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2010年7月 4日 (日)

高麗美術館〜浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術

あのような時代に(日韓併合)こんな日本人がいたとは!

恥ずかしながら浅川兄弟については、ほとんど知らなかった。
柳 宗悦の年譜にその名前があったことはかすかに記憶してはいたのだが。

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京都は上賀茂近く、お気に入りの高麗美術館にて、開催中の特別企画展<浅川伯教・巧が愛した朝鮮美術>を。

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展示物よりも、浅川兄弟、とくに弟の巧の生き方に深く感銘をうけ、鳥肌がたつ思いだった。

時代は朝鮮が日本帝国主義下の植民地であったころ。

山梨に生まれた浅川伯教(のりたか)は京城(現ソウル)の日本人尋常小学校の教師として海をわたり、そこで当時朝鮮人が見向きもしなかった白磁の美しさにうたれた。

そのころは朝鮮の焼物といえばイコール高麗青磁であり、李朝になってから使われるようになった白磁は二束三文の値打ちしかなかったそうだ。

冷たく端正で高貴な高麗の青磁にくらべ、李朝の白磁はあたたかくおおらかで、庶民の日常の器。
その美しさに朝鮮人自身が気づいていないことに彼は衝撃をうけた。

(思えば井戸茶碗も、本国ではいつしか雑器扱い、ついにはその製法も何に使われたのかすらわからなくなったことなどを考えると、朝鮮人は足元の美を看過しがちなのか。これは朝鮮半島の背負ってきた歴史ゆえか。)


彼は陶器のみならず、木工家具など朝鮮民衆が使用した生活品に強く惹かれ、忘れ去られていた美を見出す。

そして全国の窯跡をくまなく訪ね歩き、朝鮮陶磁史を体系化、後に「朝鮮古陶磁の神様」と称された。

一方弟の巧もまた、兄から見せられた白磁美しさに感銘をうけ、朝鮮に渡ることを決意。

専門の農林研究で朝鮮の山々の緑化に大きな業績を残しただけでなく、その仕事で朝鮮全土を歩き回ったがゆえに、当時の朝鮮人の生活、習慣、風土にじかにふれ、その生活の中にとけこんだ朝鮮陶磁、木工家具の美しさにひかれていった。

そして、日本帝国主義下の同化政策のもと消えていこうとする、そして朝鮮人自身も忘れていこうとしていたこれらの美をおしみ、各区をまわって蒐集したものを『朝鮮の膳』や『朝鮮陶磁名考』等の名著として残した。

いまだ民芸運動を唱える以前の柳宗悦に、ロダンの彫刻を介して初めて伯教がであったのが1914年。
そのときに土産として持参したのが「染付秋草文面取壷」(ポスターに乗っている壷)。
それがのちに民芸運動を導いた柳が、朝鮮陶磁の美に開眼した瞬間だといわれる。

以後、柳は頻繁に京城の浅川兄弟をたずね、親交をふかめていくことになるが、特に年が近いこともあり、弟の巧の人柄に強く惹かれていった。


巧は流暢に朝鮮語を話し、いつもチョゴリ・パジ(民族服)をきてマッコリを飲みソルロンタンをたべ、多くの朝鮮人の友人がいた。彼のわずかな給料は、貧しい家の子供の学費や、生活に困っている家の生活費として消えていったという。

人間的あたたかさ、やさしさ、おもいやりの心をもった、どこか茫洋としたこの青年を、朝鮮の人々は愛したという。

彼の家に遊びにきた朝鮮人の娼婦が同じく朝鮮人の警官とけんかになり、それを尼さんがなだめる、、、という場面もあったそうで、彼の交際は身分など関係のないものだったことをしのばせる。

今の時代でいうと、どうということもないと思えるかもしれないが、かの時代、軍人が電車で座っている朝鮮人の老人をたたせて席を横取りする、ということが平気で行われていた時代の話なのだ。

しかもあまりに流暢に朝鮮語を話し、どこからみても現地の人に見えた巧は、ときに日本軍人に理不尽なしうちをうけたそうだが、決して「私は日本人だ。」と言わなかったそうだ。朝鮮人がそういうときにするように、何も言わずそっとその場を立ち去った、という。

声高に、日本の朝鮮支配を批判したわけでもなく、政治とは無縁の人だった。
ただ、ただ、朝鮮を愛し、その失われてゆく文化、芸術を惜しみ、そして朝鮮に愛された日本人だったのだ。

巧の写真をみると、そのあたたかな人柄が伝わってくるようだ。
決して男前、というのではないのだが、好きなタイプだなあ。

しかし、体が頑丈なことが自慢だった巧が、過労もあったろう、肺炎に倒れ危篤に陥ったのはまだ40歳のときであった。

彼の重い症状に心配を寄せる、民芸の河井寛次郎が、浜田庄司にあてたハガキが展示されていた。

危篤に陥った巧に、なくなる前にあってやって欲しいと伯教が柳にあてた手紙も展示されていた。

これらの手紙がほんとうに胸をうつ。
今回の展示で、実はこれが一番こたえた。

朝鮮の人たちからだけでなく、日本の仲間からもこれほど愛された人間。

愛されすぎて、神にまで愛されてしまったのだろうか。

柳はとるもとりあえず、すぐに京城にむかったが、到着寸前の列車の中で「タクミ シス」の電報をうけとった。

いかに柳が浅川巧を惜しんだことか。


巧の亡がらは白いチョゴリ・パジに包まれ、棺は朝鮮の民衆によって担がれ、朝鮮の共同墓地に埋められた。
彼が愛して、また愛された朝鮮の土に文字通りなったのだ。
(しかもあの時代に!)


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彼の生涯を描いた「白磁の人」。

これを原作に、浅川兄弟のふるさとである北杜市では映画化のプロジェクトもあるという。
これは見に行きたい。永島敏之が浅川巧役、、、なのかな?

柳宗悦の美意識や、茶道にたいする考え方を尊敬してやまないのだが、その彼を朝鮮陶磁や木工=庶民がつかっていた道具=用の美に目覚めさせる契機となり、民芸運動を推進する大きな力となった浅川兄弟のことも、もっともっと知りたいと思った。

思えば、「民芸」という言葉も知らず、李朝家具のおおらかな美しさに惹かれた。

井戸茶碗を通じて柳宗悦を知った。

なんだか一つの道筋の上を導かれているような気がする。

そしてまた、柳を通じて浅川兄弟をしることができた。


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美術館でこの本を購入した。
ゆっくりと読んでみようと思う。


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コメント

しぇるさま

雨森芳洲をごぞんじですか
この方も朝鮮と日本との交流の上で忘れられない人ですね

楠葉西忍という人は天竺人を父としたハーフでした

いろんな時代に、いろんな人が往来し交流を深め
見分を広めたということですね
そうした異質のキャラクターを差別なく(難しいが)
受け入れる土壌を作ることが豊かな文化を築く上での
礎となることと信じています

先日 韓国に行きましたが 娘と行ったせいか 街にはあまり焼き物がなかったのです。もっと見たかった。
軟らかい感じのするあちらの白磁は私も好きです。

野中の清水様

残念ながら、雨森芳洲さんも楠葉西忍さんも存じませんでした。
きっとこういう方は多くおられたのだと思いますが、あの帝国主義下で朝鮮の文化を愛しぬいた、ということが尊く思えるのです。
偏見や人種の垣根がなかったことは、彼がクリスチャンであったことと無関係ではなかったかもしれません。
今は、グローバリゼーションの時代、かえって簡単にそういう垣根は飛び越えられるかもしれませんね。
私が子供の頃「朝鮮」というと、なにか言葉に含まれていた微妙な感じを、今の若い世代は全く感じることなく口にしているのは、たのもしくさえあります。

ひいらぎ様

ソウルの町中では、観光客向けの陶磁器しか目につきませんでした。
あるところにはあるのでしょうが、一般人は日本の骨董屋さんでさがしたほうがいいのかもしれません。

西岡京治というかたは、ブータンで国葬された日本人です
浅川兄弟や、西岡さんのようなひとが数多くおられれば
軍艦、戦車、戦闘機などは必要ないのですが

伯母は年金生活ですが、自分は何もできないからと
年金から毎年「国境なき医師団」に寄付しています。
伯父の年忌法要のお供養はそこへの寄付金の領収書でした。
友人からの封筒のシールにユネスコのものが貼ってある

案外、私たちの近くにこんなことから始めている人は
結構いるようですね

野中の清水様

ほんとうにそうですね。
私たちにできることは、ほんとにささやかなことですが。

それにしても「美」の名の下に、これだけの人材が集まって交流していた、というのはうらやましい人間関係です。
人を引きつける思想、人柄、なにかひとつでもあればいいのになあと思いますね。

恥ずかしいことに今まで陶磁器に対する知識がなく、青磁も白磁も一緒くたにしていたので「井戸茶碗の謎」はとても得るところが大きかったです。お蔭さまでよい本を紹介していただきました。「井戸茶碗」を読んでいたからこそこの記事も、以前にはなかっただろう深い受け止め方ができたと思います。(ちょっと自惚れかな)。まねっこみたいだけれど、「白磁の人」も読みますぞ!

yuchi様

いや、私も似たようなもんでした。青磁と白磁の時代が全然つかめていませんでした。こうしていろんな本を読んで、展示に触れてやっとわかってきた、、というか。
「井戸茶碗」に関してはご紹介くださったそらいろつばめ様に感謝です。
「白磁の人」は薄い本で物語仕立てなのですぐ読めますよ。
浅川兄弟が集めて、家を修理するために日本人コレクターに売却した白磁、蓮花紋の壷が、大阪東洋陶磁美術館の安宅コレクションに収まっていることを知ってびっくり。見に行こうと思えばいつでもいける場所に浅川兄弟ゆかりの品があったなんて!

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