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2012年10月19日 (金)

「浅川巧日記」を歩く〜韓国2012(前編)

(これまでの浅川兄弟の記事:浅川兄弟ってだれ?という方に、ちょっとした入門編、、、かも)

浅川兄弟との出会い

東洋陶磁美術館:浅川兄弟の心と眼

映画「道〜白磁の人」

 墓碑:「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に 生きた日本人、ここ韓国の土となる」

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(ソウル国立中央博物館)

浅川伯教・巧兄弟と初めてであった高麗美術館の見応えのある展示。
これによって彼らの仕事のみならず、とくに朝鮮の土となった弟の巧さんの生き方にとても心惹かれた。


生前の彼を知っていた人たちは日本人であれ朝鮮人であれ、彼の人間性を愛したという。
(とくに民藝への道を彼らによってひらかれた柳宗悦の追悼文はほんとうに泣かせる。)

そして後世のわれわれも、その日記やゆかりの人々の回想によって、また彼を敬愛する。

映画「道〜白磁の人」はそういう人々の努力によって日韓合作で作られたのだ。
この映画の公開記念講演会にでかけて、高麗美術館研究員山本先生の話をうかがう。

そこで美術館主催・山本先生プロデュースかつ講釈付という「浅川伯教・巧兄弟、柳宗悦ゆかりの地をたずねる」ツアーを知り、仕事をうっちゃって(coldsweats01ご迷惑をおかけした諸氏にごめんなさい)でかけたのはいうまでもない。


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ソウル観光名所のひとつである景福宮。
以前も行ったことはあるが、ほんとうになにも知らなかったな、と思う。


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宮殿の入り口の正門、光化門。

1910年の日韓併合後、朝鮮総督府がこの門の取り壊しを検討したとき、「失われんとする一朝鮮建築のために」という評論を書き、それに強く反対したのはかの柳宗悦であった。
それによって光化門は正面から移築されることによって破壊をまぬがれたという。(後に朝鮮戦争で焼失)

現在の光化門は2010年に位置を修正して再再建されたもの。


(ちなみに今観光客が歩いているところはかつて朝鮮総督府の建物が偉容、あるいは異容を誇っていた。その後博物館になったが紆余曲折、侃々諤々の議論の後、金泳三大統領が撤去を決めた。)

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これも以前は軽くスルーしてしまった緝敬殿(しゅうけいでん)。

浅川兄弟とと柳宗悦が中心となって奔走し設立した朝鮮民族美術館があった場所がここだったとは。
(そんなこと景福宮のパンフレットにも書いていない!)

当時の中の写真を見たことがあるが、建物自体は修復されたものなので、残念ながらもう面影もないであろう。
いかんせん、時が経ちすぎて、その後の朝鮮の歴史も混乱しすぎて。

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この五重塔のような建物は景福宮内にある国立民族博物館。

朝鮮民族博物館のコレクションは、戦後アメリカ軍がその価値を認め民族博物館へ吸収させたが、その後転々と紆余曲折を経て(先ほどの朝鮮総督府の建物内にあった博物館にあった時代も)、この民族博物館、国立中央博物館などへ流転していった(らしい)。

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ここは民族生活史を小学生の子供にもよくわかるように展示していて、見ていて楽しい。


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これからの寒くなる季節、村中総出でキムチ作りをする風景。

自国の文化、歴史を国民にしっかり教え込もう、という姿勢は日本も見習うべきであろう。(偏狭なナショナリズムに陥らない限り)


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李朝家具。(垂涎!)


この美しさにほれこんだのが始まりだったような気がする。

ここから民藝、柳宗悦、そして浅川兄弟への道が開けた。


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十二弦の伽倻琴(カヤグム)。


『中国の箏や日本の琴が多文化国家のミュージックシーンの一部となった今日でも、沈黙し続ける伽倻琴の声なき叫びは伽倻琴の来歴を韓国という国自体の歴史に反響させているかのようだ。』(


そして、、、

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なにより心惹かれる白磁の壺。

あたたかいぬくもりのある「白」。

それに多くの人が巧さんを重ねたのだなあ。


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清涼里(チョンニャンリ)。

かつて巧さん家族が住んでいた場所であり、職場であった林業試験場(現・国立林業研究所)がある場所。

「清涼里から狐が来たよ。」

当時西小門に住んでいた兄、伯教と同居していた母は巧が来るたびにそう言って笑ったそうな。
なぜならすぐに骨董店めぐり(民族美術館設立のために)に伯教を連れ出していってしまうから。


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林業試験場(現・国立林業研究所)。

ここで働いた巧は林業研究員としても画期的な「露天埋蔵法」という発芽方法を発見するという業績を残している。

当時、彼が樹齢30年ほどの松の木をここに植樹した。

その木が80年ほどの時を経て、ここにある。

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同じ時期にいっしょに働いた試験場の人、彼を直接は知らないが先輩方に話をきいていた後世の職員たちが、何年も何年もこの木を大事にしてきたことを思うと、ふと熱い思いがこみ上げる。

日本による植民地統治という歴史がありながら、なお、それだけ朝鮮の人に愛された巧さんという人。


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あなたが見ていた空もこんなに青かったでしょうか。

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林業試験場を案内して下さったソウルの「浅川伯教・巧兄弟記念事業会」副会長の白(ペク)朝鍾さんと現地ガイドの姜さん(明るい彼女のおかげでとっても楽しく勉強できました!)。

この石碑は国立林業研究所になってから初代の所長だった趙在明氏の記念碑。
巧さんが亡くなったあとに生まれ、面識がないにも関わらず、戦後巧さんのお墓をずっと守ってこられた方。

ここには朝鮮半島にあるすべての樹木があるそうで、巧さんはそれらにすべて名前をつけたとか。


おりしもカササギ(韓国ではカチ)の鳴き声を聞く。
日本では天然記念物だが、ここでは市の鳥。
カチカチとなくからカチ。
でもシャシャシャシャ、、、、と聞こえた。

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研究所の向かいは巧さん旧居跡。


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隣接するなだらかな丘には日記によくでてくる尼寺・清涼寺(当時は文化サロンのような場所だったとか)があった場所。

尼さんの所へ行ってご飯を食べて、遊びに来た妓生とおまわりさんがけんかを始めて大変だった、、、というような日記の記載があったのは清涼寺のこと。


清涼寺は、1899年暗殺されたかの閔妃を後年移葬する場所としてここから移転させられたためここにはもうない。

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この場所もかつての面影はなく、ハングル文字を発明した世宗大王記念館となっている。


この移転させられた清涼寺までも訪ねる。
(すごいわ、このツアー)

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市街地の近代的な建物のはざまにある、現在の清涼寺は今でも尼寺。
若い尼さんの話を聞く。猫も聞く。


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甍のカーブが日本寺院でもなく、中国寺院でもない。
干してあるのは尼さんの作務衣。


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先ほどの信心深い(?)かわいい三毛ちゃん。


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二年前からここに住み着いている野良だけれど、「美香(ミッカ)」という名前をもらって、尼さんにはデレデレ。


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前編最後は雪濃湯(ソルロンタン)。

巧さんの日記にさかんにでてくる朝鮮料理。

牛の肉・骨・内蔵を長時間煮込んで作るスープで、好きだったらしい。

巧さんは友人が来たらよくこれを食べにつれていくのだが、スープに牛の頭などが浮いていて(今ではそんなことはない)ちょっと閉口したという証言もあるシロモノ。

スープ自体は淡泊なので、カクテキやキムチ、塩をいれて自分で味を調整していただく。
こってりが、けっこうクセになりそう。


(中・後編に続く。あと少しおつきあいください)


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「浅川巧日記」を歩く〜韓国2012(前編)を参照しているブログ:

コメント

なるほど、今度は韓国でしたか。内容の濃い旅程のようですね。ツアーというのは使った事がないのですが、こんな内容なら、ツアー恐るべしでしょうか。

お帰りなさい!お話 楽しみにしていますので たくさん書いて下さいね。
彼の地の白磁は確かに暖かいですね。

しぇるさん、韓国に行っておられたのですか!
うらやまし~。
「イ・サン」や「王女の男」にはまっているので、王宮殿には惹かれます。

キレミミ様

ツアーというより、浅川兄弟オタクの課外授業といったような感じでした。
なにより休館中の施設にいれていただくなどは、引率の山本先生の人脈力以外のなにものでもありませんでした。

ひいらぎ様

中味が濃すぎてブログに簡潔にまとめるのがた〜いへん。
書きたいことは山のようにあるのですが、興味のない人には退屈かも、、

vivasan様

韓国歴史ドラマはちょっとしか見ていないのですが、聞きかじった歴史上の人物の時代背景や時系列の前後とかちょっと勉強してわかりました。
お隣の国なのにほんとに知らなかったことばかりではずかしいです。

その道の専門家の案内解説付きとは、何と贅沢な・・・!!!

夢風庵様

はい、すごいツアーでした。happy02
高麗美術館主催ツアーは山本先生の広報力と企画力でいつもキャンセル待ちがでるそうですよ。

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