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2010年5月27日 (木)

「井戸茶碗の謎」「神の器」〜申 翰均

それは朝鮮の飯茶碗である。それも貧乏人が普段ざらに使ふ茶碗である。
全くの下手物である。典型的な雑器である。一番値の安い並物である。
作る物は卑下して作ったのである。個性等ほこるどころではない。
使ふ者は無造作に作ったのである。
・・・・・・・・・・・
土は裏手の山から掘り出したのである。釉は炉からとってきた灰である。轆轤は心がゆるんでいるのである。
形に面倒は要らないのである。数がたくさんできた品である。仕事は早いのである。削りは荒っぽいのである。
手はよごれたままである。釉をたらして高台にたらしてしまったのである。
室は暗いのである。職人は文盲なのである。窯はみすぼらしいのである。焼き方は乱暴なのである。
引っ付きがあるのである。だがそんなことにこだわってはいないのである。
またいられないのである。安物である。誰だってそれに夢なんか見ていないのである。
・・・・・・・・・・・・
これほどざらにある当たり前な品物はない。これがまがいもない天下の名器「大名物」の正体である。
・・・・・・・・・・・・
あの平々凡々たる飯茶碗がどうして美しい等と人々に分かり得ようや。
それは茶人達の驚くべき創作なのである。飯茶碗は朝鮮人たちの作であらうとも、「大名物」は茶人達の作なのである。

                    柳 宗悦 「茶と美」


まさしく私の愛読書からの井戸茶碗に関する引用。

そして井戸茶碗=朝鮮の雑器、、、と大方の日本人(多分大方の韓国人も?)は認識していたと思うが、それにまっこうから異を唱えたのがこの本。

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「井戸茶碗の謎」申 翰均・著  バジリコ株式会社


そらいろつばめ様から教えていただいた本です。

著者の父上は初めて高麗茶碗を再現した陶芸家で、彼もまた陶芸家であり、韓国陶磁器の研究をされている。

彼によると、井戸茶碗は、宮中用祭器に対して庶民の祭器であったという。

祖先を祀る祭器であれば、それは高い技術と細心の注意をもって、陶工たちがこしらえたもので、片手間にさっと作られた雑器ではありえない、と。

不思議なことに、いまでは韓国の人ですら、井戸茶碗の本当の使われ方を知らないそうだ。
むしろ、柳の雑器説が大方に受け入れられているらしい。

なぜ、高麗茶碗(井戸、三島、刷毛目、熊川、斗々屋、金海、伊羅保などなど)が朝鮮半島でも作り方がわからなくなるほどとだえたのか?
それは当時の朝鮮人、特に両班階級が、白磁の発明とともに、端整さと白の色を好み、白磁ばかりを使うようになったからとも、豊臣秀吉の朝鮮侵攻のとき、多くの朝鮮陶工が日本に連れ去られて打撃をうけたからとも。


朝鮮半島ではほとんど井戸茶碗は出土しないそうで、それが著者の祭器(=先祖を祀ったあとは粉々に割って、別の場所に埋めた)説の根拠の一つになっている。
他にも、井戸茶碗が安定の悪そうな高い高台をもっているのは、祭器(=この茶碗にそなえられたものは絶対に食べない)であるがゆえで、もともと日本人とちがって、茶碗を手に持たずに机においたまま食べる朝鮮人にとって、安定の悪い茶碗は実用になりようがない、とか。

この新しい井戸=祭器説はどのくらい受け入れられるだろうか。
これに関して著者以外に研究している人はいるのか。

知識のない私としては反対、とも賛成、とも言いかねるが、さまざまな窯の跡をたずね、自分でも作陶されるという、肌で感じるもののある著者の説は説得力がある。

そして多くの現代までの陶工が試みてきて、ことごとく失敗した、井戸茶碗の再現。
それほど井戸茶碗は高い技術がないと作れない、ということはよく理解できた。

だから柳の文のように、貧乏な陶工が雑に大量に作った物ではない、ことだけは納得。

しかし、貴族階級の両班たちが使った祭器にくらべて、高い技術で作られた物ではあったものの、決してとりすました、フォーマルな物ではなく、あくまで庶民のものであっただろうし、それゆえに唐物に対する存在としてあえて「雑器」としたのは柳のレトリックだと思う。

均整のとれた器ではなく、少しゆがんだ井戸の美しさ。
それに美を見いだしたのは紛れもなく日本の茶人であったけれども、それを作った陶工たちもまたそのゆがみやわざと残した轆轤目に美しさを表現しようとした、のもまた真実ではないかと思える。

今後の研究でどのように展開して、どのような結論が出るのか。
今の今まで、井戸茶碗は朝鮮の雑に作られた雑器であると信じて疑わなかっただけに、目からウロコの本でした。
(この本は「へうげもの」の公式HPにもとりあげられています)

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さらに驚きは、筆者がこういう小説も書いていること。

秀吉の朝鮮侵攻時、日本に連行された朝鮮陶工が一生をかけて、井戸茶碗を作ろうとする物語。

主人公は架空の人物だが、他の登場人物はほとんど実在の人物。
特に、日本に陶芸の高い技術をもたらした朝鮮人陶工(多くはむりやり拉致されてきた)たちの実像は、悲惨さも、栄光もあり、初めて知ることばかり。小堀遠州や細川三斎なども登場。

朝鮮側から見た、文禄・慶長の役(朝鮮侵攻:朝鮮では壬申倭乱)についても、たいへん興味深く読んだ。
有田、唐津でなぜあれほど焼物が発達したのか。
連れてこられた朝鮮の陶工たちの力なしでは、当時西洋でたいへん人気があり、日本の主要輸出品にまでなった陶器は生まれなかったことも、再認識。

そして、著者はご自分の井戸=祭器説を、この小説でさらに説得力のあるものにするのに成功した、と思う。


これらの本を読み終えて、なぜあれほど当時の茶人が井戸をはじめとする高麗茶碗に熱狂したのか、高麗茶碗とは一体どういうものだったのか、わずかながらわかったような気がする。

茶碗一つに、どれだけ陶工たちの熱い情熱や苦労がこめられているか。
そのことに思いをはせる心構えはなにより大切だと、思った次第。

できうれば、一生に一度、ほんものの井戸茶碗をこの手にふれることができたらな〜。

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コメント

こんばんは
先日の「恐ろしい会」で井戸茶碗の話も出ました

某美術商さんの手許に光悦の「不二山」(国宝)と
ある柿の蔕茶碗の「毘沙門堂」(重文)の2つが
来てしまった
どちらを手許に残すか
主人と従業員全員で両者を眺めて
結局「毘沙門堂」がいいということになり
「不二山」を売ることにしたそうです
世評と違うところですね
友達に聞くとやはり「毘沙門堂」でしょう、という。

その時に例の「不二山」の箱書について尋ねると
光悦の自筆とは思えないとの意見が多く、
自筆という人は誰もいませんでした

美術品というのは難しいものですね

野中の清水様

例のおとろしいメンバーですね。
茶碗にも造詣の深い方もおられるのですね。
それにしても国宝級が流通している、、、ということにびっくりです。
箱書きの字までも問題になるのですね。しかし作者が光悦というのはまちがいないのでしょうかね。
ああ、一度でいいからこんな茶碗でお茶のんでみたい、、、せめてさわりたい〜〜bearing

私は、まあ確実に一生本物の井戸茶碗に触れることはないと思うけれど、井戸=祭器説は興味深いです。茶器にも陶芸にもまったくの素人ですが、庶民の普段使いの雑器なら、もっと縁も厚くどんぶり風の丸みのある形が、作るのも使うのも楽なのに・・・と不思議に思っていたものですから。ピンとはずれの感想でごめんなさいね。でもこの本、読んでみたいです。

yuchi様

高麗茶碗と言えば、唐物を珍重していた書院茶から侘茶へ変わる時代のシンボルですからねえ。雑器、雑器と何の疑問も持たずに思ってきたので、もし著者の説が正しいということになったら、コペルニクス的大転換ですわ。歴史ってシンプルじゃないんですね。
この本は、高麗茶碗の焼成の仕方までのっている、よい教科書になると思います。おすすめ!

しぇる様

昨年は国宝級のものが結構出ていたそうです
有名なものでは、佐竹本三十六歌仙が三本
業者間で売却話が出ていたそうです
おさまるべきところに納まったようです
また熊野懐紙が京都で有名な○さんが在庫でお持ちだそうです

変えないけれども、一度生でみてみたいですねえ


実に奥が深いですね~~~~。
井戸茶碗やその他の高麗茶碗も、その当時の
品物が見れるのは茶道のおかげかもしれませんね。
そういえば、曜変天目も作り方が解らないそうです。
雑器、特別に作られた器にしても、星の数ほどの中から数点しか残っていないのは、その器の中で魅力的なものが厳選されてきた姿なのでしょうね。それと時が今の姿を作ったとも言っても過言ではないと思います。あの楽茶碗でも、時を経た肌合いは格別です。

陶芸はしても茶陶は全く知識なく・・でお恥ずかしいかぎりですが、浅学ながら歴史物は好きなのでその面でも興味深い本ですね。

通勤中に1時間本が読めればたくさん知識が付くと思ったのに、下を向いて字を追うと気持ち悪くなるので、爆睡状態でほぼ2年・・・coldsweats01

私が野村美術館のセミナーで申さんの講演を聴いたのが2年前です。その後、しぇる様のブログに巡り合って、いつどんな形でこの話題を出したらいいのかと、時おり考えていました。私自身、全然理解が足りないですし。
でも今回、思い切って言ってみて良かったです。しぇる様は直ぐにこの本と「神の器」までお読みになって、真摯にお考え下さった姿勢に敬服します。
先日、野村の谷先生のお考えをお聞きしてみました。「全ての井戸茶碗が祭器だとは思わないが、大筋では申さんの考えに賛同する」という事でした。
また、別な話題ででしたが、「調査研究が進むとロマンが壊されることもありますねえ」ともおっしゃっていました。
申先生の講演は楽しくて、クイズを出して正解者には、ぐい飲みなどのご自分の作品を下さるんですよ。私は当ててもらえなかったから、次回を期待してるんですが。。。

野中の清水様

佐竹本まででているのですか?近代数寄者の持ち物もずいぶん散逸しているとは聞きましたが。
しかるべきところにおさまったのなら良いですね。
維持が大変で転売のあげく海外に流出、、、というのは残念ですから。
ちゃんと一般公開してくれるところなら、尚良いですが。

nageire様

そうです、お茶をやっていなければ天下の井戸も「こぎたないゆがんだ茶碗」と思っていたかもしれませんわcoldsweats01
曜変のあの妖しい美しさも、高麗茶碗のおおらかな美しさも、楽の美しさも、その来歴を知ればなおまさるというもの。
願うらくは是非一度は、お茶を飲めないまでも、さわりたい〜〜、、、です。

夢風庵様

通勤電車で本は読めても、ちかごろはすぐ、読むそばから忘れちゃいますので、結局は同じです〜catface
夢風庵様の先生の脇山さんの作品、今日見てきましたが、お茶席に使いたいナと思うようなお茶碗もありましたね。いずれ夢風庵様のお茶碗で一服、いただきたいですわ。

そらいろつばめ様

この本をご紹介下さって感謝です。
特に柳宗悦の「茶と美」は愛読書ですので、よけいに興味深く拝読いたしました。
井戸に限らず、茶の湯の歴史ではいままであたりまえ、と思っていたことが実は本当はよくわかっていない、ということがよくわかって(なんのこっちゃ?coldsweats01)きました。
秀吉の北野大茶会の日付けですら、諸説あるんですってね。
歴史の資料だけたどっていると唯物的になって、たしかにロマンが入り込む余地はなくなりますね。でもそれはちょっとさびしい。
「神の器」の方はまだロマンがあって、よかった。
それにしても申先生の生講義が受けられたなんて、うらやまし〜!

お久しぶりです。高麗茶碗のこと、私も大好きでこのご本を読んでみたくなりました。そらいろつばめ様、しぇる様いつも貴重なお話を、有難うございます。それと、曜変天目茶碗については、いろいろな作家さんが復元に挑戦され、私の知る所、林恭二さん(美濃)と桶谷寧(京都)さんはとても本物に近いとの事。ある茶道具商での展示会で、桶谷さんの天目を見せていただく機会がありましたが、写真で見る曜変天目と瓜二つに見えましたよ。もちろん強い光の中ですが。自然光の茶室で、何処まできらめくようなあの曜変の星が見えたのでしょう、、、、、?ちょっと疑問です。高麗茶碗のこと、もっと知りたいな~。いい講演会がありましたら、是非ともお誘いくださいね。

koto様

お久しぶりです〜。
相変わらず茶道に勢いよく、邁進されていることと思います。
唐物、楽、茶碗はいろいろあれど、なんだか高麗茶碗はツボにはまって、一度でよいからお茶席で朝鮮王朝時代のものをてにしてみたいものだ、と切に願っています。どこかにそんな機会がころがっていないかな。
新作の曜変のことは雑誌などで拝見したことがありますが、実物をみる機会はまだありません。ご覧になったのですね。いいですね〜。
やはりお茶を飲み干すとき、目の前に宇宙が広がるのでしょうか。ほの暗い茶室でこそ拝見したいですねえ。

すいません。林恭二ではなく、林恭助さんでした。訂正してお詫びいたします。

koto 様

ご訂正、ありがとうございます。
今、大阪の藤田美術館で曜変天目(国宝)が出ていますので、来週あたり見に行こう、と思っています。

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