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2010年12月18日 (土)

春日若宮おん祭・1〜幻夜行〜遷幸の儀・暁祭

<春日若宮おん祭>
春日大社の摂社である若宮の御祭神を深夜0時、本殿にお迎えに上がり、約1.5km離れた御旅所へお遷し申し上げる。(遷幸の儀)
午前1時、若宮様いまします行宮前には神を迎えた事をしめす植松が建てられ、御殿の前の瓜灯籠に火が入る。
その神前に海川山野の品々が献じられ、古式「素合の御供(すごのごく)」が奉られ祝詞、社伝神楽が奏せられる。(暁祭)

これより若宮様、本殿にお帰りになるまでの24時間、行宮前にて各種芸能が奉納される神遊(かみあそび)が行われる。

(歴史)
 長承年間には長年にわたる大雨洪水により飢饉が相次ぎ、天下に疫病が蔓延したので、時の関白藤原忠通公が万民救済の為若宮の御霊威にすがり、保延元年(1135年)現在地に大宮(本社)と同じ規模の壮麗な神殿を造営し、若宮の御神助を願い、翌年春日野に御神霊をお迎えして丁重なる祭礼を奉仕したのが、おん祭の始まり。(春日大社HPより)

P1080223(若宮をお迎えする前の御旅所、行宮=正面のお社)

今年一番の寒さ、といわれた17日深夜、体感温度はとうに氷点下の凍てつく寒さの中、春日大社の参道で若宮のおでましをお待ち申し上げる。

参道は皆燈火が消して謹慎し、灯りといえば半月を少し過ぎた月の光のみ。
それすらまぶしいと感じるほど、目は暗闇に慣れている。
参列者は写真はもちろん懐中電灯、携帯の灯りをともすこと一切を許されない。


0時を過ぎた頃、真っ暗な春日の山の上の方、若宮社あたりから神をお送りする太鼓の音がかすかに聞こえてくる。
とたんにざわついていた参道が静まりかえる。

静けさの中、山の方から「ヲーヲー」という警蹕(けいひつ)の声が近づいてくる。

多くの神官の口から発せられるそれは幾重にも音程が重なるため、不思議でかつ、この世の物ならぬ声に聞こえる。

やがて現れる地面を曳かれる2本の大松明、その燃えさしが2筋の線を引いてゆく。
清められた神の通り道ができあがる。

そのあとを沈香をたく神官、そして、、、、
暗闇のなかで、榊の枝をもった白衣の神官たちが幾重にも幾重にも神霊をお囲みして「ヲーヲー」の警蹕の声とともに目の前を通り過ぎる。

古人が「青垣山の移りゆくが如し」とたとえた如く、榊の山が動いていくような、、思わず柏手を打って頭をたれずにはいられない衝動。

不信心者の自分の中に、まだそんな古代人のDNAが密かに残っているのを感じる瞬間。

これこそがおん祭の一番のハイライトだろう。

こればかりは言葉でうまく説明できない。
厳寒の深夜だが、是非一度参列されるがいい。

祇園祭などで見られるように、神様は御旅所に行かれるときには、御輿など遷座の祭具を使うのが普通だが、このおん祭ではそういったものが一切ない。

神はまさに霊であり、見る物ではなく、感じる物、それを神官が榊の枝で取り囲むのだ。

普段フラッシュ禁止、といわれてもフラッシュをたいたり、携帯をつけたりする不届き物が一人や二人いるものだが、ここでは一人もいなかったのが見事だった。
その神秘さに、あるいは幻のような景色に、ただただ圧倒されるばかりだからだろうか。

その後を楽人たちが、お遷りの間神様をお慰めする道楽(みちがく)を奏でながら続いてゆく。


その神様の通った後の、まだ残る松明の燃えさしをたよりに暗闇の中、参列者は約1.5km離れた御旅所まで同行する。
行宮に若宮様が入られると、宮前の瓜灯籠に火がほんのり入り、御旅所の燈火が一斉につけられる。

P1080226

午前1時、ますます空気は冷え込み、足の指先が痛い。

一転して目に鮮やかな蘇芳、濃紺の装束の神官による祝詞、素合の御供(餅と蜜柑、檜葉を紅白の神を張った箱にのせたもの)などが次々と献じられる。


P1080227

みかんこ(巫女)たちの舞う神楽のあと、夜はしんしんふけてゆき、宿直(とのい)の神官を残し、暁祭は終わる。

さあ、これから本殿にお帰りになるまでの24時間、若宮様はこちらで祭を楽しまれるのだ。
我々もお相伴させていただこう。

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