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2011年3月

2011年3月30日 (水)

嵐山・吉兆

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夕まぐれの嵐山、渡月橋です。

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紅葉の頃はすごい人出だっただろう嵐山あたりですが、今、山は若芽の色でほんのり色づくばかり。

この嵐山畔のご存じ(タイヤ男のガイドブックで3☆)京都・吉兆へ、夕食をいただきに参りました。

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予約時間に行ってみると、すでに入り口にはお迎えの方が待ってくれています。
おお、ここからすでに、なんだかええ雰囲気やなあ。

予約をしたのはあの震災のずいぶん前でした。

その時は「お二階の席しか空いていません。」だったのですが、実際行ってみると一階のお庭の見えるよいお部屋でした。
やはり関東方面のお客さんからキャンセルがあいついだのかなあと、、、。


コンセプトはお茶事の懐石、、、ですので、献立の組み立ても,室礼もお茶事に準じて組み立てられています。

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部屋に案内されると、すでに煙草盆に火がはいって、煉り香が焚き添えられていました。

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まずは待合いでふるまわれる汲み出しの風情で、桜湯。

少し塩味のきいた桜の花びらがきれいです。


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床には江戸時代の文人画家、田能村竹田の軸。

「花〜遠国(とつくに)に咲かぬ桜の神代より ただひとすぢの種のとおとさ」

花は八重桜。

はやくもテーマは「桜」のようです。


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庭は闇に沈んでよく見えません。
予約したときにもくろんでいた花見は、残念ながらこの寒さで開花していないため諦めざるをえませんでした。

早い年にはもう咲いているんですがねえ、、、と女将さん。

さて、お料理の写真を何枚か。

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さすがに器でも楽しめます。
この盃は最初伏せてあったのですが、女将さんのお酌の時おこしてみると、、、中に桜の花びらがひとひらはりつけられていて、うれしいおどろきでした。

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吉兆オリジナルの大吟醸は銀のクーラーに入って出てきました。
これバカラかな?


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鯛の松皮作り。
まあ、繊細な包丁さばき。
この染付の器もええなあ。


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トロと鱧のお造り。
たれも2種類。
合わせ蛤、柳桜模様の器、これも良い。

部屋の照明が少し落ちたな、、、と思ったら、、、


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まあああ〜lovely
大根の薄造りでつくられた雪洞に火が入った八寸。
これは祝儀の飾り物、州浜の意匠ですね!

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仲居さんがとりわけてくれます。

吉兆の仲居さんといえば、大卒のインテリで、しかも数カ国語がしゃべれないと採用されない、と聞いたことがあります。

担当して下さった方は、こちらの質問に料理、食材についてはもちろんのこと、室礼のことや器のこと、どれもこれもよどみなく、的確に答えてくれました。
しかもユーモアをまじえて、こちらをたててくれるような答え方です。
さすが〜、、と思いましたね。
料理もさることながら、この接客が一流の所以なんだ、と思いました。

もうずいぶん前、20代の頃、接待の末席に高麗橋吉兆に連れて行ってもらったことがありました。
(あそこは今でも一見さんお断りかも、、)

当時はもう恐れ入って小さくなっていて、料理も雰囲気も味わうどころではなかったのですが、唯一印象に残っているのが、当時の吉兆の仲居頭の方の当意即妙の会話だったのです。

もっとお安くて、お料理のおいしいところは他にもたくさんありますが、こういうもてなしに払うお金なら納得できます。

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取り分けられた八寸。
この信楽の器もheart01

これの作者さんは、こちらでこの器がでるたびに、「良い器や!」としみじみおっしゃるそうですよ。

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これがまた、おいしかった白魚の炊き込みご飯。
かりかりの揚げた白魚がまたおいしくて、二人で完食。


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後から出てきた白いご飯もおこげまで完食。

「お釜がからになったのを、久々に拝見しました。」と、仲居さん。
coldsweats01あれ?


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フルーツを取り分けてもらってご満悦のわたくし。

桜をイメージした色の付下げと、柳色の帯揚げで。(あ、帯揚げ見えませんけど、、、)

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エンドウ豆の餡でこしらえたミニサイズの菜の花きんとん。
そういえば、3月28日は利休忌ですね。
千家では菜の花が飾られるそうです。この日までは飾ってはいけない花なんだそうですよ。


料理も,器も、室礼も、もてなしもすっかり堪能して表にでて振り仰ぐと、、、、

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門のところの桜は、つぼみこそふくらんで色づいていましたが、残念ながら何日も早すぎたようです。


2011年3月28日 (月)

粟田口・粟田神社

粟田口は京の七口の一つと言われ、都への東の入り口だったのですが、今でも蹴上げのあたりは「粟田口」とよばれます。
そして粟田口といえば、名前が有名な割にはどこにあるのかよく知らなかった粟田神社、デビューいたしました。

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気付いたのは蹴上げの都ホテルの方へ三条通を歩いていて、この鳥居をみつけたから。

献灯に記された名前はけっこう有名どころがおおいです。

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京焼では最古(かもしれない)といわれる粟田焼はこのあたりで発祥したようです。
粟田で修行された青木木米さんのお家もこのあたりにあったようですし。

岡崎村で蓮月焼を手びねりしていた蓮月尼さんも、粟田で焼いていたそうです。

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鳥居をくぐっても、民家が続いてあれ〜?どこ?
と思っていましたら、その奥にありました、三の鳥居。

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ここから少し坂をのぼります。
最後ちょっと息切れ。

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「もう一息じゃ。がんばれ!」

と、神馬さん。


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ほ〜う、やっと登り切ったら名残の梅が。
他に人っ子ひとりいません。
静かな境内です。


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いやあ、この眺めがええわあ。


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大文字もぎりぎり見えるこの角度。

あとでいろいろ調べたのですが、粟田神社は平安時代からの長い歴史のある神社だったのですね。
祇園御霊会とも関係が深く、御祭神は祇園社と同じく素戔嗚尊。

実際、室町時代には祇園御霊会が行われなかったときは、粟田神社の祭礼をもってして代えたそうです。

神社のHPをみると、体育の日の粟田大祭では神幸祭、還幸祭などもあり、剣鉾もでるなど、プチ祇園祭ですねえ。

でもなにより惹かれたのは、7月の最後の土曜日、神社内がけっこう大規模な納涼ビアガーデンになるってことなんです!lovely
これは手帳にメモメモ、、、ですよ!


静かな境内をゆっくり見ていきます。

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おや、信三郎さんがこんなところに。


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絵馬所にこんな額があがっていました。

「昭和15年4月1日」に神社に奉納された狂言の記録のようです。

茂山千五郎、七五三(しめ)、の名前を発見。
年号からいって数代前の千五郎さんと七五三さんのようです。
なんだかすごいなあ。

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またこちらにはこんな場所も。

「光格天皇御胞衣(えな=胎盤)之松」。

多分この御幣の場所に天皇さんが生まれたときの胎盤を埋めたのでしょう。

(昔は赤ちゃんが生まれた後、胎盤を地中に埋める習慣がありました。最初にその上をまたいだものが苦手なものになる、という民間伝承もあります。たとえば、猫が大嫌いな人に「お前のえなの上を猫が最初にまたいだな。」とからかう感じで。)

光格天皇は孝明天皇、皇女和宮のおじいさんにあたりますから、現在の皇統の直系なんですねえ。
なんだかこれもすごい。

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いくつかある摂社、末社をまわりまして、神宮道に降りていきました。
ここに小学校があるなあ、、、と思って見ていると、まあ、こんな町並みになじむ素敵な校門の白川小学校だったのですね。


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ところがところが、この小学校、この3月に閉校してしまったのです。
学校の統廃合で。

なんだかとても残念weep


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数軒お隣は御菓子司吉水園さん。

彩りのきれいな一口半生菓子、「京おんな」が有名です。
またもやお散歩コースに上生菓子屋さんを見つけてしまった!

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いただいた御菓子はどれももう桜の意匠で。

2011年3月27日 (日)

野村美術館講演会第1回〜唐物

南禅寺畔、かの壮大な庭園・野村碧雲荘のそばにある野村美術館
茶の湯と能のこぢんまりした美術館ですが、とってもお気に入り。

こちらで会員制の講演会があるのは前々から知っていて、参加したいなあと思っていたのですが、いつも無情なる「今年度の募集は終了しました」の表示。

そこで今年度の講座に、昨年秋からメールで参加希望を早々と申し出ていました。

おかげさまでやっと参加する夢が実現いたしました。
で、この日は第1回目。


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こちらへは徒歩で15分くらいですの。ほほほhappy02

自転車だと5分くらいなのですが、なんといってもお気に入りの散歩道を通っていきますから、やっぱり歩きで。

左手は碧雲荘(南禅寺お屋敷群中最大規模)、右手は垂れ桜がまことに美しい清流亭。
桜の開花にはまだ日を要するようですが、それでもぼんやり薄桜色に色づいている様が、きたる満開の日を期待させてわくわくさせます。

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碧雲荘の東側、疏水分流に沿って北上します。
ここの桜も枝がぽやぽやと薄紅色ですね。


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まだまだ私が主役よ、といわんばかりの桃の花。


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講演会前には、お茶室で呈茶が毎回あって、しかも毎回ちがう美術館所蔵のお茶碗などがでてくるのだそうです。
まあ〜lovely

お菓子は二條若狭屋さんの「しだれ桜」。

菓子器の輪花古染付に盛られた姿は、ほんのり薄紅でなんともいえず美しい。


軸は伝藤原俊頼の古筆。(スミマセン、全然読めない、、、というより眺めただけで満足しちゃいました)

実はこの美術館、古筆の会もあって、そこで勉強されているとおぼしきおばさま方が、ああだこうだと読解されておられました。(他に茶会記を読む会などもあって、参加したいのはやまやまなれど、平日ではねえ、、、、無理)

お茶碗もでました、でました、いろいろ。
私がいただいたのは宋赤絵草花文の茶碗。
他にもしぶい(青磁とよんでいいのか?と思うくらい渋い色)珠光青磁、青磁小貫入、影青鳥文など。

手に取るだけでなく、お茶までいただけるとは!
これは毎回楽しみですわ。


現在の展示は「茶の美の源流〜唐物」。
実は先週すでに拝見ずみ。

それを見た上で本日のテーマが「唐物」。

美術館学芸部長の谷 晃先生。(心茶会の先輩)

1時間半の講演は、ある程度茶の湯の歴史の知識はあるでしょ?的な入り方で、私はついていくのがやっとでございますわcoldsweats01


唐物、唐物というわりには、あまりはっきりした定義をしらなかったし、なんとなくぼんやりと中国からきた茶道具かな〜くらいにしか認識していなかったです。
でも中国から来ても染付は唐物じゃないし、、、、

「唐物」という言葉が歴史に初めて登場したころの話から、どう意味が変遷していったか、なにをもって唐物と定義するか、というお話で、やっとはっきり唐物のなんたるかが少しわかったような気がします。

まとめれば、16世紀までに中国から請来された茶道具のなかから、1580年ごろに確立された侘数寄の理念、美意識にかなうものだけが残され、それを唐物とよぶ、、、、と。

なるほど。
少し頭がすっきりしました。

これはこれは、来月もとっても楽しみです。

この講座、人気らしくてたくさんの方々がおいででした。
なかには昨年お茶事教室でご指導いただいた先生もいらしていて、びっくり。
(むこうは覚えておられないと思いますが)おもわずご挨拶したりなんかして。

2011年3月25日 (金)

柳緑花紅

蹴上発電所の柳。

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   浅緑糸よりかけて白露を玉にも貫ける春の柳か 
                        僧正遍昭 古今集


京都御所、近衛邸跡の糸桜。

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   昔より名には聞けども今日見ればむべ目かれせぬ糸桜かな
                        孝明天皇


柳緑花紅 真面目  (蘇東坡)


時が来れば、植物の中にプログラムされたとおり、芽吹き,花をさかせる。

万物には自然の理がそなわっている。

たとえ人の世になにがあっても。

悲しいくらいに。


2011年3月23日 (水)

平野の家〜わざ永々棟

東北地方の気候は厳しい。
その厳しさと戦いながら代々農作業や漁業に携わってきた人々は我慢強く粘り強い。

あのような大惨事のあとも、略奪もおこらず、黙々と配給の列に順序正しく並ぶ姿は、外国のメデイアには驚異と絶賛をもって語られた。それを日本人の美徳と言うかもしれないが、むしろ東北人の美徳、というべきなのかもしれない。
厳しい自然と闘ってきた如く、この厳しい現状にも粘り強く黙々と耐えて向き合う姿が胸をうつ。

もしこれが大阪人だったら、、、略奪はおこらないまでも、列にはならばないわ、文句ぶーぶーいうわでかしましいことだったかも、、、と想像してしまった。

    *     *     *

昨年の秋、北野白梅町近くに大正時代の数寄屋建築を改修した文化施設が完成しました。
平野の家・わざ永々棟です。

パンフレットによると

「昨今京都の街でも「日本建築」が取り壊されていく中、少しでも多くの伝統的な大工の仕事をおこしたい思いから、数寄屋大工の山本隆章棟梁が入手し修復しました。」
、、、そうです。


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門構えからしてすてきですね。
そして京都らしい景観の一部になっています。
(壊されなくてヨカッタ)
敷地は約610平方メートル、建物は約300平方メートル、まあなんとも贅沢な豪邸といえましょう。


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今は「雛様の饗宴」という催しをやっているのですが、実は私が興味があるのはお雛様ではなくて(ゴメンナサイ)改修された建物自体。

監修は京都工繊大の教授で、大工さん、左官さん、庭職人さんの伝統技術をフルに駆使し、しかもその伝統技術を受け継ぐ若手の職人さんの研修も兼ねていたそう。

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入り口をはいったところ、お供の待合いもあります。

上棟式では棟梁が「「千歳棟、万歳棟、永々棟」と声をかけて、建物のとこしえを祈り、棟をおさめる木槌がふりおろされるそうですが、「永々棟」の名前はここからきたそうです。


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残念ながら建物の中の写真はありませんが、二階の窓、わかりますか?
大正モダニズムではやった和洋折衷のステンドグラスの窓です。
これもその時代の雰囲気をあらわすように、あたらに作られたもの。工繊大の学生たちのデザインだそうです。

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ここはお茶会で利用することもできるのですが、その茶室のバリエーションがすごいのです。

洞庫のある隅炉三畳半
出炉の八畳広間が二つ
大炉のある六畳

ひとつの施設でこれだけの茶室完備のものを他にはしりません。
一つ一つがそれぞれ違う意匠で、しかもお金かかってますよ〜。
三畳半の小間など、とても良い雰囲気で、どなたかここでお釜を懸けて、招待してくれないかしら、、、と思いました。

実際、お雛様を見にこられているお客さんの中には、もうここでの茶会の段取りを話し合っておられる方もいましたよ。

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ダイドコの天井は拭き漆と思われ、ハシリにはあらたに設置されたおくどさん。
寄せ木細工の土間の床には、改修時にでてきた古い家の礎石が一部そのまま使われています。

土間の見物はフランスのエラール社のアンティークグランドピアノ。
この演奏会もひらかれたりするようです。

あ、全然ふれませんでしたが、古い享保雛、古今雛などのお人形も見どころですので、是非。coldsweats01

お雛様は4月3日まで見ることができます。

また、新しい文化スポットが京都に生まれたんですねえ。

平野の家 わざ永々棟
〒603-8323 京都市北区北野東紅梅町11
TEL : 075-462-0014 / FAX : 075-463-0114

2011年3月21日 (月)

灰形講習会

そう遠くもない先に風炉の季節がやってきます。

風炉で一番の関門は灰形、、、、ですよね。
こればかりは普通のお稽古でやっているところはほとんどないのでは?

淡○社では灰形教室の1年間コースがあったりするのですが、いずれも平日なので、参加できません。


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そんな勤め人にありがたい灰形1日コース、ほんのさわりでもいいので、とにかく上手な人のを見てみたいと思い、いってまいりました。


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お供は2年前にもとめた灰匙セット。

(結局この6本セットの内、3本しかいらないことがわかりましたが、、、)

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この日の講習ご参加は約20名、はるか遠くから明け方にでてきた、という熱心な方もおられます。

まずは講師の先生から、灰形を作るその意味のレクチャーを。

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なぜ風炉の底に奉書を敷くのか?  → 奉書は神への捧げ物の下に必ず敷く。これは火の神、水の神に捧げるものであるから。

底瓦の意味は? → 軸のために床の間があるように、火のための床を意味する。

灰は清浄なものを用いる。
最後に水の卦(坎)を書くのも、藤灰をまくのもお清めである。
灰形を作るのは一種の神事である。

う〜む、、、、、灰形にそのような深い意味があったとは!


利休曰く、「茶は神仏に捧げ、人に与え、我も飲む。」
茶の湯は遊びではない。
遊びでやっていると必ず飽きる。
今読んでいる井伊宗観(直弼)の「茶湯一会集」の精神に通ずるものを思う。

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さて、いよいよ実習。

まずは底とりで風炉に灰をてんこもりに。


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先生のお手本。

なんで?なんで?

あんなに簡単にすっすっと面ができるの?
美しいエッジができるの???


しばらくは面の作り方、灰の切り方の練習をくりかえしくりかえし。

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う〜〜〜む、、、、
ぴしっとした一文字にならんなあ。

しかし、ちょっとしたコツはおぼえたわ。
匙の底の平らな面だけを意識する。
切っていく方向は必ず進行方向のみ。

やはり本だけたよりの独学ではなかなか習得できないものですね。

そうこうするうちにお昼時、ここでランチブレイクです。

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お弁当持参の方もおられましたが、私はここから歩いて行けるスガマチ食堂へ。
以前行ったときに、スパイスを上手につかったランチがとてもおいしかったので、リピートしましたの〜happy02

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この日も高野豆腐の肉詰めなど、お野菜たっぷりのヘルシーなランチ、ごちそうさまでした。


さて、午後の部。

面作り、面の切り方の復習を。


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朝より少しまっすぐになったかな?

けれど問題は五徳をすえてからでした。

五徳を意識するとどうしてもまっすぐにならない。
特に爪のまわりはほんとうにむずかしい。

二文字押し切りをつくるのに必死でしたので、途中経過の画像はありませんが、、、、

なんとか水の卦まで作り上げたのがこちら。


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うわあ〜、、、、ダメダメですねえ〜、、、、shock

1年かかっての講習を一日くらいでものにできるはずもなく、まあ、この日は灰匙の使い方のコツがちょっとわかった、、、というだけでも大きな収穫ですね。

あとは回数をこなすのみ、です。

それにしても、これで風炉の時期の茶事をやろうってんだから、私もたいがいなヒトですわ。

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片付けもすんで、それぞれ末富の麩の焼きとお薄を一服いただきました。
おいしかった。
まがりなりにもやり遂げた後なので。

家でもお稽古あるのみ。

まちがっても奉書のかわりに新聞紙など使わないようにしなくちゃ。coldsweats01

<おまけ>

地震の影響でわが家に来ていた娘夫婦も関東に帰っていきました。
フレディも帰って行きました。
元気でね。気をつけてね。


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2011年3月19日 (土)

京を走り回る一日

まずは南走。

朝、地下鉄で竹田へ。

パルスプラザで開催されている京都大アンティークフェア(旧・京都大骨董祭)、年に3〜4回開催されますが、もうすっかり常連さんです。

ただ、前までは宝塚からの参戦だったので一日がかり、でも今は地下鉄ですい〜っと。happy02

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初日はいつも大勢の人で賑わうのですが、震災のこともあり、どうかな、、と思っていました。
でも、杞憂でしたね。

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いつもと変わらぬたくさんのお客さん。
余震未だ続く関東からも来られている方も。
げに物欲とは、人が生きる力となりけり、、、、だわ。

会場はとても広いので、目的をしぼって行動。
とりあえず欲しかった、茶事に使う煙草盆をゲット。

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草庵の茶室にあいそうな少しさびたものを。
本当は、待合いと茶室用に二ついるのですが、ペアでは売っていなかったので、とりあえず一つ。


昼までにはちょっと真贋あやしげな茶碗と、これは多分相場と思われる茶杓を入手。

お昼は西走。

地下鉄烏丸線、東西線をのりついで二条駅のさらに西へ。

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イタリアンレストランAnimo di Ragazzoさん。


(意味は多分、「少年の心」)


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こちらは町家ではないのですが、数寄屋の個人宅だったそうです。
もったいなくも、あやうくつぶされるところだったそうですが、レストランとしてそのまま活かされてよかったです。
どこにでもありそうなマンションでも建った日には、景観台無しです。

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実はいろいろありまして、あまね様と信様にこちらでご馳走になりましたの。
うっふっふ。
(ちなみにここを取り壊しからレスキューして、仲介されたのもエステイト信さんなの)

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器もおしゃれです。

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ちょっとびっくりしたのは穴のあいたスパゲッティ、ブカティーニ。
マカロニを引き延ばしたような感じで、噛んだ感触が新鮮。
(田舎モノなので、こんなハイカラなもん、知らなかったのよ)


あまね様、信様、ごちそうさまでした。
とってもおいしかったですlovely


そのあとは東奔。

地元岡崎にもどりまして、ご愛用の好日居
さんへ。

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かれこれ3年くらいのブログでのおつきあい、ドイツはハンブルグにお住まいの(正真正銘の)マダム、ヘルブラウ様に初めておめにかかるのに、こちらで待ち合わせ。

お目にかかれるときは好日居さんで、と以前コメントをいただいていましたので。
ようやく念願叶いました。

もお想像したとおりのお方でした。
エレガントで貫禄があって、しかもちょっぴり愛すべきおっちょこちょい(失礼!)。
とても楽しい方ですの。

初めてお会いしたんです、というと好日居さんが「ええ〜っ?!」とびっくりされるくらい、すごく自然にお話できたのです。
ブログコミュニケーションというのは、本当に不思議なものですね!

ヘルブラウ様は時々、日本に里帰りされて、日本中をかけまわる旅をなさいます。
ところがこの大災害で、夫君が心配されて早くドイツへ帰るように、とのことで1週間切り上げられるそうです。
残念ですが、またの再開をちかってお見送りを。


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好日居さんが心を込めて、生姜も一からすりおろしてつくってくれたスパイシーな「きまぐれチャイ」、とってもおいしかった。ふたりしていただきました。


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お土産にいただいた品々。

スペインがお好きでしょうと、いただいたスペインのシェリー酒(スペイン語でヘレス)マンサニージャ、とってもうれしいlovely
ありがとうございました。


一日都を駆け巡り、楽しいお話や、うれしい巡り会い、経済活動もしっかり、してきましたよ。

2011年3月18日 (金)

私は悟った

津波被害のみならず、原発の深刻な状況に、今後の日本経済のゆくえなども悲観され、気持ちの晴れぬ日々が続いたが、昨日私の尊敬する東京のお茶人さんに久しぶりにお会いした。

彼はお茶人さんであると同時に、国の原子力に関わるある委員会のメンバーでもある。
まあ、なんてタイムリーな邂逅。

で、福島原発についての一連のレクチャーを拝聴した。

内容については、誤解を受ける可能性もあるのでここには書かない。
しかも難しすぎて、私が全部理解できたわけでもない。
ただ、人の人生の長さよりはるかに長い時間、日本だけでなく世界がせおっていかなければならない問題だということがなんとなくわかった。

だから

近視眼的なことであれこれ悩んでも意味がない。
私は悟ったぞ。

働ける者は働く。
お金のある人は使う。
毎日を楽しく暮らす。

とりあえず日本赤十字にどかっと義援金募金。
(まあ、某社社長の10億円にくらべるとミジンコの涙ていどだが)

行くのをやめようと思っていた京都大骨董祭で自分の好きな物にお金を使う。

ブロ友とオフ会で楽しい話をするxお二組。

これを1日でやってのけたぞ。

これが今の私にできるせいいっぱいのことだな。

お茶人さんとごいっしょしたのは、某流派の茶道家元がよく訪れるという和食ダイニング魚棚

大人の雰囲気がいい。
お料理もスタンダードだが丁寧。
日本酒の種類が豊富でグラス一杯から注文できる。(岐阜の大吟醸「蘭奢待」は最高だった)
お値段もお手頃。
しかも河原町だし、アクセス便利。(うなぎのかねよさんの並び)


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お茶の話もいっぱいした。
茶道という共通言語があると話は発展する。
この出会いにも感謝。


2011年3月14日 (月)

思い

大阪の町は今日もいつもとかわらずにぎわっていた。

あ、これはデジャヴだな。

阪神大震災で直接的な被害はなかったものの、ライフラインはとぎれて、道路は裂けて、瓦礫の山の中、これから一体どうなるんだろう、、、と停電で真っ暗な町をぬけ、不安で一杯な気持ちで淀川を渡ると、、、、

そこにはいつもと変わらぬ電飾キラキラの大阪の町が。

川一本でこんなにもちがうのか!
と愕然とした一方で、ああ、大丈夫、ここにはちゃんとした日常がある、と妙にほっとしたことを思い出す。

娘は関東エリアに住んでいる。
大きな被害はなかったが、家の中はぐちゃぐちゃで水がでないらしい。
食料は1週間分ストックした、と言っていた。


彼女が阪神大震災にあったのは中学受験を控えた小学校6年生の時。
あの時は子供で、被災の苦労がわからなかったが、大人になって災害に遭うと、あのときどんなに大変だったかよくわかった、と言っていた。

今は福島の原発からそう遠くもないところにいるので、それがとても心配だ。
計画停電もあるし、早く猫と一緒に帰っておいで、と親の身勝手を承知で言っているのだが、東京まででる交通手段がないらしい。

それにしても原発震災対応をされている方々のご苦労を思う。

津波被害もさることながら、今原発がおとなしく静止してくれるかどうかに日本の命運がかかっている、といってもいいかもしれない。
その最前線で体をはって作業しているひとたちに、どうかどうか、よろしくお願いします、と祈るような気持ちだ。

放射線は目に見えないだけにおそろしい。
大量線量被爆をした場合、ゆっくり確実におとずれる死までの歩みは地獄といっていい。
体の中の細胞一つ一つからじわじわ破壊されてゆく。

そんな危険に身をさらしながら、日本中の願いを背負って作業をしておられる方々には頭が下がる。
どうか事故なく、無事に静止しますように。
どうか、どうか。P1090665

2011年3月12日 (土)

言葉もありません

16年前のあの時を思い出します。
あれもひどかったですが、今度は町ごともっていかれるなんて、誰が想像したでしょうか。

しばらくはうかれて記事なんて書けません。

あのときもTVにうつる犠牲者のカウントがじわじわ増えていくのをなすすべもなく見守るだけだった。

災害の第1フェーズがすぎると、第2フェーズはライフラインがとぎれたためおこるさまざまな問題がまっています。
水が使えないのがなによりつらかった記憶が。
そして、あれも酷寒の時期でした。

当時、携帯電話を持っている人は限られていて、安否確認できずいらつきましたが、今回ツイッターなどが活躍したようです。
また、様子がわからないためみんなが車でおしよせ、肝心の救急車や物資輸送者がすすめなかったという問題がありましたが、今回はみんながまんして控えているようです。道路をすばやく閉鎖したのもよかったのかもしれません。
少しずつ、大災害に対する心構えをみながもっていった、ということにこの国も捨てたもんじゃないと思いました。

今はひとりでも無事でいて、と祈ることしかできません。
第2フェーズに入ったとき、なにか自分にできることがあれば、と思います。


2011年3月11日 (金)

出町〜賀茂大橋ノスタルジー

河原町今出川を少し北に行くと、そこは出町とよばれるエリア。

「賀茂大橋東詰」という名の市電の駅が最寄りの下宿に、学生時代住んでおりました。

なので出町はほんの川向こう、我がテリトリーでありました。

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枡形商店街は、食料買い出しにヘビーユーズした場所ですが、実は「枡形商店街」という名前があるのを知ったのはつい最近でしてcoldsweats01
単に出町商店街といっていたような。

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ついなつかしくて、中に入ってみました。
やはりずいぶん様変わりしてますね〜。

一番よく行っていたスーパーはなくなってドラッグストアになっていました。
それでも、あ、このロウソク屋さんは当時もあった、とか、この衣料品店も見覚えが、、、とか遠い記憶に残る店もあります。

懐かしいなあ、、、
また、京都にまいもどって、ここに来ることができるなんて、思っても見なかったわ。

当時は、同志社の学生も今出川学舎にいたし、立命館広小路学舎もまだあって近かったし、京大生の下宿も多いエリアだったので、学生で賑やかなエリアだったんですが、今は少しさびしい感じ。

同志社は南に行っちゃって、立命館の広小路はなくなってしまったし、、、、。

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こちらのスーパーは記憶にないのだけれど、せっかくだから夕飯の買い物を。
なんだかお野菜が充実してました。

新鮮なタラの芽があったので購入。
天ぷらにしてよし、いためてよし、春の味覚だあ。


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豆餅で有名な出町ふたば。
すごい行列になってます。
おそれをなして豆餅を買うのはあきらめました。

昔は並んでいても、せいぜい4〜5人だったし、普通に買えたんですが。

同じ下宿にいた立命の子が、ここでバイトをしていて、三角巾を着けた姿で接客していた姿が今も目に浮かぶよう。
もう30年以上も前のおはなしです。


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商店街入り口のお向かい、河原町通りの東側、ここは今は地下駐車場の入り口になっているんですねえ。
昔はここに2〜3軒の喫茶店(カフェではなくて「喫茶店」)があったんですが。

記憶がさだかでないのですが、「ルパン」という名のここにあったサテン(昔は喫茶店をこう呼んだものです)を愛用していました。
そうか、なくなってしまったのか。

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さあ、出町から東へ、賀茂大橋を東へわたりましょう。

この大文字はかつて見慣れた角度です。

賀茂大橋、我が青春のシンボル、かつて市電が走っていた橋〜♪

ここを渡るときにはいつも口をついてでてくる歌の一節があるのです。
すっごく古いので年がばればれなんですが、「学生街の喫茶店」で名を馳せたガロの次のシングル「ロマンス」の一節。

   ♪ この橋をわたるとき 街は僕たちを いつもよんでるよ 明るくさざめき、、、
      この川に沿った道 肩をよせてゆく そんなことさえも おぼえておこう、、、

知ってる人いるかなあ、、、おらんだろうなあ、、、。


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鴨川が、加茂川と高野川にわかれる三角州、こんな亀石や千鳥石なんてなかったよね、昔は。

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橋を渡ってすぐの南側、よく京都のカフェ本にでている店だけれど、住所が学生時代の下宿とごく近い町名だったので気になっていたのがこちら、さるぅ屋さん。

(多分「さるぅ」はイタリア語で「健康」だと思う。)

おおっ!!

ここは、、、ここは、私がかつて愛用していた本屋さんのあったところではないか!

表の引き戸の雰囲気に、かすかに面影が残っています。
昼なお薄暗く、暗くなってからも頼りない蛍光灯がほそぼそとともっているような、昔ながらの本屋さん。
今はなんと、明るい雰囲気のカフェになって。


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居心地のよさそうな2階の席から玄関をながめる。
あの入り口に、20代だった私の幻影をみるような、そんなセンチメンタルな気分にさせてくれます。
窓から見るお向かいのお寺の屋根はちっとも変わらないのにね。
この家も、私もずいぶん変わってしまいましたよ。

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かぶりつこうとすると、あごがはずれそうな、さるぅバーガー。

しまった!
ここは学生御用達の店なんだ。
ボリュームは学生仕様、私にはちっとばかりヘビーでした。おいしいのだけれどね。

2011年3月 8日 (火)

橿原市・今井町〜江戸時代へのタイムスリップ

この機会にと、ずっと行きたくてなかなか行けなかった、貴重な歴史的町並みを残す今井町に足をのばすことにしました。

奈良市街地から車で小1時間(または近鉄橿原線・八木西口駅下車)、こんなところに江戸時代の町割りが残っているのか?と思えるような景色の中、おお、あれはなんだかその匂いがする、、、、


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といってもこれは明治36年の建物、奈良県指定文化財旧高市郡教育博物館、現在は今井まちなみ交流センターとして、今井町歩きの前に情報を仕入れることのできる場所になっています。

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江戸時代の今井町の模型。
廻りを掘り割りで囲まれ、実際要塞都市としても機能していたそうです。

説明は町民のボランティアさん、ここが見所、ここははずさずに、1時間半ならこのコースで、ととても親切に地図にいろいろ書き込んでくださいました。

さあ、いよいよ江戸時代にタイムスリップだーhappy02


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おお、いきなり映画村のような、、、いえ、失礼、映画村よりはるかにりっぱです!

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歩くたびに展開する歴史的町並みに私の目はlovely

ご覧の通り、電柱、電線、ありませ〜ん!

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中世、攻め込まれても敵が直進できないように、京都みたいに碁盤の目の町割りでなく、筋違いの道を多用した町割りになっているそうです。


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今井町が歴史に登場するのは14世紀、興福寺の荘園としてなのですが、戦国時代、称念寺を中心に寺内町を形成。

戦国時代は次々と変わる支配者に対抗するため、濠で町を囲み土塁を築き自衛のため闘ったそうです。


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(厨子二階の意匠にも注目ね!)

その力には戦った織田信長も一目置き、都市としての自治権を与え、以後「海の堺、陸の今井」といわれ自治都市として栄えたそうです。
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こちら河合家住宅、18世紀にはすでに酒造業をいとなんでいたそうですが、いまでも河合酒造を営業されています。


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中も拝見させていただけます。
おお、あれは駕篭ではないか!


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広い土間にはおくどさんもあります。
こちらのお酒を一杯試飲もさせていただきました。


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さて、今井町、江戸時代にはいると幕府の天領になります。
しかし豊かな今井の財力が魅力であった幕府は、これを支配するのに、優遇をもっておこないました。

惣年寄を頂点に、警察権・司法権・行政権を与え、自治的特権を与えたのです。


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元禄年間には「大和の金は今井に七分」と称されるまでに繁栄したそうです。

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東西600m、南北310mしかない小さなエリアなのにすごいですね。
そういえば、立ち並ぶ町家はどこもたいそう立派な物がほとんどで、贅を尽くして造られた、、、という感じがわかります。

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雨樋にも金をかけてますね〜。
こいう意匠を見て歩くだけでも楽しい。

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今井町は明治維新を経ても鉄道敷設に反対するなど、結果的には江戸時代からの町並みのみならず、自治都市としての結束力も保存することに成功したのですが、、、

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戦後、建物の老朽化で多くの民家が倒壊寸前。
そこを民家調査に来た東京大学工学部建築学科の学者グループが再発見、これは国の重要文化財に指定する価値がある、と運動した結果、今では8軒が重要文化財指定をうけています。

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そうしたお上からの保護だけでなく、町民自身による「町並み保存運動」がおこり全国にさきがけてNPO法人などつくり努力されているとか。

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ただ、中には住む人もいなくなった空き家が100軒ほどあって、この空き屋対策も重要とか。
観光客に開放している民家に、ガイドを兼ねて常駐するのは、手弁当の住民のボランティアさん。
みなさん交代でされているそうですよ。


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もちろん現在でも住んでおられる方もたくさんいて、そのうち文化財指定を受けた家などは、その家の住人さん自らがガイドしてくださるのです。

なんという、町並みに対する意識の高さ!


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まあ、それも遠い先祖の時代からほとんど変わらず、濠に囲まれた半閉鎖空間で、ともに生活してきた住民同志の強い絆あればのことでしょう。

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京都のように大きな都市で住人の流入出が多いところでは、この方式はむつかしいでしょうね。

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空き家の利用法として、体験宿泊のできる施設もありましたよ。


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江戸の町並みでも、生活するのは今の人々。
ここらの小学生はうらやましいなあ。
この町並みの価値を忘れないでね。

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こういう生活感たっぷりの民家もありますの。

最後に今井を代表する最大の民家、今西家のご紹介を。

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まずは二条城をおもわせるような風格のある外観、明らかに他の建物との格の違いを認識できます。


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この家は町の一番西のはしに出っ張るような形でたっています。


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壁の定紋は「川井」、かつて今井町の惣年寄を代々つとめた川井家をあらわしています。
大坂夏の陣で大阪方に攻め入られたとき、川井の一族が戦い町を無傷のまま守ったことから、「今井の西をよく守った」ということで以後今西家となのったそうです。


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まあ、一歩入ってその規模に度肝をぬかれます。
今西家の方は、現在この家には住んでおられませんが、すぐそばの家にお住まい。
そして観光客の求めに応じて説明をしてくださるのです。

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先に述べたように、自治都市の惣年寄ですので、警察権、司法権があったので、この広い土間は御白州として使われていたとか。


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この途中までしかない敷居の溝がわかるでしょうか。

賊が攻めてきたとき、とっさに雨戸を閉めると自動的にロックできる構造になっているそうです。

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戦後解体修理が行われ、出てきた棟札により、1650年の建立ということがわかったそうです。
その時に、この大きな梁の3本のうち、1本だけが使い物にならず新調したのですが、どれだかわかります?

実物だとわりとはっきりわかるんです、一番手前の1本だって。
さすがに360年の年輪にはかなわないものがありますね。


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今井町の民家でよくみかけるこの「駒つなぎ」、実はこんな所にも意匠として使われていました。


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京都のしっとりとした情緒のあったエリアが、けばけばしいお土産物屋に占拠された悲しい場所にかわってしまった例をいくつかしっています。

今井町はおそらくそんな二の舞はふまぬことでしょう。
観光客は、静かに歩いてこの町並みを楽しみましょうね。

同じ場所に同じ住民が昔からずっと住んでいると、しがらみなどもあって大変では?と思っていましたが、今西家の方の言葉がとても印象的でした。
「昔から同じ住民が住み続けていることが私たちの誇りなんです。」

2011年3月 6日 (日)

中川政七商店・奈良本店〜あーとさろん宮崎

奈良に行くときには必ずよるカフェやお店がいくつかあります。


今回またあらたに寄る場所が増えてしまいました。
京都店も最近できたばかりの中川政七商店の奈良本店。

もとは奈良晒を扱っていた商家、近鉄奈良から近い、もちいどの商店街からちょっとはずれた細い小路に本店があるんです。
こちらの商品は大丸などのデパートでも買えるのですが、やはり大きな町家だという本店へ行ってみたいなあと思っていたのです。


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1階の表はモダンですが、厨子二階をみてもらえればわかるようにりっぱな町家なんです。

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中は遊・中川ラインや粋更ラインのお店になっていて、ついつい買い物にはしってしまふ、、、。

茶房がついているのはここだけ、さっそく靴を脱いでお座敷へ。

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だいどこの間にあたるところはテーブル席で。


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奥座敷はこのような、たいそう私好みの席になっておりますlovely

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お庭もりっぱで、

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トイレなどは正しく「屋外」にあります。

初日いただいたもの。


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「むしやしない」(まあ、軽食ですね)のあったかいにゅうめん。
とろみのついた出汁に生姜がたっぷりであったまること。
ありがたや。

で、翌日も友人をつれてまた行ったのです。うふふ。


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膝を痛めている友人のために今回は座敷のお隣のテーブル席で。

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寒さにちぢこまった体にやさしいお重ランチ。

2ヶ月ごとにメニューはかわるそうですが、大和菊菜の柚子浸し、五穀生麩と里芋の行法味噌田楽、たたきごぼうの胡桃胡麻和え、蓮根の甘酢和え、奈良漬、古代チーズ「蘇」、黒米ごはん、、、、などなど健康によさそうなものばかり。


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お重についてくる五目野菜の餡かけ。
これも生姜がよくきいて、おいしかった。

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デザートの大和茶アイスは鹿の最中付き!
スプーンは水牛の角製。

ここは小物にも凝っていて、各テーブルにのっているのはこんなもの。

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紅白のはコーヒーシュガー。
ちいさな関守石のような小石は伝票押さえ。
下の古帛紗の文様は笹蔓緞子ですが、左のはしにうつっている座布団をよくごらんください。
わかりにくいですが、これも笹蔓の文様なんです。
まあ、おしゃれlovely

というわけで、奈良にきたときに素通りできぬ場所がまた増えてしまいました。

素通りできぬ、といえば前からお気に入りの場所、高畑のあーとさろん宮崎さん。

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アンティークもあつかっているギャラリーで、この日は版画展をされていました。

こちらの奥のカウンターではコーヒーをいただけるのです。
そしてここのカウンター廻りがいたく気に入ったあげく、今の家を造るときになぞらしてもらったものなのです。

参考までに2年前の記事のカウンターの画像です。

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こちらのオーナーさんは相変わらず忙しく遊びに仕事に飛び回っておられるようです。
いつもコーヒーをいれてくださるのは娘さん。

奈良の赤膚焼の茶碗がほしいと前々から思っており、いろいろお聞きしたのですが、ほんとうに陶芸作家さんのことをよくご存じで、とても勉強させていただきました。

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こちらで使われているお茶碗(いずれも作家物です)をあれこれ出していただいて、手にとって拝見させてもらいました。

奈良絵(右手前の茶碗、左の湯飲み)のお茶碗は絵がピンキリなのですが、こちらの窯のものはとても丁寧で緻密できれいです。買うのならこの窯のものだな、と心に決めました。

そして真ん中奥の生成り色の茶碗、これがいたく気に入りまして。

やはり裏千家のお茶をされている娘さんの先生が東大寺で釜をかけられた記念のお茶碗だそうで、なんの模様かわかりますか?

そう、大和三山(香具山、耳成、畝傍)なんです。

奈良絵のものはすぐ大和のものだとわかりますが、このお茶碗のようにさりげなく、大和を主張しているのもいいなあ、、と思いました。

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一見伊賀にみえるこの鉢、実はえらく気に入りまして。
これも作家さんのもの。

これに水を張ったら、肌に水がしみでて美しいだろうなあ、、と思っていたら、やはり立礼のお茶会でお客様に見せる茶巾入れとして水を張って使われたとか。いいですねえ、想像してみると。

というわけで、今回もなにがしかの収穫を得ることのできた居心地のよいスペースなのです。

そうそう、こちら生菓子を持参すると、これらのお茶碗でお抹茶をたてていただけるそうですよ。
次回は持って行かなくちゃ。

2011年3月 4日 (金)

東大寺修二会〜お水取り2011

今年もやって参りました、この季節。

ブログを始めた年の3月からなので、もう5回目になります。

近鉄奈良駅を降りると、なんと粉雪のまう奈良。
またまた寒い日にあたってしまった、、、、けれど、この寒さがお水取りには似つかわしいのです。

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まあ、足取りはだいたい例年通り。
ちゃんともちいどのセンターの萬々堂通則さんによりまして、この季節限定の上生菓子、「糊こぼし」(これも毎年解説しているような、、、、coldsweats01修二会で御堂に飾られる紙の椿:あるいは糊をこぼしたような白い斑がはいる東大寺・開山堂にある椿)を求めます。

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赤があざやかなやわらかい上生です。
この赤は京菓子ではみられません。よりプリミティヴで力強い感じ。

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陽のおちてきた奈良公園の中をとおりぬけ、

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片岡梅林の梅を愛でつつ、


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浮雲園地をつっきる。
遠景は若草山。


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東大寺二月堂にはもう灯がはいっています。


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例年の如く南側最前列をゲット。

厚着の上に厚着して、貼るカイロをはりまくって静かに日没を待ちます。
なにしろ12月の深夜の春日若宮おん祭の時には死にそうなほど寒かったので、今回寒さ対策は万全。粉雪がちらついてもOK!

しかもその上に(100円ショップで買った)ビニールレインコートを火の粉よけに。wink

次第に人が集まって、暮れていく様子を。(遠景は奈良市街地)


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右手の大きな杉は「良弁(ろうべん)杉」。
東大寺建立に、大きな役割を果たした良弁和尚が、幼少のみぎり鷲にさらわれて、この杉の上にひっかかっていたのを助けられた、という伝説の杉。ただし何代目からしいです。

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すっかり日も暮れ、二月堂の下では「火消し部員」がスタンバイOKのようです。

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19時、周囲の灯りがすっと消えると、二月堂に登る階段に先触れの火をもった堂童子が階段を登って上堂を告げ、またおりてゆきます。

いよいよ参籠所から練行衆の上堂、先払いのお松明がゆっくりと階段を登ってきます。
いつもいつも感動の瞬間。

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まぢかなので、練行衆が差懸(さしかけ:練行衆のはく特製の木の履き物)をタ〜ンタ〜ンタ〜ンタタタタ、、と音高らかに内陣に入る音を聞くことができます。そのあと追うように梵鐘の音。
音だけでも入陣の様子が目に浮かぶようです。


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火はいいですねえ。
たとえいっときでも、いろいろな悩みを浄化してくれるような気がします。


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今年もたくさんの火の粉を浴びて、無病息災で。


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そのあとは、下に落ちたお松明の燃え残りをめぐって争奪戦?
さきほどの「火消し部員」のおじさんが今年は親切で、たくさんこちらへ放り投げてくれたので大豊作でした!

しばらくは外陣で音楽的な読経の声を聞き、戸帳にうつる幻想的な影がゆらゆらゆれるのを見、こうべをたれるのでした。

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日にちによれば過去帳(有名な青衣の女人がでてくるやつ)の読み上げも聞けるのですが、この日は神名帳の読み上げを。

修二会では上七日は大観音、下七日は小観音が本尊とされ、どちらも絶対秘仏で練行衆ですら見ることができないとか。

小観音については有名な逸話があって、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が夢で見た兜率天での行を、人間界でもできないかと考えていると、難波津から生き身の小観音があらわれ、それを本尊として修二会をはじめたというもの。

絶対秘仏で見ることはゆるされない仏ながら、過去数回おこった火災からはお救いしなければならず、そのとき垣間見た人が残した絵が残っているのですが、なんとも神秘的な仏像なんですね。
生き身、、実はいまも息づいているかも、、、なんて思ったりします。

人もまばらになったころ、さきほどお松明が登ってきた階段をおりて帰路につきます。

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実はこの日も奈良国立博物館にて、お水取りの勉強をしてきました。
毎年なにかしら新しい知識を得ています。

知れば知るほど、修二会は奥行きの深い行なのだなあと思うのです。

日にちのしばりから、今はお松明しか見ることができませんが、リタイヤしたあかつきには数日泊まり込みで深夜の行も見てみたい。
まずはお水取りの名の由来になった12日深夜におこなわれる閼伽井屋の若狭井からくみ上げられるお香水の行列。
次に火と水のもっともダイナミックな行、達陀(だったん)。


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こちらは閼伽井屋。
お水取りの12日になると榊が新しい物になり、注連縄にも独特の飾りがつけられるのです。

遅参した若狭の遠敷(おにゅう)明神がおわびに湧かせようと約束し、白と黒の鵜とともにわき出た香水が若狭井だとか。


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鼻のさきが冷たくなるほどの寒気がしんしんとおしよせてきたので、人気もまばらになった二月堂に後ろ髪を引かれながらも別れを告げます。

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「もうお帰りで?」

そうよ、もう寒いからね、鹿さん。


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戦利品(?)をチェック。
部屋中杉の焼けた良い香り。

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遊・中川さんの奈良本店でおまけにくれた糊こぼしの造花を飾ってみましたheart01