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2012年10月19日 (金)

「浅川巧日記」を歩く〜韓国2012(中編)

かくて浅川兄弟の時代、青磁のその技法は朝鮮では失われてしまっていた。

兄の伯教は朝鮮中の窯場を回って調査していたが、いつの日か池 順鐸(チ・スンタク)という少年を手伝いとして連れて歩くようになる。

伯教や柳宗悦は、彼に失われた朝鮮青磁、白磁の美しさを説き、それを復活させようと決心した彼を叱咤激励した。
やがて十数年の時を経て、池 順鐸は500年ぶりに朝鮮青磁をこの世によみがえらせた。


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のちに朝鮮陶器で人間国宝となった故・池 順鐸氏その人である。

彼の出身地であり、かつての朝鮮古陶の故郷、現代に復活した陶芸村として約300の窯場がある利川(イチョン)。
ソウルから車で薬1時間。
ここに彼の窯場がまだ残っているのを訪ねる。

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登り窯。

毎度漫画の話で恐縮だが、「へうげもの」で秀吉の朝鮮出兵の折、織部が朝鮮で登り窯という新しい技術を目の前にして驚く、というシーンを思い出す。


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池氏は青磁のみならず、白磁や粉青沙器もたくさん焼いた。

それらがいくつか展示されている。

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白磁の大壺。
手の大きさと比べてね。

思わずなでなですりすりしたくなるような、、、、

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秀逸はこの萩風?井戸茶碗。

井戸茶碗は日本の茶人に愛されたが、朝鮮には一つも残っていない、というこの不思議。

利休の時代、日本で人気になったこの井戸を、注文を受けて焼いていたのが朝鮮の倭館や借用窯だと言うが、これを現代にそのまま置き換えて、本物は手に入りそうもないので、これなら、、、、やっぱり人間国宝ともなると無理かcoldsweats01

同じく利川に窯を持ち、高麗青磁では現在韓国の第一人者、金正黙(東谷)氏の窯をたずねる。
彼の作品は多く国宝になっているとか。

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登り窯で息子さんの説明を聞く。
窯をたく松の木の薪がたくさん積み上げられているのが印象的だが、現在この薪も輸送にかなり費用がかかるようになったとか。


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窯場の横には失敗作をわった破片がいっぱい。
一個もらえないだろうか?coldsweats01

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青磁の象嵌部分に白い釉薬を埋め込む作業。

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右:作業前
左:作業後

これを素焼きして、最後に青磁の釉薬をかけてまた焼き、完成する。

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国宝級のものはさすがにないが、手頃な作品がこちらでもとめられるので、抹茶茶碗を一つもとめた。

分類でいえば粉青沙器、剥地という掻き落し手法を使ったもので、金氏御大にてづから箱書きをしてもらう。

ついでにあつかましくも銘をお願いして、つけていただいたのが「野菊」。
読めないが、ハングルで書いてもらった。

この茶碗をとりだせば、野菊の咲く季節、韓国に巧さんの足跡を訪ねたことをいつも思い出すにちがいない。


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ひとなつっこい、ここのわんこ。


さて、場所かわって広州(クァンジュ)へ。
ここはかつて官窯であり、王宮で使われる焼き物ばかりを作っていたところ。

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ここには京畿陶磁博物館がある。さすが焼き物の町。


京畿道にある初期青磁や白磁から近代・現代陶磁に至るまで、資料収集・保存・研究・展示を目的とする施設。

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ここでもう一度朝鮮陶磁の歴史のおさらいをする。


12世紀、中国の影響を離れて独特の「翡色(日本では秘色とも)」の高麗青磁を作った時代。
14世紀李氏朝鮮の成立とともにさかんになった粉青沙器(三島、粉引、刷毛目など)の時代。
16世紀からこれに取って代わった白磁の時代。


韓国では壬申倭乱というそうだが秀吉による文禄、慶長の役は焼き物戦争とよばれ、多くの朝鮮陶工が日本に連れてゆかれ、一時陶磁器産業は廃れる。

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これは当時、倭人によって窯場が漢江支流の奥へ奥へと追いやられていった窯場の場所の変化を示した地図。


江戸時代にはいわゆる「高麗茶碗」を日本向けに作っていた。

19世紀〜の歴史的混乱の中、朝鮮陶磁が廃れていった時代に彼ら、浅川兄弟はその美しさを再発見し、地道な窯場の調査をした、、、というわけだ。


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まもなく始まる特別展のためにすえられたオブジェはもちろん白磁だろうな。

そう、実はこの日は休館日だったのだ!
にもかかわらず入館できて説明まで聞けたのは、山本先生の力以外のなにものでもない。


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もう一つ、休館日をむりに入れてもらったcoldsweats01分院陶磁器資料館。


分院は130年間続いた朝鮮時代最後の官窯であった。


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おびただしい古陶磁の破片。

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発掘の様子を再現したものと(お休みにも関わらず)説明してくれた学芸員さん。


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破片ではあるが、こんなに無造作においてていいのか?

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ここにこんなポスターを発見し、うれしくなる。

右端の白磁蓮花紋大壺は安宅コレクション(現・大阪市立東洋陶磁美術館)のシンボル。
伯教さんがソウルに家をたてるため、手放したもの。

ハングルはさっぱり読めないが、きっとそんなことは一行も書いていないのだろうなあ。


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施設として最後におとずれた国立中央博物館。
なんというでっかい物を建てたものだ!

しかも無料!!!

朝鮮総督府の建物を使っていた時代の紆余曲折を経て2005年に竣工した博物館は韓国の威信をかけている感じがひしひしと。

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小学生やら中学生やらが来る来る。
それでもすかすかするくらい広い。


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三島(粉青沙器)

私たちが見るのは朝鮮古陶磁のコーナーだけだが、それでも広い。

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白磁コーナー。


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このあたりが浅川兄弟や柳の朝鮮民族博物館にあったものか。
たぶんここにも彼らの名前は書かれていないだろうなあ。

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このトックリの下の部分(もちろんこれは、それそのものではないよ)を伯教は初対面の柳へのおみやげとし、それから柳は民藝という道を歩み始めた記念すべき白磁。(秋草紋面取壺)


そして、、、


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白磁の人。

次回、今回のツアーのハイライト、巧さんのお墓へのお参りのことを書こうと思う。

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コメント

すごいですねえ。私も韓国に行きましたが 行ったのはただ 市場や冬のソナタの場面になった地域でした。焼き物が見たかったなあ。

ひいらぎ様

入り口はなんでもいいのだと思います。
ご一緒した方の中には韓流ドラマにはまったのち、朝鮮の歴史を勉強して朝鮮古陶磁に行き着いたかたもおられました。

ツアーのことは知っていたのですが…。
無理をしてでも行くべきツアーですねぇ。
残念というか羨ましいというか痛恨の極みというか…(笑)。
笑って忘れることにしよう。

利川、茶の湯文化学会の旅で2年前に私も行きました。風景、周辺の佇まい、距離感などを体験すると遠い時代のことが身近に感じられますね。
その旅でご一緒だった、金沢の中村康平さんという陶芸家が、今月23~28日野村美術館地階で茶碗の個展をします。旅の成果が出ていると思うので、お時間があればご覧下さい。

relax様

今回は浅川兄弟オタクのツアーでしたがcoldsweats01朝鮮古陶磁のツアーをまた来年3月やるそうですよ。仕事をうっちゃって行く勇気がありましたらcoldsweats01是非どうぞ!

そらいろつばめ様

粉青といっしょに、高麗茶碗としてひとくくりにはされていますが、やっぱり井戸茶碗だけがその来歴が不明、という感を新たにしました。
私は鑑賞するだけですが、ご一緒した方の中にはやはり自分で陶芸される方もおられました。さて参考になったのやら??

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