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2011年3月 4日 (金)

東大寺修二会〜お水取り2011

今年もやって参りました、この季節。

ブログを始めた年の3月からなので、もう5回目になります。

近鉄奈良駅を降りると、なんと粉雪のまう奈良。
またまた寒い日にあたってしまった、、、、けれど、この寒さがお水取りには似つかわしいのです。

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まあ、足取りはだいたい例年通り。
ちゃんともちいどのセンターの萬々堂通則さんによりまして、この季節限定の上生菓子、「糊こぼし」(これも毎年解説しているような、、、、coldsweats01修二会で御堂に飾られる紙の椿:あるいは糊をこぼしたような白い斑がはいる東大寺・開山堂にある椿)を求めます。

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赤があざやかなやわらかい上生です。
この赤は京菓子ではみられません。よりプリミティヴで力強い感じ。

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陽のおちてきた奈良公園の中をとおりぬけ、

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片岡梅林の梅を愛でつつ、


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浮雲園地をつっきる。
遠景は若草山。


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東大寺二月堂にはもう灯がはいっています。


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例年の如く南側最前列をゲット。

厚着の上に厚着して、貼るカイロをはりまくって静かに日没を待ちます。
なにしろ12月の深夜の春日若宮おん祭の時には死にそうなほど寒かったので、今回寒さ対策は万全。粉雪がちらついてもOK!

しかもその上に(100円ショップで買った)ビニールレインコートを火の粉よけに。wink

次第に人が集まって、暮れていく様子を。(遠景は奈良市街地)


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右手の大きな杉は「良弁(ろうべん)杉」。
東大寺建立に、大きな役割を果たした良弁和尚が、幼少のみぎり鷲にさらわれて、この杉の上にひっかかっていたのを助けられた、という伝説の杉。ただし何代目からしいです。

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すっかり日も暮れ、二月堂の下では「火消し部員」がスタンバイOKのようです。

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19時、周囲の灯りがすっと消えると、二月堂に登る階段に先触れの火をもった堂童子が階段を登って上堂を告げ、またおりてゆきます。

いよいよ参籠所から練行衆の上堂、先払いのお松明がゆっくりと階段を登ってきます。
いつもいつも感動の瞬間。

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まぢかなので、練行衆が差懸(さしかけ:練行衆のはく特製の木の履き物)をタ〜ンタ〜ンタ〜ンタタタタ、、と音高らかに内陣に入る音を聞くことができます。そのあと追うように梵鐘の音。
音だけでも入陣の様子が目に浮かぶようです。


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火はいいですねえ。
たとえいっときでも、いろいろな悩みを浄化してくれるような気がします。


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今年もたくさんの火の粉を浴びて、無病息災で。


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そのあとは、下に落ちたお松明の燃え残りをめぐって争奪戦?
さきほどの「火消し部員」のおじさんが今年は親切で、たくさんこちらへ放り投げてくれたので大豊作でした!

しばらくは外陣で音楽的な読経の声を聞き、戸帳にうつる幻想的な影がゆらゆらゆれるのを見、こうべをたれるのでした。

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日にちによれば過去帳(有名な青衣の女人がでてくるやつ)の読み上げも聞けるのですが、この日は神名帳の読み上げを。

修二会では上七日は大観音、下七日は小観音が本尊とされ、どちらも絶対秘仏で練行衆ですら見ることができないとか。

小観音については有名な逸話があって、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が夢で見た兜率天での行を、人間界でもできないかと考えていると、難波津から生き身の小観音があらわれ、それを本尊として修二会をはじめたというもの。

絶対秘仏で見ることはゆるされない仏ながら、過去数回おこった火災からはお救いしなければならず、そのとき垣間見た人が残した絵が残っているのですが、なんとも神秘的な仏像なんですね。
生き身、、実はいまも息づいているかも、、、なんて思ったりします。

人もまばらになったころ、さきほどお松明が登ってきた階段をおりて帰路につきます。

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実はこの日も奈良国立博物館にて、お水取りの勉強をしてきました。
毎年なにかしら新しい知識を得ています。

知れば知るほど、修二会は奥行きの深い行なのだなあと思うのです。

日にちのしばりから、今はお松明しか見ることができませんが、リタイヤしたあかつきには数日泊まり込みで深夜の行も見てみたい。
まずはお水取りの名の由来になった12日深夜におこなわれる閼伽井屋の若狭井からくみ上げられるお香水の行列。
次に火と水のもっともダイナミックな行、達陀(だったん)。


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こちらは閼伽井屋。
お水取りの12日になると榊が新しい物になり、注連縄にも独特の飾りがつけられるのです。

遅参した若狭の遠敷(おにゅう)明神がおわびに湧かせようと約束し、白と黒の鵜とともにわき出た香水が若狭井だとか。


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鼻のさきが冷たくなるほどの寒気がしんしんとおしよせてきたので、人気もまばらになった二月堂に後ろ髪を引かれながらも別れを告げます。

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「もうお帰りで?」

そうよ、もう寒いからね、鹿さん。


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戦利品(?)をチェック。
部屋中杉の焼けた良い香り。

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遊・中川さんの奈良本店でおまけにくれた糊こぼしの造花を飾ってみましたheart01

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東大寺修二会〜お水取り2011を参照しているブログ:

コメント

お水取り、行かれたのですね。
まさに冬と春を分けるそんな節目ですよね。
糊こぼしの椿、お菓子も美味しそうです。
この造花を昔から欲しいと思っていました。
なんとも美しいですね。

今年もしぇる家のお水取りの記事を見て春が来る…ちゃっかりと無行息災の部分もブログを通じていただきました!

いよいよのお水とり記事! 春ですね~~!
火の粉を浴びて・・・なのですが・・・ビニール?大丈夫なのですか(すみません・・・初歩的質問!)例年・・・そういえば・・・傘に?お洋服に?火の粉が!ということでしたが・・・今年は大丈夫でしたか!
無病息災!私も・・・画面のこちらで~~あやかりた・・い・・(ってそんな~~!甘すぎですね!)
降り落ちてくる火の粉・・・ちょっと怖い感じですぅ・・

このところのしぇるさんの京めぐり♪にも、感心しきりでしたが、リタイアしたあかつきの「しぇるさんのお水とりにかける(スミマセン・・)意気込み」こそには!め~っちゃ勇気を頂きました!
いつまでも・・・パワフルに!ですね!

戦利品いい香りなのでしょうね~!
東大寺は二月堂あたり・・・なんともいいですね。

あ、と気付くとテレビでやっている。
私もしぇるさまのブログで火の粉いただきた気分になります。

いつか生で。。。でも寒さが想像できんcoldsweats01

nageire様

過去のお水取りの記事をみていたら、なんだか毎年同じようなことばかり書いているなあ、、、と。でも、その変わらなさがいいのですよね。
ほんものの糊こぼしの造花、私も是非おさがりでよいから欲しいです。

yuchi様

あいも変わりませず今年も行って参りました。
画像だけですが、火の粉を感じていただければ無病息災まちがいなし!です、きっとcoldsweats01
毎年こうしてアップできることが幸せなんだと思います。

nnya様

それがビニール合羽はすぐれものなんです。
火の粉は表面をす〜っとすべっておちるので、後で点検しましたが穴あきゼロでした!
画面からだけでも無病息災お裾分けできたらうれしい。
リタイヤして寒中、夜にでかけていると「年寄りの冷や水」と自粛をすすめられるかもしれませんcoldsweats01

翌日は橿原市まででかけました。地図をみて、 nnya様の住まれる町とほんのちかくなんだなあ、と思っていました。行った場所も同じ寺内町なんで。

夢風庵様

日にちにもよりますが、早くに行って場所をキープしようと思うと寒中長く待つことになります。寒い中じっと待つのはやっぱりツライです、確かに。でも防寒対策は年々進化しています。(それだけ年々寒さに弱くなってる?)なので今年は対策バッチリ、全然OKでしたhappy01

二月堂のお水取りは奈良の行事として752年から始まっている伝統行事ではあるが、今回は宮城県での最大級の地震があって、世間では大騒ぎをしているのに、なぜ暗幕を張ってやらないのか疑問に思う。
確かに日本の安泰を願っての法要とは言っておられたが、観光客を集めてギャーギャー喚いてやるのはどうかと思う。
あの宮城の悲しい災害の事を思うと、暗幕を張り静かに行をやってもらいたかった。
わたしの意見は間違っていますでしょうか。

名無しさん

お水取りの行は14日間、酷寒のなかで朝から深夜までおこなわれる厳しい業です。3月に入るまでの別火とよばれる潔斎期間をいれると2ヶ月以上におよぶ行法です。
お松明だけをお水取りと思われているのならおおいなる誤解です。
お松明はあくまで御堂で行を始める練行衆の足元を照らす先払いなのです。
深夜に及ぶ行をみる人はほとんどいませんので、そういう誤解をされる方も多いです。
なので、お松明に暗幕をかけるというのは、まったく意味がないと思います。

観光客を集めて、、、といわれますが別に東大寺が集めているわけではありません。
中には純粋に観光として来られる方もおられるでしょう。でも地元、あるいは関西、遠くからも宗教的思いでこの時期に集まる方も多いのです。
私も無宗教者でありながらも、お松明の火を見ると思わず「国家安泰」とまではいきませんが、みんながしあわせであるように、と敬虔な気持ちになるのです。あれは経験しないとわかりません。
このたびはお松明の時に、震災で被災された方に思いをはせながら一人でも多くの方が無事でありますように、と祈った方は大勢おられると思います。
なかにはこの節に騒いでいるだけの観光客もいないとはいいませんが、いつの時代にもそういうはねかえりはいるものです。
別に東大寺の問題ではなく、人としての資質の問題かと思います。

人の非難より、自分にできることはなにかと考える方がよいと思います。
祈ることしかできない今はそれも大切な関わり方ではないでしょうか。
その次の段階で、おのができることを考えていきたいと思います。

名無しで失礼しました。sentoyanと言います。
お水取りの始まりは、当時の東大寺の実忠和尚が笠置の竜穴に入られたところ菩薩様が行をされていて、人間社会で言うと500年続く長~い行である。それを人間社会に伝えようと始まったのが、今のお水取りであり、1回目は笠置寺の前にある正月堂で行われ、2回目から752年から今のお堂で始まったと言われています。
お水取りのいわれはかなり詳しく知っておりますが話すと長くなりますので、この辺にしときますが、戦時中は暗幕を張って行われていました。
なぜかわかりますね。
だから、私はこの様な宮城の最大級の地震で死傷者が出て、尚且つ一万人を越す行方不明者が出てる中なので暗幕を張り静かに祈りの行を続けてほしかったと思った次第です。

sentoyanさん

お水取りの歴史をよくご存じでしたら、あの行は「静か」なものでは全然ないこともご存じかと思います。
お松明だけを隠すことに意味があるとは思いません。
戦時中の暗幕は爆撃目標にならないための灯火管制のひとつであり、まったく別物だと思います。
東北地方は深刻な被害にみまわれ、寒さと飢えと恐怖のなかに取り残されている多数の方々がおられる一方、東京では華やかなライトのもと、(家人が参加する予定だった)オペラ公演が決行されました。
これについても批判をされますか?
繰り返して申し上げますが、人を批判するだけではなにも生まれません。

と、ここであれこれ議論することは不毛と考えますので、この話はこれでおわりにしたいと思います。

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