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まじめな話 Feed

2009年2月 9日 (月)

節分に豆まきしない保育園

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うちの梅は遅くて、やっと蕾がほどけてきた感じです。まもなく開花するでしょう。

忙しいです。

ここ数年で一番。

でも、これは京都へ移住するための第一歩なので、がんばらないといけません。


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   cat「手、かそうか?」

いいです。遠慮しときます。

あんたの手、借りてもね〜、、、、、


話は変わるのですが、先日のお茶のお稽古の時、時節柄節分、豆まき、という話題に。

ところが、大阪府下の某市の市立保育園で働いておられる若いお弟子さんが、自分とこの保育園では園児たちは豆まきをしない、とのこと。

ええ〜?なんで〜?とみんなびっくり。

幼稚園、小学校低学年では定番の行事でしょう。鬼のお面、作りましたよ〜。

なんと、「鬼は外」は差別・いじめを助長する言葉だから、、、市立の保育園、幼稚園ではしないように指導されるそうなのです。

(ちなみに私立はこの限りにあらず)


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橋本大阪府知事のセリフではありませんが、

    「バカですね〜!!」

ところが、話は節分だけでなく、五月の鯉のぼりもだめなんだそうです。

上から真鯉・緋鯉・子供の鯉の順番が男尊女卑をあらわすものだとして。

ふたたび

    「バカですね〜!!」

さらにクリスマスも特定の宗教に偏ってる、という理由でツリーはだめ、とか。

いったい何なら許されるの?とききたくなります。

お雛様はかろうじて飾ってもOKらしいですが、この論理で行くと男雛が位の高い左側(向かって右)なのも、お内裏様より下に家来たちがいるのも、衣装に差があるのも、男尊女卑、身分差別、、、ということまでいいだしかねません。

子供たちが小学校の時、等級をつけてはいけない、ということで運動会では一等賞はつくらせず、親が居ない家庭の子がかわいそうだからと、お弁当は親と一緒でなく、教室で食べる、、、などおかしな「平等教育」に頭をかしげたものでしたが、
保育園、幼稚園までこうだとは!

学校で平等、平等、劣等感をもたないように、もたないように、と現実から目をそらして守られても、実際の社会に出たらいっぺんに、そういう確実にある、いろんな意味での差別や遠慮ない他人の指摘にさらされるのはまちがいないのに。

そういう社会へ抵抗力のないままほうりだすほうが罪だと、思うのだけれど。

掲げた理想はわかります。

でもそれが波風たたせないで無事通過させるためだけに機能するように変質してるのではないかと疑ってしまいます。

ここで教育論をぶつ資格なんぞ、私にはありませんが、むしろ一筋縄ではいかない人生というものの手ざわりを、幼い頃から体感して、そういうときに自分はどう対処したらいいのか、どういう大人や友達が頼って良い相手なのか、学ぶべきだと思うのですが。

豆まきもクリスマスツリーも鯉のぼりも知らないで、季節の微妙な気配にも鈍感な子供たちが増えないことを祈るばかりですわ。


お口直しに我が家の庭の微妙な季節の気配をお届け、、、


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昨年の花のこぼれ種から芽が出たネモフィラ

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こっそりうつむいて葉の陰に蕾をつけていたクリスマスローズ

そして、この季節にこんな大輪のバラにであうとは!
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2008年11月 7日 (金)

宙を編む手

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(兼六園 源氏香蹲居)

ちょっとうたた寝をしている間に、仕事の夢を見た。

いまは半分リタイヤ気分だけれど、30代、40代、一番責任も重く、気力も体力も充実していたとき、繰り返ししてきた仕事の光景を見、自分の手の動きを見た。

まあ、いまだ完全リタイヤではないのだけれど、おそらく人生で一番いそがしくて、しんどくて、でもそれが報われた時期のことを体が、心の底の底がおぼえてるんだろう。

その時にふともう30年ちかく前のある情景が目に浮かんだ。

その人は癌の末期で病院のベッドに寝ていた。


食事はもうのどを通らず、ベッドをはなれることもかなわず、悪液質が頭までまわって、時々譫妄におちいったりもしていた。

家族ともおりあいが悪いらしく、たった一人の息子も嫁もあまり顔をださない。

病床でひとりの長い時間をどういう気持ちで過ごしていたのだろうか。

ある日病室に入ったとき、その人の痩せた細い腕が宙でうごいているのを見た。

仰向けで、腕を上に突き上げて、、、、

あ、これは編み物をしているんだ!

と、瞬間気づいた。

若い頃編み物が得意だった、編み物で生計を助けた、と話を聞いていたから。

人の気配にその手はすぐ、ふとんの中にしまいこまれたけれど。

その時私はまだ20代で若く、苦労というほどの苦労を知らなかったので、それきりだったのだけれど、なぜかあの宙を編んでいた手の情景だけは忘れられなかった。

その人はしばらくして亡くなった。かろうじてやってきた息子夫婦だけに看取られて。

なんだか寂しい亡くなり方だったように思う。

この年になって、思う。

あれはあの人の一番忙しくて、でも幸せだった時代を体が思い出していたのではないだろうかと。

人生を一本の直線にたとえると「今」は中間点を越えて、終点に近くなっているのは確か。

だから時々考える。

自分の死に様はどうなんだろう。

死期が近づいたとき、一番幸せだった頃のことを振り返るとしたら、どの時代なんだろう。

くりかえしくりかえし、心も体もその時代をなつかしむだろうか。

死ぬときに自分をかこんでくれる愛する者ははたして、どれだけいてくれるだろう。

と。

2007年3月30日 (金)

がんばれ!安藤美姫

東京は関西より北なのになぜ桜の開花が早いのか?
少なくとも宝塚ではまだせいぜい一分咲きだし、、、。

今年も咲いたら夙川に行こう、、、。毎年きれいだよ、とても。


Il6chykx 一足早く、モロゾフの桜チーズケーキ。一口サイズでおいしいし、見ててとてもかわいらしいケーキです。


さて、ここからが本題です。

先日フィギュアスケート世界選手権が行われ、安藤美姫が優勝しました。浅田真央と1、2位を占める快挙でした。

でも去年まで、安藤美姫はキライでした。

ミキティー、ミキティーとマスコミにもてはやされて、それに慢心したのか、売りの4回転も一向に飛ばず、体もしまりがなくなり、それでもテレビではあいかわらずアイドル気取り。
こんな風に、彼女をだめにしたマスコミも、簡単につぶされた彼女もキライでした。

案の定、トリノオリンピックではさんざんの成績で、もう安藤美姫はだめだと思っていました。

彼女もスケートをやめようと思ったといいます。それが当然のリアクションだったでしょう。でも、色々理由はあったと思いますが、とにかく彼女は結果的にスケートを投げ出さなかった。

世界選手権に至るまでの数々の試合で、彼女は見違えるほどでした。なによりも精神的に安定していました。
昨シーズンとは別人のように体もしまり、インタビューへのコメントも心の成長と成熟がみてとれました。
静かな強い意志の力を感じました。

どん底を経験して、そこでくさらず這い上がってきた人間は本当に強い。
今シーズン、彼女の試合を見てきて、”キライ”を返上しました。
たとえ今回の世界選手権で優勝してなかったとしても、私は彼女を尊敬します。

よく考えると彼女はまだ19歳なんですよね。そんな彼女に精神が未熟だとか、マスコミにおどらされてるなんて、というのは酷な批判だったかもしれない。だからよけいにいまの彼女には19歳の若い子でも頭がさがるのです。
はたして自分が同じ立場だったら、また彼女のようにがんばれるかどうか、、、。

次のオリンピックには是非出場して雪辱をはたしてほしい。
どうかマスコミももう彼女をおもちゃにしないで。
今回の優勝にまた慢心することなくがんばれ!安藤美姫!


(おまけ)なんで冒頭モロゾフのケーキを出したかというと、彼女の今のコーチがモロゾフ氏だから、、、、なんちゃってsmile

2007年3月25日 (日)

代理出産に思うこと

某タレント夫婦が代理出産で得た子供は実子と認められない、という最高裁の判決がでました。
現在の法律ではこの判決は妥当なものだと思いますが、問題はそのあとです。
生殖医療の進歩に法改正が追いついていないのは確かで、法の整備は必至とはいえ、代理出産をすぐ認めるかどうかはよ〜く考えてほしいと思いました。

代理出産のみならず生殖医療の進歩は、体外受精から始まって、はてはクローン人間まで作り出すところまでいずれはいくのでしょうし、それに関しては賛否両論、侃々諤々、法律を作る方は追いつけなくてオロオロというのが現状ですね。


5l_axr5i (これは本文と関係なし。うちの猫の”しぇる”。なごみ〜heart


アメリカでは代理出産は(遺伝子的に実子の場合も、実子でないいわゆる仮腹でも)すでに数万例行われています。ただ日本人的感覚にはなじまないもので、日本産婦人科学会は禁止はしていますが法的拘束力はなく、すでに数例の代理出産が日本でも行われています。

アメリカでは宗教的に奉仕の精神があるから、出産という、時によって命の危険にさらされるリスクを冒してまで、代理を引き受ける人がいるといいます。
しかし実際は代理出産を依頼できるほどの富裕層と、健康、命をかけてでも、収入を得たい貧困層という図式がうかびあがってきます。

もし目の前にいる友人が子供がいないことを悩んで代理出産まで考えているといったら、私は同情して賛成するかもしれません。子供が欲しいという願いはわかるつもり。
でも子供ができないことは深刻な問題だ、といわれると
それってほんとに”深刻”な問題なの?
“美人じゃないから美人になりたい”という、ないものねだりとどれだけちがうの?
癌と告知された、生まれた子供に障害があるといわれた、そういうほんとに深刻なこととは本質的にちがうのでは?
と、考えてしまいます。

出産はほんとうに命に関わるリスクをはらんでいます。
他人に、それをおしつけてまで(本人がのぞんでいるとしても)我が子が欲しい、というのは何か抵抗を感じます。

問題はちがいますが、臓器移植も、目の前の身内が病気に苦しんで、移植で助かる、といわれれば移植を強く望むでしょう。でもそれは同時に臓器を提供してくれる誰かの“死”を望むことであることを忘れてはいないでしょうか。

以前では想像もできなかった医療の進歩に、法律だけでなく私たちの感情も追いつけません。こういう考え方はもう古い世代のものでしょうか?


Wtv9m3pu (息抜きに和みの猫ポーズ)


新聞にのっていた、ある大学の女性教授のコメント。
”子供がいないことが不幸だと思わせる社会の方に問題がある。”
基本的に賛成。

2007年3月19日 (月)

福知山線脱線事故から2年、思うこと

庭の雪柳が満開です。
去年は剪定をわざとしなかったので、伸び放題なのがかえって野趣たっぷりで気に入っています。


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昨日テレビのドキュメンタリーを見ました。福知山線の脱線事故で、生存者の中で一番重症だった30代の女性の事故後2年間を追ったものでした。

福知山線は私が通勤に使っている線です。宝塚から大阪梅田まで。宝塚はJRと阪急電車両方の駅が100mと離れていません。JRは早いけれど三田から乗ってくる人が多いので座れず、阪急は始発なので座れるけれど時間がかかる、ということで時と状況に合わせてどちらかを選んでいます。

あの日、事故が起こっていた時間、私は阪急電車に乗っていました。梅田に着くと娘からメールで”事故あったけれど大丈夫?”なんのことかわからず電話してみると大きな事故が起こったらしい、と。
TVで事故現場を見て、当初死者が2〜3人と報道していたけれど、これはそんなものじゃすまない!と直感。その後時々刻々と増えていくニュース発表の死者数に、震災の時もそうだった、次々と死者数が増えていく、どこまで行くのか、、、という恐怖にも似た感じを思い出しました。
もしかしたら、私もあの電車に乗り合わせていたかもしれない。
ほんのささいなことで運命の分かれ道はそこここに待ち構えている、、。そんな気がしました。

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不幸中の幸いは事故が医療機関が集中している地域でおっこったこと。近くの町工場の人たちも駆けつけて、マンパワーが使えたこと。
印象に残っているのは救急医療の専門家がすぐトリアージ(救命の見込みや重症度を判断して、患者を分類。重傷者は高度医療機関へ、軽傷者は普通の医療機関へと選別する方法)を行ったこと。
これにより助かった命が、搬送にもたついて助けられなかった、という例がこの事故では1件もでなかった、ということです。
もしこれが人がまばらな場所でおこっていたら、もっと犠牲者は増えていたことでしょう。
操業をとめて人命救助に奔走してくれた近所の人たちにも、震災の時と同じ、この世知辛い世の中にも善意を信じられる、と頭が下がりました。

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事故後数ヶ月、JRはストップし、代替に阪急に乗客が殺到し、いつもは人が少ない宝塚駅が梅田駅状態に過密し、ぎゅうぎゅうの電車での通勤を余儀なくされましたが、みんなあまり声高に文句も言わず、黙々としていました。
亡くなった方がいるのに、とりあえず自分は生きている、という感謝と遠慮の気持ちでしょうか。なんだか心が痛かった。


さて、冒頭のこのトリアージの中でも最重傷者としてヘリコプターで高度医療機関に搬送された女性。彼女は搬送先で間違いなく助からない、万一助かっても植物状態は免れない、と診断されたそうです。
救出されたとき男女の区別もできないほど体に損傷を受け、口の中には息ができないほどガラスの破片がいっぱい詰まっていたそうです。どれほどの破壊的力が加わったのか想像できそうです。
家族、医療者の懸命の介護、治療で奇跡的にこの女性は命をとりとめ、当初植物状態に近かった状態が、まだ高次脳機能障害は残り、車椅子は手放せないけれど、身の回りのことや会話などできるまでに回復されました。まさに、奇跡です。めったにおこらないだろう奇跡だと思います。家族の努力なしではおこらなかった奇跡。
この2年介護されたご両親、近くに引っ越ししてまで励ましてきたお姉さん一家、本当に大変だったと思います。
はたしてこれほどまで献身的に家族につくせるのか、家族としての底力が試されるとき、自分はどうだろう?自信がありません。
日々リハビリに励まれるこの方に、1日でも早く元の生活が取り戻せるよう願ってやみません。

JRが再開通して、しばらくは事故現場を通るたびに(いまでも献花台がおかれています)心の中で手を合わせていたのも、いつのまにか、時間が経つにつれ記憶が薄れていってしまいました。
でも、なにげなく毎日電車で通勤し、本を読んだり、うたた寝したり、それが突然阿鼻叫喚の地獄になる、これは誰にでも、いつでも起こりうること。たくさんの家族がいつもどおり”お休み”といって休んだ次の日に、多くの家族を失ったあの震災の日のように、、。

2年目がめぐってきて、福知山線を利用している者として思ったことです。