フォトアルバム
Powered by Six Apart

« 2012年9月 | メイン | 2012年11月 »

2012年10月

2012年10月29日 (月)

徳川様のお茶会へ〜徳川美術館

ここは尾張の国。

P1010126

家康の遺品や尾張徳川家伝来のお宝がわんさかころがっている徳川美術館

毎年利休忌のころ、織部が利休から拝領し、利休亡きあと位牌仕立ての筒にいれて持ち歩いたという「泪」の茶杓が公開されるのにあわせて、来たことがあります。

P1010165

毎年秋に7〜8日間、日替わりで各流派による徳川茶会がひらかれます。
美術館所蔵の茶道具を使ってheart02happy02shine


P1010128

早朝起床、着物を着て雨の中到着したのは午前8時すぎでしたが、もうたくさんの方が並んでおられます。
お茶人さんは、ほんま朝が早い。


P1010132

これを楽しみに全国各地からみなさま、おいでになるのです。

この日は最高の参加者だったそうです。
私はたまたまこの日しかあいていなかったからなのですが、なんとこの日の担当は今日庵文庫の筒井紘一先生だったんですねえ。
だから人気だったとか。


P1010135


この日、関東からお越しのK様ご夫婦と落ち合って、御指導かたがた、ずっとごいっしょしていただきました。

早起きの甲斐あって、あまり待つこともなく、スムーズに移動。

P1010142

副席の薄茶席は山ノ茶屋にて。

江戸時代の茶屋で、名古屋城から移築された物とか。


P1010143

待合の天井も竿縁、化粧屋根裏、網代と凝っています。

床には家康の「道中宿付(旅程の覚え書き)」。

九 江戸  十八 戸田 廿二 河越、、、

九日に江戸を出て、十八日に戸田に着いて、、、というようなメモですが、だれがこんなものをとっておいたのか?
まさかこんなメモが400年後に待合掛けになるとは、家康も思わなかったに違いない。

薄茶席の席主は筒井先生の奥様。(お道具よりインパクトがあって(?)ちょっとみとれてしまいましたわlovely

軸はなんと足利尊氏の和歌懐紙。

  「あつまち(東路)をまたたひ人(旅人)のたちかえり さはらで君にあふ坂のせき」

尊氏といえば14世紀の人でしょ?
そんなすごいのが残っているんだcoldsweats02


K様がお正客をされたので、お相伴で思いがけず上座の良い席にすわれました。(らっき〜)

高麗刷毛目茶碗、しっかりとこの手で確かめました。
かたちが沓形にちかいようにゆがんで、とても珍しい刷毛目。

釜は香炉耳釜。
大徳寺・達磨堂にあった香炉を釜にしたもの。
鐶付が鍋のように付いているので、鐶は特別なものを使わないといけないだろうな。


P1010145

三葉葵の御紋の幔幕の道をたどって今度は本席・濃茶席へ。
茶室は餘芳軒。
名古屋市内にあった数寄屋建築を移築した物。

P1010147

こちらの待合でお菓子をいただく。


P1010150

中の紅が美しい薯蕷はご当地、両口屋是清 「秋の初花(=菊)」。

ついでに最近清課堂さんでゲットした末広の菓子切りをさりげなくアピールcoldsweats01

P1010151

待っている間に心空庵(四畳半)を拝見。
もと尾張徳川家代々のお茶道役をつとめた平尾氏の茶室。(オリジナルは空襲、台風で倒壊)


P1010154

お武家さんらしいすっきりとした茶室でした。

P1010155

本席では筒井先生が半東で、お道具の解説をしてくださる。
そりゃ専門家ですもの、興味深い話がてんこ盛り。
もう少し時間があってゆっくり聞けたらなおよいのだけれど。

P1010156

お軸は重文の天遊松谿(15世紀ごろの謎の画僧)の「寒山拾得」図。

お茶碗が肥前松浦家伝来の井戸「九重」(五島美術館から貸し出し)やら、大井戸やら、、、もう普段はガラスケースの向こう側よね。

茶入の古瀬戸肩衝「虫喰藤四郎」は釉薬がまだらになって、なるほど〜、なネーミング。
すごいもの見たわ。

飾られていた香木の伽羅はかの有名な一木四銘(同じ香木を4つに分けてそれぞれ銘がついている)の一、「白菊」。
これかあ、、、
森鴎外の「興津弥五右衛門の遺書」にでてくるあの白菊ですよ。

蘭奢待のあのでかさを想像していたら、ほんの一握りくらいの小ささでしたね。
聞香してみたいけれど、これを焚く人、、、、おらんやろうなあ。


P1010159

点心はボリュームたっぷりで、京風薄味にじゃっかん物足りぬ私にはうれしいしっかり味付け。

お酒もついてるわよlovely


食事のあとは、K様ご夫妻の解説つきで美術館の特別展(徳川将軍の御成)を見る。

これがまた、、、、もう、大名物、大名物、大名物、たまに中興名物、そして重文、、、
茶道の雑誌やテキストでしかお目にかかったことのない有名な道具がげっぷがでるほど、これでもか!と。

さすがは徳川様。

茶道系美術館5〜6館分は十分ありました。
それにしても一般的に唐物茶入の大きいこと。
よほど手が大きくないと、とても胴拭きなんかすんなりできそうもありませんわ。

そして「へうげもの」ファンのみなさま、こちらもでていました!


P1010164

唐草文染付茶碗、別名「荒木高麗」。(「へうげもの」第1巻を見よ!)

荒木村重が所持していたもので、漫画では命の代わりに織部へさしだし、やがて利休の手にわたったと書かれていますが、ほんとのところどうなんだろ。


P1010163

ちなみにこの(重い)図録は茶会の記念品としていただいたもの。
もう一つの記念品がこのお茶碗lovely


尾張徳川家伝来の高麗雲鶴茶碗「高浜」の写し。
これ、次の茶会で使おうgood

とにもかくにも目の正月、耳の正月的なお茶会でございました。
一日おつきあいくださいましたK様ご夫婦にも感謝いたします。

2012年10月27日 (土)

秋一日 佳日哉

東山がことのほか美しいこの一日。

P1010125

まずはお庭の手入れ。

P1040496
紅葉の影も、こんなところに届くようになりました。
日ざしが淡い。

P1040493
昨年は一つしか実をつけなかった薮柑子が今年はたくさん赤い実をつけて豊作。
うれしい。

さて、おでかけでおとずれたのはこちら。

P1010115
北村美術館の四君子苑、特別公開。

春と秋の数日のみこっそり(?)公開されています。
前回は枝垂れ桜の美しい春でしたが、今回は秋たけなわの四君子苑です。

P1010118(中は撮影できませんので、美術館のエントランスから)

北村謹次郎の邸宅で、竹中大工道具館の数寄屋大工展にも名前の出ていた名匠・北村捨次郎の手になる数寄屋棟と、吉田五十八の新座敷棟。

お目当てはもちろん数寄屋棟の二畳台目の茶室・珍散蓮。

いつもは中へはいれないのに、着物のおばさまの団体が中へ入って木下館長の説明をきいてはったので、自分もなにげにまぎれこむcoldsweats01

初めて洞庫の奥の水屋が格子越しに見えたし、お客さんが多いとき、襖を移動して少し広くできる、ということも初めて知った!(おばさまの団体様、ありがとう)


P1010117

美術館では、展示が「追憶の茶事」というテーマなので、だれかをしのんで?と思っていましたが、鎌倉の古刹、円覚寺の開山となった無学祖元禅師の墨蹟を中心に蒙古襲来のころをしのぼう、ということらしい。

ここの展示は茶事のながれにそった道具組がみられるので好きなのです。
懐石の道具がすごかったなあ。
向付ものんこうだったり、煮物椀は宗哲、焼き物鉢なんか重文だもん。coldsweats02

P1010119

美術館のあとはセットでおとずれる李青
さんでランチ。

つい先週、高麗美術館主催の李朝青磁・白磁の旅をしていたものだから、よけいにここへは来たかったんです。
(オーナーは高麗美術館創始者・鄭詔文さんの娘さん)


P1010122

李朝家具、白磁の壺、、にかこまれカヤグム(朝鮮の琴)のBGM、、、、ええなあ、この時間と空間。

朝鮮芸術、工芸の文庫も充実。

あ!
あれは!

木製の小さな人形は、韓国・利川でコレクションを見た、木俑ではないか!
ここでまた会えるとは。

木俑は、かつて韓国ではほとんどが土葬のため、棺をかついで運ぶのですが、その時棺の上にさしこんで飾る人形なんです。
最近はほとんど土葬をみないため、だんだん数少なくなってきているとか。


P1010124

お花は野の花を摘んで鄭さんがいけたもの。
さりげなく美しい。

たまたま同席した鄭さんの神戸の古いおともだちと、なぜか祇園祭の話題でもりあがる。
この55年間、いちどたりとも欠けずに毎年山鉾巡行を見ておられるとか。

なにより55年の間、事故もなく健やかで続けられたことを言祝ぎたい。
あやかりたいものです。

P1040486

ここで盛り上がりすぎて灰型教室に遅刻。
ごめんなさい。


P1040488

なので灰型の写真、忘れてとれず。(庭の写真をかわりにおいておきます)
今回も向山に挑戦。

この日は調子があがらず、いまいち、いまに(?)くらいのでき。

野暮用のあとは、この日スタートした岡崎ときあかりへ。
P1040497これは近代美術館。市立美術館とともに期間中(明日まで)は8時まで開いています。


F03293ca1b2f26be1ef12f5109aaf798


昨年も楽しみました。


新しく復刻完成した東京駅のオープニングですっかり有名になったプロジェクション・マッピング、実は昨年初めて見たんです。ちょっと感動しました。

幻想的なBGMとともに、少し寒い中、恋人同士が手をつないだり、家族が肩寄せ合ったりして、あ、もちろんおひとりさまでも、シュールな映像を楽しめます。

昨年も背景になった市立美術館だけでなく、今年は図書館も参戦。
クラシックな建物にとてもあうのですね、この手法。

それでは静止画像ですけれどcoldsweats01、幻想的な景色をお楽しみ下さい。


P1040501
P1040505

P1040512
P1040514
P1040518

図書館側に移動して、、、、
P1040528
P1040535
P1040537
P1040539
P1040540
P1040541
P1040542
P1040549

図書館もお花だらけ。

見上げると、十三夜に一日足りない月が平安神宮の大鳥居の上に。

P1040508

佳き一日哉。

2012年10月26日 (金)

竹中大工道具館巡回展〜数寄屋大工・神戸

神戸の中山手あたりは兵庫県庁とその関連施設がたくさんちらばっているエリア。

2年前まで兵庫県民だったので、年に一度くらいは足を踏み入れていた、ちょっと懐かしい場所です。

P1010102
JR元町駅から山の手に(北)あがっていくとまずはこんな建物が。

これは兵庫県公館とよばれる建物で、現在は迎賓館、資料館として使用されていますがかつては県庁舎だった建物。

フランスルネサンス様式で竣工は明治35年。
当時は海洋都市・神戸の威容をしめすべく、最大級の庁舎であったとか。

残念なことに戦災で焼失し、外壁以外は後に修復されたものですが、その歴史的価値を鑑み、重要文化財になっています。


P1010105

神戸栄光教会。

このあたりが神戸らしい景色。

以前の教会堂(大正年間の建築)は阪神・淡路大震災で倒壊、現在の物は8年前にあらたに建てられた物。
(以前の教会は記憶にないなあ、、、、)


P1010108

さらに北へゆけば、神戸市唯一の日本庭園、相楽園。
かつては明治の神戸市長の庭園だったそうな。

菊花展などやっていてのぞいてみたかったのだけれど、今回の本命はこちらですので、、、

P1010109

おお、いきなり天平の寺院の柱のオブジェが。

竹中大工道具巡回展〜数寄屋大工を東京でやっているのは知っていて、いずれ関西に来ることは知っていたのだけれど、なんで大阪・京都でなくて、神戸?

P1010111

、、、、と思っていたら、神戸にあったんですねえ、竹中大工道具館
って竹中工務店の施設が。
こんな県庁の近くにこんな記念館があったとは、気づかんかったわ。

P1010110_2


このポスターは如庵(織田有楽の茶室)ですね。

数寄屋建築、、、
私は建築家でもなければ大工さんでもないので、専門的知識はありませんゆえ、ただ茶室が好き、というだけなんですがcoldsweats01


P1010113

一番見たかったのは実物大の茶室構造模型。
(パンフの一番上の写真)


大徳寺玉林院蓑庵(重文、一度知らずに見たが、その時は薄汚れた茶室、、、、と思っていたcoldsweats01)の写しで三畳中板。


壁土を塗らないスケルトン状態なのに、中の点前座にすわって(そう、入室できるのです!)みると、意外に落ち着くのは竹小舞の美しさのせいでしょうか。

ありとあらゆる数寄屋の技法を駆使されているのでしょうが、残念ながら解説するだけの知識をもちあわせません。

木組の模型がいくつかおいてあって、さわって分解してみてください、というコーナーあり。
外見ただ3本の丸太が組み合わさっているだけ?と思いきや、分解してみると、え?!と思うような緻密な細かい細工が丸太の中にしてあって、その正確さと美しさにびっくり。

日本の伝統木造建築のすごさを改めて認識しました。


ただ、現代においてはこういう数寄屋を注文する人の数は限られているので、このような技がちゃんと伝承される保証がないのが残念です。


その他、数寄屋独特の木材の実物展示、数寄屋を構成するディテール(襖、畳、障子、引手、欄間など)、名工といわれた大工の棟梁の仕事についての展示あり。

おもしろかったのは、茶室起こし絵図。

待庵とか如庵とか、有名な茶室を紙に書いた物で、切れ目をいれて立体的にみせる絵図のセット。
これがあればあなたも(ミニチュアの世界で)有名な名茶室のオーナーになれますわよ。

それから紙の畳セット。
これを組み合わせてどんな大きさの茶室も自由自在にレイアウトできるしろもの。
三畳とか二畳台目とか、下座床、上座床、とか、本勝手とか逆勝手とか。

もちろんこれはままごとではなく、施主が大工さんに自分の希望を正確に伝える手段なんですけれどね。

この展示は11月18日まで。
そのあとは名古屋へいくようです。
お茶室を見るのが好きな方は是非。


さて、名工といえば、野村碧雲荘も手がけた北村捨次郎。
かれの作った北村美術館・四君子苑、週末まで一般公開中だったわ。
行かなくちゃ。

2012年10月24日 (水)

弘道館〜秋の茶事2012

気がついたときには出遅れて、すでに満席、今回の秋の茶事はあきらめていたのに、日ごろのお茶への精進がおよろしいので(coldsweats01ウソ)うまくキャンセルが出てすべりこみできました、弘道館の秋の茶事。

P1010076

空も秋晴れでさわやかな1日となりました。

P1010077

日ざしも影も淡くなってきましたね。

この日の御連客は9名。
こぢんまりしたよいお席でした。

待合掛けは沢庵宗彭の画賛を松平不昧公が写した物で、馬追の絵。

P1010078(石蕗)

本席の掛け軸は清巌宗渭の消息。

(清巌和尚といえば「今日庵」の名のもとになった「懈怠の比丘明日を期せず」のお方です。)

大徳寺170世住持でしたが、その前に堺の南宗寺にもおられたので、「南宗寺」のサイン。
宛先は片桐石州。

石州に清巌和尚が頼まれていたものなのか、利休の茶杓の筒ができたので受け渡しの日を相談、、、云々の内容。


P1010079

日付が九月十五日。
旧暦の今頃で、それで掛けられたとか。

待合の澤庵さんも南宗寺におられましたので、それのつながり。


もう一つの床には歌舞伎役者、4世中村富十郎の筆になる栗の絵。
(彼の後妻さんは昭和の夕霧太夫)

P1010080
弘道館スタッフ手作りの懐石はとてもおいしい。
こんなに上手に自分で作れたらなあ、、、。

そとは明るい日ざしなのに、茶室の中はほの暗く、まずい写真ですが、強肴のお皿。
とぼけたおぢさんがのぞき込む一閑人のようなユニークなお皿は、多分脇山さとみさんのものだろうな。
(弘道館で個展しはったし。あ、夢風庵様の師匠でもあるし。)

P1010081

これを白いお皿の上で撮るべきでした!
透明なきれいな金色だったんですが、これではなにがなにやら、、、、coldsweats01
これ、卵の黄身の味噌漬けなんです。

風炉は侘びた板風炉、中置。


板風炉の炭出前の羽根の扱いを初めて拝見。

香合は南京瓜。もうすぐハロウィンだし。

P1010082

お菓子は栗のきんとん。

栗きんとんを作るのは老松さんだしお手の物なんですが、お店に出ているのは立派な丹波栗が原料。
ところがこの日の栗は、なんと弘道館の庭で収穫された栗を使ったのですって。

全然お店のものと遜色ありません。
いいなあ、そんな栗のなる木が庭にあるなんて。

P1010084

中立のあとの後座。

後座のお花は藤袴、リンドウ(正確な名前は失念)、それにとってもめずらしい初見の紀伊上臈ホトトギス。

黄色の花で一見茶の花のように見えますが、花の裏をみるとまぎれもなくホトトギスの仲間。

竹の花入は弘道館館主、浜崎さんのお父上の手作りとか。
すごい!

P1010087

水指が韓国のキムチの壺(種壺みたいな、、)。
これがなかなか渋かった。

私も韓国で調達した見立て道具がそろってきたので、韓国茶会したいなあ。

よいお服加減の濃茶をいただき、続き薄のお菓子はにぎやかに。


P1010085

ふきよせ。

たくさんいただきました。bleah


主茶碗の模様が、秀吉の北野大茶会の高札を淡々斎がそのまま写したもの。

ちなみに北野大茶会は旧暦10月1日(新暦11月1日)におこなわれたので、時候のもの、ということになるのです。
なかなか面白いお茶碗でした。

私は太田さんデザインのお茶碗でいただく。
内側に柿の絵。外側に紅葉。そして高台の中にツクバネという楽しいお茶碗でした。


毎度毎度書いていますが、今回も太田さんの蘊蓄、楽しく拝聴し、佳きひとときすごさせていただきました。

2012年10月22日 (月)

神無月雑記2012

<その1> 着物の染め替えと髪飾り


P1160224

これは私が学生時代から着ている色無地・一つ紋です。

学生の頃は淡いクリーム色でした。
嫁にいくにあたって母がこのカレー色金茶色に染め替えてくれました。

なにかにつけ便利な色無地ですが、なんだかね〜、この色顔写りが悪いというか、顔色が悪く見えて老けるんですよね。(まあ、確かに老けては来たが)

で、2度目の染め変えをお願いしました。

P1000515

明るい臙脂色にしました。

生地がよかったのか(おかあちゃん、ありがと)2回染め替えてもつやが失われていません。


P1010075

太陽光でみるとこんな感じで、やっぱりこの方が顔写りよいし、ちょっと若く見えるしcoldsweats01正解でした。

まだまだ活躍してくれそうです。
そう思えば着物ってほんとうに経済的。


P1000766_2

四条祗園近くの和髪飾りのお店、金竹堂で欲しかった柘植の髪飾りを買って、、、


P1010073

こんな感じでお茶会へ行きましたとさ。


<その2> 灰型・向山


10月はお茶では名残の月。
風炉もそろそろおしまいです。

この季節独特の中置(風炉を畳の中央において、水指が勝手付に移動)用に向山を作る。

P1000461

おお!
美しい向山!

、、、、、ってこれは師匠のです。

私のはこちら。

P1000463

なんだかなあ、、、coldsweats01

P1010089

家の風炉はとうとう片付けました。
いよいよ炉の季節ですね。

<その3> ソウル旅行・補遺

キンキラキンの華やかな建物が立ち並ぶ宏大な昌徳宮(李朝の離宮)の一部に、こんなひっそりした渋い建物群があります。

P1010058

楽善斎とよばれる建物で、王亡き後の未亡人になった王妃や王の側室が住んだ場所。


P1010060

この渋さが日本人にはしっくりきます。

日本の梨本宮家長女であり、李朝最後の王妃となった李方子(まさこ)はここで暮らして、1989年、ここで亡くなられたのだそうです。
(以前来たときに説明は聞いているはずですが、さっぱり記憶にない。というかそういう説明なかったのかも。パンフレットにも書かれていないし)

P1010062

日韓併合による確信的政略結婚でありながら、ご夫婦のお互いへの愛情は深かったそうです。

敗戦によって李垠・方子夫妻は王族ではなくなり、一在日韓国人となり日本で細々と暮らされ、希望した韓国帰国も当時の大統領李承晩により拒否されました。

1963年夫妻はようやく帰国を果たされましたが、7年後御夫君と死別され、韓国に帰化し、ここ楽善斎で暮らしたそうな。

以後亡くなられるまで、韓国の障害児教育にとりくんだり、日韓関係改善のために尽力されました。

かつての宮家の中にこんな背筋をのばして、激動の歴史の中、自分の分を見事に生き抜いた方がおられたとは。
ここはそんな方が暮らした場所だったのだなあ。


<その4> 三条京阪で、「重陽に寄せるお茶ノ時間」


10月23日は旧暦で9月9日、重陽の節句です。
新暦だと菊がまだそれほどきれいに咲かないけれど、今は菊の盛りですね。


P1010095

三条京阪にあるレストラン街・KYOUENの真ん中に突然お茶室が出現。


P1010090
好日居さんが2日間だけ出張茶会をされました。
(京阪主催で無料だったんですよ〜)

気分は「賣茶翁」だそうです。


P1010093

菊のしつらい。
どんなスペースでも茶室になるこの不思議。
P1010091

このグラスの中の日果さんのお菓子。

P1010092

取り出してみると、、、おお、小菊だ!

P1010094


あいたグラスを差し出して、抹茶をそそいでもらう。
菊花をちらした菊茶!


寿命がのびそうですね。

2012年10月20日 (土)

「浅川巧日記」を歩く(後編)〜巧さんのお墓

体は頑丈であったのに、それを過信しすぎたか、巧さんは40歳の若さで肺炎でなくなった。(1931年)

「浅川が死んだ。取り返しのつかない損失である。あんなに朝鮮の事を内から分つてゐた人を私は他に知らない。ほんとうに朝鮮を愛し朝鮮人を愛した。そうしてほんとうに朝鮮人からも愛されたのである。死が伝へられた時、朝鮮人から献げられた熱情は無類のものであった。棺は進んで申し出た鮮人達によつてかつがれ、朝鮮の共同墓地に埋葬された。」(柳宗悦:編集余禄 「工芸」1931年5月号

巧さんの亡がらは白いチョゴリ・パジに包まれ、彼を知る多くの朝鮮人がお別れにかけつけ嘆いたそうである。
棺は朝鮮人が自ら進んで担いだ。
あの日鮮の不幸な反目の時代において、、、である。

彼の亡骸は里門里の朝鮮人共同墓地に葬られたが、墓地の移転に際してソウル近郊の忘憂里(マンウーリ)共同墓地に改葬された。
その後歴史の混乱のなかで、彼の墓は行方がわからなくなった時期もあったそうだが、職場でもあった林業試験場の職員達の尽力で再び発見され、きれいに整備され今にいたっている。

P1000898

宏大な忘憂里共同墓地、203363号。


P1000909

1984年8月、林業試験場職員一同によって建てられた顕彰碑。


 韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に 生きた日本人、ここ韓国の土となる


P1000908

巧さんはこの墓地に葬られている唯一の日本人。
出生地に「日本國」がついている。

P1000902

漢江をのぞむ小高い丘の上。

さわやかな風が吹いて、ここは巧さんのふるさと、山梨北巨摩郡(現・北杜市)の景色に似ているだろうか。

P1000903

近年訪れる人がふえているそうで(韓国人もふえていることを願う)、お供え物など残って古くなったのをとりのぞき、みんなで手分けしてきれいにする。

P1000926
朝鮮は土葬なので、お墓の実体は後のこんもりとした土饅頭。

P1000916

韓国式祭祀(チェサ)の準備はすべてガイドの姜さんがととのえてくださった。

韓国式礼拝の仕方は林業研究所でお世話になった白さんが自らおしえてくださる。

これにならって全員が巧さんのお墓の前で、ぬかずく。

とても自然な気持ちで頭をさげた。
写真の中でしかしらない巧さんを身近に感じた気がする。

この奇跡のような人間が、確かにこの地に生き抜いたのだ。
そして、ここに眠る。

この墓参りこそ、今回この旅に参加した一番の理由だった。


P1000928

とても彼のように生きることはできないが、人間として背筋を伸ばさなければならないとき、ふと彼の生き様を思い出すことで背中をおしてはもらえまいか。


P1000936

お参りのあとはお供え物をみんなでわけていただく飲服という習慣が韓国にはある。


P1000937

基本的になまものなので、栗も生で口にする。
お米のケーキのような物は薬食(ヤクシク)といってお盆の時に本来食べるものだそうな。

P1000939

これからもずっとこの丘に眠り続ける巧さん。
お別れの時です。


P1000943

その墓地で採取した葉(ドングリ系か)を押し葉に。
見るたびに、いつでもあの忘憂里の丘にふいていた風を思い出せるかな。


「巧さんの生涯はカントのいつた様に、人間の価値が、実に人間にあり.それより多くでも少なくでもない事を実証した。私は心から人間浅川巧の前に頭を下げる。」

(安倍能成:浅川巧さんを惜む 「京城日報」1931年4月28日〜5月6日)


   *    *    *

今回ご一緒させていただいた方々はそれぞれの方面で浅川兄弟に興味をもっておられ、熱く彼らのことを語れたのはうれしい体験でした。
なにより現地に何十回も足を運んで韓国人よりもよく現地事情を知っているといわれ、豊富で誠実な人脈を築いてこられたこのツアープロデューサーの山本先生には驚きでした。
こんな熱い研究員さんがいるから、最近高麗美術館、メジャーになってきてるんですね。
そして楽しく気持ちよく旅することができたのは現地ガイドの姜さんのお人柄のおかげです。
これまた誠実を絵に描いたような白さんに、ちょっとだけ巧さんの面影をかさねたりして。

皆々様、ここに深く感謝いたします。


2012年10月19日 (金)

「浅川巧日記」を歩く〜韓国2012(中編)

かくて浅川兄弟の時代、青磁のその技法は朝鮮では失われてしまっていた。

兄の伯教は朝鮮中の窯場を回って調査していたが、いつの日か池 順鐸(チ・スンタク)という少年を手伝いとして連れて歩くようになる。

伯教や柳宗悦は、彼に失われた朝鮮青磁、白磁の美しさを説き、それを復活させようと決心した彼を叱咤激励した。
やがて十数年の時を経て、池 順鐸は500年ぶりに朝鮮青磁をこの世によみがえらせた。


P1000857
のちに朝鮮陶器で人間国宝となった故・池 順鐸氏その人である。

彼の出身地であり、かつての朝鮮古陶の故郷、現代に復活した陶芸村として約300の窯場がある利川(イチョン)。
ソウルから車で薬1時間。
ここに彼の窯場がまだ残っているのを訪ねる。

P1000852

登り窯。

毎度漫画の話で恐縮だが、「へうげもの」で秀吉の朝鮮出兵の折、織部が朝鮮で登り窯という新しい技術を目の前にして驚く、というシーンを思い出す。


P1000856

池氏は青磁のみならず、白磁や粉青沙器もたくさん焼いた。

それらがいくつか展示されている。

P1000859

白磁の大壺。
手の大きさと比べてね。

思わずなでなですりすりしたくなるような、、、、

P1000861

秀逸はこの萩風?井戸茶碗。

井戸茶碗は日本の茶人に愛されたが、朝鮮には一つも残っていない、というこの不思議。

利休の時代、日本で人気になったこの井戸を、注文を受けて焼いていたのが朝鮮の倭館や借用窯だと言うが、これを現代にそのまま置き換えて、本物は手に入りそうもないので、これなら、、、、やっぱり人間国宝ともなると無理かcoldsweats01

同じく利川に窯を持ち、高麗青磁では現在韓国の第一人者、金正黙(東谷)氏の窯をたずねる。
彼の作品は多く国宝になっているとか。

P1000844

登り窯で息子さんの説明を聞く。
窯をたく松の木の薪がたくさん積み上げられているのが印象的だが、現在この薪も輸送にかなり費用がかかるようになったとか。


P1000845
窯場の横には失敗作をわった破片がいっぱい。
一個もらえないだろうか?coldsweats01

P1000840

青磁の象嵌部分に白い釉薬を埋め込む作業。

P1000841

右:作業前
左:作業後

これを素焼きして、最後に青磁の釉薬をかけてまた焼き、完成する。

P1000847

国宝級のものはさすがにないが、手頃な作品がこちらでもとめられるので、抹茶茶碗を一つもとめた。

分類でいえば粉青沙器、剥地という掻き落し手法を使ったもので、金氏御大にてづから箱書きをしてもらう。

ついでにあつかましくも銘をお願いして、つけていただいたのが「野菊」。
読めないが、ハングルで書いてもらった。

この茶碗をとりだせば、野菊の咲く季節、韓国に巧さんの足跡を訪ねたことをいつも思い出すにちがいない。


P1000850

ひとなつっこい、ここのわんこ。


さて、場所かわって広州(クァンジュ)へ。
ここはかつて官窯であり、王宮で使われる焼き物ばかりを作っていたところ。

P1000870

ここには京畿陶磁博物館がある。さすが焼き物の町。


京畿道にある初期青磁や白磁から近代・現代陶磁に至るまで、資料収集・保存・研究・展示を目的とする施設。

P1000871

ここでもう一度朝鮮陶磁の歴史のおさらいをする。


12世紀、中国の影響を離れて独特の「翡色(日本では秘色とも)」の高麗青磁を作った時代。
14世紀李氏朝鮮の成立とともにさかんになった粉青沙器(三島、粉引、刷毛目など)の時代。
16世紀からこれに取って代わった白磁の時代。


韓国では壬申倭乱というそうだが秀吉による文禄、慶長の役は焼き物戦争とよばれ、多くの朝鮮陶工が日本に連れてゆかれ、一時陶磁器産業は廃れる。

P1000874

これは当時、倭人によって窯場が漢江支流の奥へ奥へと追いやられていった窯場の場所の変化を示した地図。


江戸時代にはいわゆる「高麗茶碗」を日本向けに作っていた。

19世紀〜の歴史的混乱の中、朝鮮陶磁が廃れていった時代に彼ら、浅川兄弟はその美しさを再発見し、地道な窯場の調査をした、、、というわけだ。


P1000873

まもなく始まる特別展のためにすえられたオブジェはもちろん白磁だろうな。

そう、実はこの日は休館日だったのだ!
にもかかわらず入館できて説明まで聞けたのは、山本先生の力以外のなにものでもない。


P1000883

もう一つ、休館日をむりに入れてもらったcoldsweats01分院陶磁器資料館。


分院は130年間続いた朝鮮時代最後の官窯であった。


P1000879

おびただしい古陶磁の破片。

P1000880

発掘の様子を再現したものと(お休みにも関わらず)説明してくれた学芸員さん。


P1000881

破片ではあるが、こんなに無造作においてていいのか?

P1000882

ここにこんなポスターを発見し、うれしくなる。

右端の白磁蓮花紋大壺は安宅コレクション(現・大阪市立東洋陶磁美術館)のシンボル。
伯教さんがソウルに家をたてるため、手放したもの。

ハングルはさっぱり読めないが、きっとそんなことは一行も書いていないのだろうなあ。


P1010007

施設として最後におとずれた国立中央博物館。
なんというでっかい物を建てたものだ!

しかも無料!!!

朝鮮総督府の建物を使っていた時代の紆余曲折を経て2005年に竣工した博物館は韓国の威信をかけている感じがひしひしと。

P1010012

小学生やら中学生やらが来る来る。
それでもすかすかするくらい広い。


P1010019
三島(粉青沙器)

私たちが見るのは朝鮮古陶磁のコーナーだけだが、それでも広い。

P1010033

白磁コーナー。


P1010037

このあたりが浅川兄弟や柳の朝鮮民族博物館にあったものか。
たぶんここにも彼らの名前は書かれていないだろうなあ。

P1010043

このトックリの下の部分(もちろんこれは、それそのものではないよ)を伯教は初対面の柳へのおみやげとし、それから柳は民藝という道を歩み始めた記念すべき白磁。(秋草紋面取壺)


そして、、、


P1010034

白磁の人。

次回、今回のツアーのハイライト、巧さんのお墓へのお参りのことを書こうと思う。

「浅川巧日記」を歩く〜韓国2012(前編)

(これまでの浅川兄弟の記事:浅川兄弟ってだれ?という方に、ちょっとした入門編、、、かも)

浅川兄弟との出会い

東洋陶磁美術館:浅川兄弟の心と眼

映画「道〜白磁の人」

 墓碑:「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に 生きた日本人、ここ韓国の土となる」

P1010034
(ソウル国立中央博物館)

浅川伯教・巧兄弟と初めてであった高麗美術館の見応えのある展示。
これによって彼らの仕事のみならず、とくに朝鮮の土となった弟の巧さんの生き方にとても心惹かれた。


生前の彼を知っていた人たちは日本人であれ朝鮮人であれ、彼の人間性を愛したという。
(とくに民藝への道を彼らによってひらかれた柳宗悦の追悼文はほんとうに泣かせる。)

そして後世のわれわれも、その日記やゆかりの人々の回想によって、また彼を敬愛する。

映画「道〜白磁の人」はそういう人々の努力によって日韓合作で作られたのだ。
この映画の公開記念講演会にでかけて、高麗美術館研究員山本先生の話をうかがう。

そこで美術館主催・山本先生プロデュースかつ講釈付という「浅川伯教・巧兄弟、柳宗悦ゆかりの地をたずねる」ツアーを知り、仕事をうっちゃって(coldsweats01ご迷惑をおかけした諸氏にごめんなさい)でかけたのはいうまでもない。


P1000779

ソウル観光名所のひとつである景福宮。
以前も行ったことはあるが、ほんとうになにも知らなかったな、と思う。


P1000778

宮殿の入り口の正門、光化門。

1910年の日韓併合後、朝鮮総督府がこの門の取り壊しを検討したとき、「失われんとする一朝鮮建築のために」という評論を書き、それに強く反対したのはかの柳宗悦であった。
それによって光化門は正面から移築されることによって破壊をまぬがれたという。(後に朝鮮戦争で焼失)

現在の光化門は2010年に位置を修正して再再建されたもの。


(ちなみに今観光客が歩いているところはかつて朝鮮総督府の建物が偉容、あるいは異容を誇っていた。その後博物館になったが紆余曲折、侃々諤々の議論の後、金泳三大統領が撤去を決めた。)

P1000785

これも以前は軽くスルーしてしまった緝敬殿(しゅうけいでん)。

浅川兄弟とと柳宗悦が中心となって奔走し設立した朝鮮民族美術館があった場所がここだったとは。
(そんなこと景福宮のパンフレットにも書いていない!)

当時の中の写真を見たことがあるが、建物自体は修復されたものなので、残念ながらもう面影もないであろう。
いかんせん、時が経ちすぎて、その後の朝鮮の歴史も混乱しすぎて。

P1000780


この五重塔のような建物は景福宮内にある国立民族博物館。

朝鮮民族博物館のコレクションは、戦後アメリカ軍がその価値を認め民族博物館へ吸収させたが、その後転々と紆余曲折を経て(先ほどの朝鮮総督府の建物内にあった博物館にあった時代も)、この民族博物館、国立中央博物館などへ流転していった(らしい)。

P1000789

ここは民族生活史を小学生の子供にもよくわかるように展示していて、見ていて楽しい。


P1000793

これからの寒くなる季節、村中総出でキムチ作りをする風景。

自国の文化、歴史を国民にしっかり教え込もう、という姿勢は日本も見習うべきであろう。(偏狭なナショナリズムに陥らない限り)


P1000790
李朝家具。(垂涎!)


この美しさにほれこんだのが始まりだったような気がする。

ここから民藝、柳宗悦、そして浅川兄弟への道が開けた。


P1000798

十二弦の伽倻琴(カヤグム)。


『中国の箏や日本の琴が多文化国家のミュージックシーンの一部となった今日でも、沈黙し続ける伽倻琴の声なき叫びは伽倻琴の来歴を韓国という国自体の歴史に反響させているかのようだ。』(


そして、、、

P1000788

なにより心惹かれる白磁の壺。

あたたかいぬくもりのある「白」。

それに多くの人が巧さんを重ねたのだなあ。


P1000820

清涼里(チョンニャンリ)。

かつて巧さん家族が住んでいた場所であり、職場であった林業試験場(現・国立林業研究所)がある場所。

「清涼里から狐が来たよ。」

当時西小門に住んでいた兄、伯教と同居していた母は巧が来るたびにそう言って笑ったそうな。
なぜならすぐに骨董店めぐり(民族美術館設立のために)に伯教を連れ出していってしまうから。


P1000804
林業試験場(現・国立林業研究所)。

ここで働いた巧は林業研究員としても画期的な「露天埋蔵法」という発芽方法を発見するという業績を残している。

当時、彼が樹齢30年ほどの松の木をここに植樹した。

その木が80年ほどの時を経て、ここにある。

P1000809

同じ時期にいっしょに働いた試験場の人、彼を直接は知らないが先輩方に話をきいていた後世の職員たちが、何年も何年もこの木を大事にしてきたことを思うと、ふと熱い思いがこみ上げる。

日本による植民地統治という歴史がありながら、なお、それだけ朝鮮の人に愛された巧さんという人。


P1000816

あなたが見ていた空もこんなに青かったでしょうか。

P1000819

林業試験場を案内して下さったソウルの「浅川伯教・巧兄弟記念事業会」副会長の白(ペク)朝鍾さんと現地ガイドの姜さん(明るい彼女のおかげでとっても楽しく勉強できました!)。

この石碑は国立林業研究所になってから初代の所長だった趙在明氏の記念碑。
巧さんが亡くなったあとに生まれ、面識がないにも関わらず、戦後巧さんのお墓をずっと守ってこられた方。

ここには朝鮮半島にあるすべての樹木があるそうで、巧さんはそれらにすべて名前をつけたとか。


おりしもカササギ(韓国ではカチ)の鳴き声を聞く。
日本では天然記念物だが、ここでは市の鳥。
カチカチとなくからカチ。
でもシャシャシャシャ、、、、と聞こえた。

P1000823


研究所の向かいは巧さん旧居跡。


P1000822

隣接するなだらかな丘には日記によくでてくる尼寺・清涼寺(当時は文化サロンのような場所だったとか)があった場所。

尼さんの所へ行ってご飯を食べて、遊びに来た妓生とおまわりさんがけんかを始めて大変だった、、、というような日記の記載があったのは清涼寺のこと。


清涼寺は、1899年暗殺されたかの閔妃を後年移葬する場所としてここから移転させられたためここにはもうない。

P1000821

この場所もかつての面影はなく、ハングル文字を発明した世宗大王記念館となっている。


この移転させられた清涼寺までも訪ねる。
(すごいわ、このツアー)

P1000951

市街地の近代的な建物のはざまにある、現在の清涼寺は今でも尼寺。
若い尼さんの話を聞く。猫も聞く。


P1000957

甍のカーブが日本寺院でもなく、中国寺院でもない。
干してあるのは尼さんの作務衣。


P1000961

先ほどの信心深い(?)かわいい三毛ちゃん。


P1000963

二年前からここに住み着いている野良だけれど、「美香(ミッカ)」という名前をもらって、尼さんにはデレデレ。


P1010047

前編最後は雪濃湯(ソルロンタン)。

巧さんの日記にさかんにでてくる朝鮮料理。

牛の肉・骨・内蔵を長時間煮込んで作るスープで、好きだったらしい。

巧さんは友人が来たらよくこれを食べにつれていくのだが、スープに牛の頭などが浮いていて(今ではそんなことはない)ちょっと閉口したという証言もあるシロモノ。

スープ自体は淡泊なので、カクテキやキムチ、塩をいれて自分で味を調整していただく。
こってりが、けっこうクセになりそう。


(中・後編に続く。あと少しおつきあいください)


2012年10月13日 (土)

野村美術館講演会〜「利休にたずねよ」山本兼一氏

お茶をやっている方ならきっと手に取り、読まれているであろうこの本。

P1000765

「利休にたずねよ」

作者の山本兼一さんはこれで直木賞をとらはりました。

本日の野村美術館の講演会は彼をお招きして。とても楽しみ。


この本は、利休の切腹の場面から逆に時代を順にさかのぼり、当時の綺羅星のごとき茶人らの独白で利休その人となりをうかびあがらせ、最後に、なぜこれほど利休は「美しいもの」に執着したのか、その原点が作家の自由自在なイマジネーションで明らかにされる物語です。

夢中になって読みました。

出てくる登場人物が日本史、茶道史で有名な人ばかりなので、その人物たちにどのように血をかよわせるのかが、腕のみせどろですね。(秀吉、家康、三成はもとより、織部、忠興、宗二、古渓和尚、宣教師ヴァリニャーノまで)

ほかにも松本清張賞をとった「火天の城」は映画化されましたし、江戸時代の京ことばがはんなりとして、舞台となった寺町あたりの風情がめにうかぶようなとびきり屋見立て帖シリーズなどもお書きです。


P1000757

私とほぼ同年代、京生まれ、京育ちの京男ゆえ、お茶はずっとお稽古されているのかと思いきや、実は利休の物語を書こう、とおもいたってから初めて数年お稽古されただけだとか。
(それであれだけ書けるんだ〜coldsweats02


戦前は、京都のお寺も今のように観光資源ではなく、お高くもなく、普通に学生を下宿させていたそうで、山本さんのお父上も大徳寺の聚光院に下宿されていたそうです。
結婚後、山本さんが生まれた後も、聚光院のご住職は大家さん的な存在だったようで、子供の頃からよく遊びに行かれていたとか。

聚光院と言えば、利休の墓があり、かつては利休自刃の場といわれた(後年否定されている)閑隠席がある塔頭なので、山本さんが利休を書こうと思われたのは、必然だったのかもしれません。

(ちなみにお父上は下宿中、閑隠席でよくお昼寝されていたとか。ええ時代だったんですねえ。うらやましい)

なので、お茶のお稽古も聚光院(表千家)へ通われたのも必然(^_^;

P1000761(南禅寺:野村美術館のお隣)


利休のわび、さびとえば、一般的にはそのイメージは枯れて淡々とした感じなのだが、利休好みの道具、真塗り手桶水指、利休型棗の曲線に山本さんはえもいわれぬ艶っぽい、なまめかしいものを感じられたそうです。
それが利休について書こうと思ったきっかけだったとか。

ただ、枯れた人ではない。
ある意味悟りをひらいたひとであるが、悟りの境地とは決して枯淡なものではない。
すざまじいパッション(情熱)の人であろう。


利休が生きた時代、それは日本史上でも類を見ないダイナミックな時代であったこと、その時代背景についても海外にまで取材に行って調べられたそうで、その取材話もまじえていろいろおもしろい話をうかがう。


私は(愛読書の)「へうげもの」の織部のセリフを思い出しました。

「なんというすざまじい時代におれは生きておるのだ。」


P1000762(野村碧雲荘わきの疏水分線)
イエズス会のヴァリニャーノの章では、かれは「日本人が、鳥かごの水入れくらいにしかならぬ土くれ(=茶入)に城一つくらいの金をはらうのは理解できない。」というくだりがあり、実際彼の日誌にはそういう日本人の(理解しがたい)美意識について否定的に書かれており、その抜粋の朗読もきかせていただきました。

物語では、ヴァリニャーノが

「日本の貴人方が、なぜそのようなちいさな壺(茶入)に、大金をお払いになるか、理解できるヨウロッパの人間はおらぬと存じます」

それに対し秀吉は

「南蛮人がなぜ、ただの石ころ(=宝石)に何千ドゥカードもの銀を払うのか、わしにはまったく理解ができぬ。」
「茶入ならば、すくなくとも茶を入れるという役に立つ。宝石は、ただの飾りになるだけでなんの役にもたたぬではないか」

秀吉万歳!happy02

いや、洋の東西の美意識、価値観の違いがよくあらわされていてとてもおもしろい。

さて、最後になぜ秀吉は利休に死を命じたのか。


「ただ、キライだったのでしょう。」

coldsweats01実も蓋もありませんが、案外真実はそんなところなのかも。

秀吉のまえで、平伏はしながらも、「美に対する意識は私の方がはるかに上。おまえはなにも美のことがわかっちゃいない。」と心で思うことが唇の端ににやっとでていたのではないか。

そして利休の美への我執といえるほどの追求の源が高麗の美少女への恋と死であった、とするのは作家にだけ許される自由なイマジネーションの世界。
その美しいイマジネーションの世界で、本の表紙にもなっている一本の木槿の花は、利休の美をその生涯にわたってささえた象徴。

その言葉もうまく通じない少女と若き日の与四郎(利休)のやりとり、「槿花一日自為栄(木槿は一日しか咲かないがそれでもすばらしい栄華である)」という白居易の漢詩で心が通じる場面が美しく、また新たな利休像を造られたな、と思います。

なんでもまもなく映画化されるそうなので、だれが利休をやるのか、とっても楽しみ。

とりあえず、もういちど読み直してみなければ。


P1000764


(ちょっとプチ旅行にでます。お返事等おそくなります。ごめんなさい)

2012年10月11日 (木)

秋草花の庭・詩仙堂〜金福寺

学生時代に一度行ったきりの、一乗寺なる詩仙堂へ。

P1040403

なぜか?
先日から煎茶にちょっとかぶれていて、煎茶つながりで、江戸初期の文人茶人、石川丈山を思い出したの。

P1040460
詩仙堂はその丈山の終の棲家、隠棲所。

文人らしい簡素な門がまえ。

P1040408

紅葉には早く、静かな境内。

P1040409

禅寺の坐禅堂によくかかっている板木。
時間を知らせたり行事を告げる物。

「生死事大」


「光陰可惜 無常迅速時人不待」と続きます。
P1040415

この座敷からの眺めがよいですね。
とても市中とは思えない。


さて、石川丈山の人となり、詩仙堂の由来については成書にゆだねることにして、ここでは静かに秋の庭を楽しもう。

P1040410

赤の水引草。

P1040423

詩仙堂名物、鹿威し。

P1040429

ちょうどこの白い花が盛りで、たくさん咲いている。


P1040421


試験管を洗う細めのブラシみたいでかわいい。
しらべてみたら「オオバショウマ」(大葉升麻)。


P1040430

紫陽花のドライフラワーかと思ったが、どうやら秋咲きのアジサイの仲間らしい。


P1040433

籬の菊。

採菊東籬下 悠然見南山 (陶淵明)

P1040435

酔芙蓉の大きな木。
飲むほどに赤くなるよっぱらい、時間が経つほどに紅に色づく花びら。

P1040442

秋の七草、その名もゆかし、藤袴。

P1040439

庭にある茶室、残月軒。


かすかに見える残月の襖絵。
薄野から出て薄の原に沈む、武蔵野の月か。


P1040443

秋の空を背に、大株の尾花。

P1040444

池には魚影。


P1040447

人影はなく。

P1040417

庭の白砂は朝、きれいに掃き清められていたらしい。
踏んでよいものかとしばし悩む。

P1040448

青柿はまだ色づく前。

P1040449

ほんのり色づくはクチナシの実。

P1040450

お!
見事な虎石!

P1040456

庭を一巡りしてふと見上げると、詩仙堂のシンボル、嘯月楼 。

興が乗れば、即興で漢詩を作り、ここで月に嘯く、高歌放吟す。


P1040457

あ〜、そこの君、君。

庭を眺めてなにか一句できたかね?
漢詩はさすがに無理だろう。

私も五七五や五七五七七をひねってみたが、駄句ばかり。

P1040462


秋の庭を堪能して詩仙堂をあとにする。
隣接する一軒だけあるお土産物屋さんも、良い感じにひなびている。(左京区なのに。左京区だから?)

そのまま学生時代にたどった道を踏襲して、近くの金福寺へ。

P1040464

ややこしい道だから、うまくたどり着ければおなぐさみ。


P1040470

この寺の住職と親しかった芭蕉はよくここを訪れたそうで、彼の使っていた庵を「芭蕉庵」と名付ける。

P1040471

小高いところにある芭蕉庵からは洛中がのぞめる。


P1040479

芭蕉をしたった与謝蕪村の墓もここにあるほど、芭蕉ゆかりの寺なのだけれど、私的には村山たか女の寺。

P1040469

NHK大河ドラマの第一作、「花の生涯」で村山たかを演じたのは最近亡くなられた淡島千景さん。

え?しぇるさんそんな歳なん?
と思われた方もcoldsweats01(まあ、ええ歳ですが、なにか)

いえいえ、まだまだ幼少のみぎりで、話の内容はまったく記憶にありません。
誰が主人公だったのかさえ、当時はわからなかった。

でも最終回、捕縛されて三日間、三条河原で晒し者にされたときの淡島さんの姿が幼心にインパクトがあって、記憶に残っている。

晒し者といえば、だれかは石を投げたりののしったりするもの。
ところが、たか女のあまりの美しさ、誇り高さに、みとれるばかりで、だれも悪さをしなかったとか。

P1040474

後に大学生になって、舟橋聖一の原作を読んで、あれがどういう場面だったのか、やっと理解した次第。

井伊直弼、その懐刀の長野 主膳に愛され、隠密として活躍し、捕えられたのちこの寺で尼として生涯を終えた村山たか。

P1040482

たか女が寄進した弁天堂。
弁天様は彼女をほうふつとさせる美しさでありました。

高麗美術館〜上賀茂神社〜霜月さん

高麗美術館は北山通りよりもさらに北。

こぢんまりとした私設美術館ですが、お気に入りでよくふらっと行きます。

P1000521
11月までの展示は「朝鮮王朝の意匠と装身具」。

真剣に見たことはないのですが(あ、「ファン・ジニ」はしっかり見たかcoldsweats01)韓国時代劇TVの衣裳の世界かな。

平安時代の十二単の韓国版のような衣裳とか、いちおう女子なので、とても興味があります。
P1000524

それにキセルのような形の長くて大きな簪(ピニョというらしい)を一本さしているのもTVで見て、あれはどうやって髪をまとめているのだろう、、、と思っていましたが、そういう簪も展示されています。

大きさ、材質、色は、身分、年齢、季節によって細かく使い分けがされていたよう。
貴族に当たる両班(ヤンバン)の妻は翡翠、金、玉など。庶民の妻は角、木など。

P1000553

女子の帯飾りにあたるのがノリゲ。
これもきれいです。


不老長寿などの幸福の願いがこめられていたそうで、房は1本〜3本のものがあります。

さらに香袋や護身用の銀粧刀、針入れ、墨壺、小筆などの飾りや、伝統組紐メドゥブなどで飾り付け。

P1000570

あ、そういえばうちにもあったわ。
李朝家具を買ったときにおまけでくれたもの。


ちなみに蝶は韓国では吉祥紋とされるようで、ノリゲのみでなく、簪、衣裳、家具などにもよく登場します。


P1000522


さて、ここから御薗橋まではすぐ、御薗橋をわたればもう上賀茂神社です。


P1000527

上賀茂神社は駐車場が広くて安いので、行きやすいというか、結構来てますね。

P1000528

でも私が来るときはたいてい神馬くん、お留守。

P1000534

境内を流れる御手洗川のほとりで、流水の音を聞きながらほっとなごむのもいいですよ。
水の側っていいですよね。

P1000545

同じことを考えている人は多いので、三々五々みなさん川辺にすわって写生をされたり、、、、

手作り市の時にはこのあたりまでびっしりお店が並ぶんです。


P1000536

川べりにさく草花をみるのも楽しみのひとつですが、この日はこんなものを発見。


どうみてもブナシメジ。
食せるかな?


P1000547

このあたりは五山送りの一つ、船形山が近い。

P1000549

ここまできたら、霜月さんにもいかねば。


季節の干琥珀がとっても上品で美味しいお店です。


P1000552

今の季節は紫蘇琥珀と、秋やまじ。
秋やまじは柿の干琥珀。柚子の香りもちょっぴり。

美味しすぎて写真に撮るまもなく完食したのはこちらの栗餅でした。

餡の分量、甘みがとても上品で、いままで食していた栗餅はなんだったのか?と思うほど。

これで150円なんて、なんてスバラシイんだ!

2012年10月 9日 (火)

粟田神社・夜渡り神事 2012

おしかけ氏子coldsweats01であるところの粟田神社

今年の夏も境内の納涼ビアガーデンもきっちり参加させていただきましたし。

昨年は昼間におこなわれる神幸祭を楽しみましたが、夜渡り神事は風邪で断念。
P1000658

今年はそのリベンジですわbearing


P1000649

三条通へでると、居祭所の剣鉾を見ることができます。


P1000656
ちょうど一の鳥居から道を清める松明が三条通へでてきたところでした。(18時すぎ〜)

P1000661

青森のねぶたの原型と言われる大燈呂もスタンバイ。
(江戸時代に絶えていた風流灯籠を、平成になって、京都造形芸術大学共催で大燈呂として復活)


P1000659

いよいよ夜渡り神事へ出発。

P1000660

今回新調されたえべっさんの大燈呂。

P1000671

一行は青蓮院前を通って、知恩院前の瓜生石のところまで。


P1000675

子どもたちも行列に加わり、笛や太鼓でにぎやかに。

その行列のかけ声が

♪ 「じゅうにんでほ〜い、出雲でほい」

最初「住人」??
と思っていたのですが、ほんとうはこれのことでした。


P1000676

提灯が12こついた十二燈のことを「じゅうにん」とよぶそうで、出雲地区の十二燈がいくよ〜、という感じでしょうか。


P1000685

瓜生石の前にもうけられた祭壇を大燈呂が巡っていきます。

ちなみに瓜生石は知恩院黒門前にある、不思議な石で、知恩院ができる前から埋まっていたそう。
表面に出ている部分はその石のほんの一部に過ぎず、地下に巨大な部分がうまっているとも。

粟田神社との関係は、江戸初期に石の上に出現したといわれる御金札の言い伝えによります。
その金札には「感神院新宮(粟田神社の旧社名)」と銘があったために粟田神社へ納められたとか。


P1000693
知恩院さんご入場。黒門から。


神事は「れいけん」ともいわれるのですが、その言葉の由来は不明。
おそらく「霊験」であろうといわれています。


P1000694

神官と僧侶が同席するこの不思議。

神仏習合の風習を今に残しているのでしょうか。

神官による祝詞、僧侶によるお経、、、を交互に。
なんだか妙な気がしますが、ありがたさも二倍?かもcoldsweats01
P1000707


祭壇の両脇には、もっとも由緒のある阿古陀(カボチャ)鉾と地蔵鉾。

左手前が瓜生石。


P1000690

行列も後ろに控えて神事を見守ります。


P1000701

黒門前には大松明。

P1000711

ついで神官を先頭に瓜生石を3回巡拝。

P1000716
ご一同様も太鼓や笛の音に合わせてにぎやかに。

P1000719

十二燈もいくので

♪ 「じゅうにんでほ〜い、出雲でほい」

さらににぎやかなのがこちら。


P1000730

御神輿の鳴り鐶を持った男二人が

ほいと〜ほいと〜

P1000732

よ〜いよ〜い

で二人が四人になり、新しい二人にバトンタッチ。

その間、しゃんしゃんと鐶鳴りのすがすがしい音が。
これを聞くと祭魂に火がついちゃいますねhappy02


P1000736

一連の神事がおわり、黒門へおかえりの知恩院様。

これから大燈呂はじめ、祭の一行は氏子中を夜10時ごろまで練り歩くのです。

残念ながら、おしかけ氏子だから、うちのほうにはけえへんなあsad


2012年10月 7日 (日)

大山崎秋茶会〜「半輪秋」

  峨眉山月半輪の秋
  影は平羌の江水に入りて流る
  夜清溪を發して三峽に向ふ
  君を思へども見えず渝州に下る
 
  (李白「峨眉山月歌」)


今回の秋の大山崎山荘の中国茶会のテーマは「半輪秋」。

半輪すなわち上弦の半月。

P1000571

昨年春の春在来の茶会は青楓を楽しみましたが、今回、紅葉にはまだ早いもののその気配は感じます。

P1000572

加賀正太郎の夢のあと、「大山崎山荘」(登録有形文化財)。

P1000648
今回会費を払うと、こんなピンバッジがhappy01参加者の目印。

まずは山荘の2階のテラスで、、、


P1000575

木津川、保津川、桂川の三川合流のパノラマを楽しむ。


P1000576

おや、庭園に陰陽の大きなオブジェが??


P1000592

と思ったら、これは大きなテーブルでした。

たしかに「陰陽太極」紋は半月の組み合わせに見えますね。
庭園をめぐって3席あるので、そこで持参した茶杯にいれてもらって、この陰陽テーブルでいただくもよし、立ち飲みもよし。

P1000587

こちらは「半輪・黒」の席。
P1000589

陰陽の陰=黒茶、つまり普洱茶(プーアル茶)。(普通固形の団茶の形で売られている。茶馬古道の時代からの伝統)

しかも熟茶(コウジカビで発酵)と生茶(経年により熟成)をそれぞれいただく。
P1000590

生茶は1980年のビンテージ物。
熟茶のあとでいただくと、まろやかでさわやか。
はっきり、ちがう。

ちなみに雲南省で普洱茶といえば生茶をさすとか。
私たちは熟茶の方をプーアルと思っていたけれど、もっと奥が深かったんですね。

P1000594

白茶に行く前に、桂花湯でお口をリフレッシュ。


P1000595

今まさに盛りをむかえようとしている金木犀の花、それを乾燥させた物。

金木犀のあの香りはほとんどしないのですが、お湯をいただくと、なぜか口中さわやか。

この桂花、黒茶や白茶に投じるとまた味がかわるのです。
こちらも試させていただきました。

P1000596

こちらの席のお菓子は陰陽クッキー。

あの宮川町の蒼穹さんのでした。


P1000603


こちらは陰陽の陽=白茶席。

白茶は日光を遮断して作られた普洱茶生茶の特殊な物。


P1000602


ちなみに玉露や碾茶はまだ茶樹の状態で遮光しますが、白茶は摘み取った茶葉の段階で天日干しでなく、夜干し、影干しをして製茶するもの。

いただいたのは「月光美人」と「白毫銀針」。

P1000604

いずれも黒茶よりさらに洗練され上品な印象。


P1000605

この茶杓置、いいでしょlovely
中国で見つけたんですって。

P1000606

こちらの席のお菓子は紙ナプキンも陰陽。
お菓子も陰陽。

P1000579
庭園席をあとにして、整理券をゲットしておいた茶室トチノキ亭の「新秋新茶席」。

ここをつくった加賀という人はお茶も愛していたので、邸内にいくつかの茶室を作っているのですが、いずれも立礼席、というのがおもしろいです。

P1000609

トチノキ亭はこんなふうに、あたかも樹上茶室の趣。

P1000617

こちらのお茶席はなんと、好日居さんが!
(いつもこちらの中国茶会ではお手伝いにこられます)

(悪目立ちする、デカイ茶杯=私のcoldsweats01


P1000614

今年とれたばかりの安渓鉄観音茶。

くるくると丸まった茶葉はよい香りがします。

これをお茶にしていただくと、さらにすばらしい芳香がたつのです。

飲んだ後の茶杯に残る香りも忘れずに聞く。


P1000620

この席のお花は菊花。
花器は竹の根っこでつくった「稲塚」。

お菓子は、、、

P1000616

波照間産の黒糖なんですが、それぞれがたたき割っていただくという趣向。

これがけっこうむつかしくて、力任せにやってもだめなんです。
かえって小さい子のほうが上手に割ったりして。

P1000622

トチノキ亭の蹲居。

この柄杓、最高lovely


P1000623

最後は小高いところにある茶室、彩月庵へ。


P1000625

外構はどうみても数寄をつくした小間?という感じなのに、こちらも立礼用の茶席。


P1000628

茶室の下を流水が流れ、青楓、紅葉を見下ろせる、というなんとも風流な席です。
P1000642


P1000635

こちらでいただくのは、とっても貴重であまり市場にでまわらない「蜒香紅茶(いえんしゃんこうちゃ)」。


P1000639

蜒はウンカのことで、この虫がついた茶葉は反応してマスカットのような芳香をだし、それがかの有名な「東方美人茶」なのですが、それでつくった紅茶、ということでなお、貴重。

香りは東方美人、味は紅茶という不思議なお茶になっていました。
それにしてもたまらなく美味しい。

これは日本では手に入らないものか?


P1000636

こちらのお菓子は北京の伝統菓子、蜜三刀。

P1000638

裏に刃物で三筋ついていることから。


P1000630

こちらの花器は半輪ではなく、満月。
秋の花がたくさん。

P1000646

それにしてもすてきな茶室。

P1000582

秋の半日、茶杯をもってあちこちそぞろにお茶をたずねて。
佳き一日哉。

2012年10月 5日 (金)

自主稽古三昧

本来ならば金木犀の香りがしても良い季節ですが、ちっともただよってきませんね。

かわってこちらはお彼岸すぎて盛りを迎えた彼岸花。

P1000466

ここは毎年咲く場所。

さて、どう考えても時間が足りない、、、、

秋は、仕事休みの日には必ず茶会か、お茶友と、あるいはひとりでお茶の自主稽古。

若干ゆっくりする時間がほしいと思わないでもないが、疲れつつも点前のロジックを考えるのは楽しい。


P1000555

最近はまっている御所籠。(色紙点て)

茶箱点前は大好きなのですが、御所籠点前はきちんと教えてもらったことがありません。
(どこのお社中もあまりされないようで)

本を見ながらの自主稽古をしてきたのですが、複雑に思えた月点前が簡単に思えるほど、ややこしい。

でもお茶友さんたちに一度おしえていただいて、そうか、そういうことだったのか!とわかったことがたくさん。


なので、

「今月は御所籠月間」

と決めましたbearing

自宅でお稽古。


P1000557_2


道具を広げていく順番がややこしかったのですが、よい覚え方を伝授していただく。

「おみやげ3つ たこ3つ」


何のことかと思われたでしょう?

おみやげ3つは籠の蓋の上に、帛紗、茶杓、茶巾箱の3つをのせてしまうこと。
たこ3つはひきつづき古帛紗をとりだし3カ所の定位置におくこと。

これなら覚えられるわhappy01


P1000558


Pic11


二つの茶碗の間にはさむ「へだて」。

私はこれをRI(放射性同位元素)マークと呼んでおります。

P1000560

道具をすべてひろげたところ。

色紙を散らした如く、、、なので色紙点て。

これもなかなか雅です。

さりながら、まったく本を見ず、すらすらできるところまではたどりつきません。

今月いっぱいかけてがんばりますわ。
(まあ、おぼえてもすぐ忘れるのですが、忘れても、すぐ思い出せるところまではもっていきたい)

さて、今日はお茶友さん宅で、自主稽古。


P1000562

この夏のあまりの暑さに負けて、夏着物はほとんど着ず、単衣にいたっては9月まるまる袖を通しませんでした。

なので久々の着物です。
(よって帯がゆがんでます?coldsweats01


P1000566


先日ゲットしたばかりの志ま亀さんの帯揚げ、初おろし。


お稽古場ではまずできない唐物、盆点の連続点前。

こうして続けてすると、その違いがほんとによくわかります。

なぜ違うのか?を考えると、やはり点前所作は論理的にできている、と納得。
論理がわかれば、覚えやすいですし。
(といいつつ、またこれも忘れるんですけれどcoldsweats01
人生死ぬまで勉強勉強。

P1040400


四ヵ伝はちょっと苦手なので、こういう機会がいただけるのはほんとにありがたいです。


書いては消し、消しては直して、、、で何を書いているのやらわからなくなっていたノートの改訂版を、これを機に完成させよう。


お稽古中、おうちでお留守番組は、、、、

P1040484

ヘソ天でくつろいでおいででした。

2012年10月 3日 (水)

平安神宮・煎茶献茶祭と茶会 2012

毎年9月最後の日曜日、平安神宮では煎茶道六流派家元が毎年輪番制で献茶奉祀されます。


P1000488

ほんご近所の平安神宮ですので、台風の大雨をおしておでかけ。(←物好き)

ガッツで和服をお召しの方もたくさんおられましたcoldsweats02

P1000489
献茶会には一般は参加できませんが、そのあと、境内〜神苑の中あちこちにしつらえられた茶席に入ることができるのです。

普段入れないような建物、たとえば貴賓館とか勅使館などにも席が。

券は2000円で2席までなので、本来ならばどこへいくか吟味して2席を選ぶところ、はじめてゆえ事情がよくわからず2席とも立礼席をチョイスしてしまいました。
できれば一方は座敷にしたかった!→来年への課題。

P1000492

こちらは皇風煎茶禮式の遙拝殿の席。

神苑の出口を入って(出口からはいるのもなんですが、、、coldsweats01)すぐの場所です。

雨にうたれる神苑の風情を楽しみながら(このときはまだ台風もあまりひどくなかった)煎茶のお点前をみて、いただきます。

P1000494

桔梗の練り切り。

たしか、煎茶では二服でるので、お菓子は1煎目をいただいてから食べるのでしたね?


P1000497

2煎目は急須ごとでてきました。
この染付は村田森・作くさい。

お点前は茶の湯と大きく道具も異なるので、ものめずらしく拝見。

煎茶道は茶の湯に比べて、江戸時代の文人墨客が愛しただけあって、作法にそれほどうるさくなく、自由闊達なものであると聞きます。

ゆえに、茶の湯以上にいろんな流派があるんですね。
100以上の流派があるとも聞きます。


P1000498

そこまでになったら、もうどうやって煎れても大丈夫(どこかの流派には適う?)なんじゃないかと思うけれど。coldsweats01

それでもせめて茶席での作法、簡単な点前などは知識としてしっておきたいと思うので、近々短期間のお稽古にいってみよう、と思っています。

期間限定、それ以上は深入りする時間が物理的にどうしても足りないので。


P1000490

こちらは額殿。
境内に入ってすぐ左手。

学生の頃、ここで甘酒接待のアルバイトをしたことがあるんですが、またこんなことで来ようとは。


P1000491


ここは小川流のお席。


P1000502

中はこんな感じです。

ここの流派はなんとびっくり!
小さめの茶碗にお茶がほんの数滴しか入っていないのです。

最初玉露かと思いましたが、小川流の特徴らしいです。

その数滴を舌の上にのせたら、ふわっと広がるお茶の凝縮されたエッセンス。

のどまでは届きません。
鼻腔で味わう、、、という感じかな。


P1000504

お菓子をいただいて、2煎目も数滴。

それでもお菓子の甘さを迎え撃つに十分な濃厚さ。

いや、これは初体験。

P1000507

おしまいの後、道具を拝見。
煎茶の道具はどれもこぶりでかわいいな。

食籠の中にでもワンセットごそっと入ってしまいそうなので、セットして常に手元に置いておけそう。


P1000505

テーブルに飾られた茶の花。(ツバキ科)

この季節に花が咲くのですねえ。


P1000500

だんだん雨が激しくなってきた神苑、泰平閣(橋殿)。

いつもは茶の湯の月釜がおこなわれる澄心亭でも席があったようです。

P1000501

こちらも座敷の席。(多分勅使館)

来年はここをねらおう!

たぶんそのころにはもう少し煎茶道を知っていると思うし、、、、(かな?)