駆使されているのですから、その価値はよくわかりますし、お値段も上がっていくのは当然のことでしょう。
ただ、庶民の手にはちょっと届きそうもない。

思えばこのような織物を古来身につけていたのは支配者階級、富裕層でありましたね。
そういう層がうすくなっていく日本に、この先需要が確保できるのか、老婆心ながら心配したりして。
(庶民階級に心配してもらわんでもいいって?coldsweats01

ああ、でもすてきlovely


2011年7月 3日 (日)

京都市立美術館〜フェルメールからのラブレター展

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京都市立美術館にて先月末からはじまったフェルメール。

今回は3枚が来日です。

はるばるオランダ、USA、アイルランドから。


その寡作(30〜36作といわれる)がゆえに一時忘れ去られ、再発見後はまたもや寡作ゆえ、評価の高いフェルメール。

人気ゆえ、何回も盗難にあい、いまだ見つかっていない作品もあるのです。

まさに17世紀のオランダ絵画黄金時代の頂点にたつ、といっても過言ではありません。


10月までの会期とはいえ、終盤近くなると行列ができるのは目に見えているので、始まるとほぼ同時に行くのが賢いでしょう。


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チケットブースも特別に設けられ、行列ができても良いようにロープが張られています。
市立美術館のフェルメールにかける意気込みが伝わります。

そういえば、2000年、大阪市立美術館にきた「真珠の耳飾の少女」の絵は、厖大な収入を美術館にもたらし、ひいては天王寺公園の青空カラオケ撤退、遊歩道の整備をもたらしたものです。

いまでもその歩道は「フェルメールの小径」と呼ばれているんです。

私もみましたよ、並んで。
どんなレプリカでもまねができない、、、と思ったのはその肌の色の美しさでした。
(「真珠の耳飾の少女」は映画にもなりましたね。スカーレット・ヨハンソンの「少女」への、のりうつりかげんは驚嘆でした。)


作品はヨーロッパとアメリカ東海岸に主にちらばっていて、これを全部見に行くために巡礼旅行する人もいるそうです。
私も何枚かはヨーロッパで見ました。今回の「手紙を読む青衣の女」も見た記憶があります。
(アムステルダム国立美術館)

この絵は最近修復され、修復後の初公開だそうです。

フェルメールブルーといわれる青の衣。

ラピスラズリという石からつくられる高価な絵の具によるものだそうで、これがふんだんに使えた、ということは画家が裕福な環境にあった、と推測されるそうです。
実際、フェルメールの一生は謎が多くわからないことも多いそうです。

手紙を読む女、のテーマではもう一つの黄色い上着を着た窓辺で手紙を読む女の方がポピュラーかもしれない。
こちらはドレスデンにあるそうな。

このモデルと「手紙を書く女」のモデルは同じように見えますね。
フェルメールは一連の、これも印象的な黄色の毛皮付きガウンをきた女性の絵をたくさん残していますが、みんな同じモデルだったのかしら。

またフェルメールといえば、一方に窓があり、そこから差し込む光の中の情景を描いた絵、という印象ですが、これは当時のオランダ絵画のブームだったようです。

同時代の画家の絵をみていると、彼に限らず似たような構図の絵がたくさんあるのです。

同時代の画家の中ではヤン・ステーンがいいですね。
当時の庶民の暮らしが、生き生きと目の前で息づいているような絵が特徴。

また、何点かの絵画のなかに、日本のキモノに似せたガウンが描かれており、出島のオランダ商館を通じてオランダ人が感じた当時(江戸時代)の日本を垣間見ることができ、おもしろいと思いました。
そういえば、日本人が描いた南蛮人の絵、、、、というのはその逆バージョンなんですねえ。
う〜む、おもしろいhappy02

会期は長いので、もう一度みにこようかな。


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さて、帰りはここの横を通って、、、、、

この京都会館、前川國男氏の名建築で、岡崎の、東山麓の、景色に自然になじんで長い間とけこんでいるのですが、これを壊して、景観条例を無視した高さの新しいオペラハウスをたてる計画を京都市は画策しています。
なんとオロカナ、、、、と私は思います。

京都に東京の手法を持ち込んでは100年後に悔いを残すだろうと。

まあ、この話はここではこれくらいにしておきます。

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たちよったのは学生の時からおなじみラ・ヴァチュール


昔は半分がギャラリーになっていて、アート系の学生がよくたむろしていた印象なのですが、数年前改築され、すっかり昔の面影はなくなっていました。
表にでていたシンボルのアンティーク乳母車(ヴァチュール)もなくなっていましたし。

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それでもなんだか懐かしい、南フランスの田舎のカフェ(行ったことないけど、、、coldsweats01)みたいな雰囲気はおしゃれです。


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学生の時、既にあったかどうか不明ですが、ここの名物タルト・タタン。
たっぷりの焼きリンゴがとってもおいしかったですわ。