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2009年3月30日 (月)

京都・杉本家の雛飾り〜膏薬図子

実は本来の目的は京都大骨董祭だったのですが、杉本家の一般公開・雛飾り展がこの日までだったので、骨董の戦利品をかかえて、綾小路は西洞院まで足をのばしました。

杉本家は京都に現存する表屋造りの町家のうちで最大級の規模の家のひとつです。

昨年秋、NHKハイビジョン特集「杉本家 歳中覚の日々〜京の町家200年のレシピ」を拝見して、そこにただよう、町家独特の陰影に富んだ雰囲気、そこでいとなまれてきた質素で堅実な暮らし、の一部をかいま見て、一度実際に拝見したいものだとおもっていたのです。


同じ規模で、現存し、いまでも生活がいとなまれている町家として、私がすでに訪れたのは、吉田家(・2回行きました)、秦家

一般公開されていない同じクラスの町家はまだまだあるんでしょうけどね。


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享保雛をはじめ、時代物のお雛様が町家独特の陰翳のなか、あちらの座敷、奥の座敷、と飾られています。

一人で見ると少しこわいような。

訪れたのが午後3時ごろ、の良い時間帯だったので、西向きの座敷の障子いちめんに庭木の影がうつって、お雛様のお顔は逆光になり、えもいわれぬ雰囲気で最高でした。

でも、見たかったのはお雛様ではなく、なんといっても家そのものです。

黒光りのする磨き込まれた建具や柱の木の美しさ!

濡れ縁と苔と石の庭、蹲居の風情。

そしてクライマックスはなんといっても火袋(走り庭の上の吹き抜け部分)。

ここのはしり(台所部分、通り抜けできる)は計15畳に相当する幅も奥行きも大きな物なので、それにみあった火袋はもう、言葉を失わせるのに十分でした。

大きな梁に垂直に平行に木が組まれる準棟纂冪(じゅんとうさんぺき)とよばれる化粧木組、そのあたりにただよう翳、みあげたままず〜と見つめていたい。次に上をむいたまま目を閉じて聞こえる音に耳をすます。

あんぐりバカみたいに口をあけて上を見てたんですかねえ、杉本家の現当主の奥様が訪問客をもてなす茶菓のための台所仕事をされながら、

「もう一段下におりてご覧になってもいいですよ。」

と、声をかけてくださる。(恥ずかし、、、)(あ、ここのおくどさんも、荒神棚に飾られた伏見人形も必見ですよ)

TVで見たとおりの上品ですてきな方でした。こちらのいわゆるダイドコで、ここのお庭の夏みかんをつかって三女の歌子さんが手作りした、という夏みかんパウンドケーキと夏みかん湯をいただく。

この日は寒のもどりで町家の中は風びゅーびゅーで(ここらへんが、寒がりは町家に住めへんなあと思うところ。)さぶ〜だったのですが、足元のホットカーペットのぬくもりがなんともいえずほっとします。

町家改修に床暖房は必須、といわれるわけがよ〜くわかります。

走りに続く普段使いの庭、かつてはここにも蔵があったそうですが、いまや柚の木が大きな黄色い実をつけています。その足元にたくさん咲いている白い花は花ニラでしょうか?遠くからだったので確認できませんでしたが。

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次の当主になられる次女の節子さんが、杉本家に関わる本など販売されていたので、一冊もとめました。

まあ、ほんまに色の白いお肌のきれいな京美人さんどすなあ。(なぜかいきなり京ことばcoldsweats01

この本はTV特集にもなった「歳中覚」に即してさらに詳しく、杉本家に代々伝わってきたしきたりや、季節ごとの行事、代々のご先祖さまからつたえられる心構えなどが、ご自分が子供の頃の思い出や家の様子にからめて書かれています。

京都のむかしながらの商家の暮らし、というのは私にとっては外国以上に知らない世界なので、読んでいておもしろかったです。

どうして京都の商家には布袋さん(の人形)が、それも大中小、いろんなサイズがあるのか、この本で初めて知りましたし、、。


その季節季節に即したつつましいけれど、堅実なくらし、その器としての町家。


私など、町家の外見的な美しさばかり追いかけてしまいますが、よくあまね様がおっしゃるように、中で人の暮らしがちゃんと営まれていないと、その価値はないに等しい、という意味が拝読してわかるような気がしました。

おそらく年代的には、私が大学生ではじめての祇園祭の宵山でうかれていたころ、節子さんは小学生くらいで浴衣を着て「ろうそくいっぽんけんじられましょう〜」と歌いながら粽を売っていたのでは?と思うとなんだかおもしろい気がしました。

(杉本家は祇園祭の伯牙山のお飾り場所です)

祇園祭宵山では杉本家でも屏風飾りがありますし、奈良屋記念杉本家保存会の会員になると、いろいろな催しに参加できるそうですので、これも京都生活の楽しみになるかもしれません。

さて、長くなりますが、杉本家を出て、家の西側をみると細い路地があるのです。


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眺めてみると行き止まりに見えるし、知らなければスルーしますよね。

こちら膏薬図子(こうやくのづし)とよばれる綾小路通から四条通へ通り抜けられる路地なんです。

なんでもかつて空也上人がひらいた「空也供養の道場」がなまって膏薬図子になったとか。

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目印は杉本家の壁にかかったこの看板。

このあたり矢田町というのね。


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風情のある町家が並んでちょっと不思議な良い雰囲気。

道は鍵の手に曲がってさらに北へ。


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こんなろうじもあって、迷路のよう。ここにくると新釜座(しんかまんざ)町になるんだ。

中に入ってみると、


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行き止まりにお地蔵様。

これが京都の醍醐味だわ。


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こちらでは郭巨山になるのね。


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こちら日曜はお休みの木版印刷竹笹堂さん。

ここに移転される前の店できれいな木版のブックカバーを買ったことがあります。

京都市の有形文化財に指定されているおうちなので、今度お休みじゃないときに是非いかなくちゃ。

、、、、、ところがこの図子、結構多くの町家が空き家になっているらしいです。

歩いていると「売り家」「貸し家」の無粋な看板がかかった家が2つや3つじゃないのです。

おまけに四条に出る手前に、、、、


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左手にぽっかり空いた区画が、、、。

ホテルが建つらしいです。どんなデザインになるかしりませんが、ここにホテルのような大きなビルが建ったら、そこはもう壁を失って「図子」、とは呼べなくなるのではないかしら。

時代の波とはいえ、この図子も消える日はそう遠くないのかもしれません。weep

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コメント

路地散策、いや図子散策というんかな・・・
いい時間が流れてきますねぇ~

今度いつかしぇるさんとこんな時間といい風を京都で共有したいものです。
その節はどうぞよろしゅうに!

♪ご信心のみなさまは…明日は出ません今晩限り…。懐かしいです。私は鉾町に住んでいなかったので、詳しくは知りませんが毎年聞いていると耳が覚えてしまいますね。
町家の維持管理は大変でしょうね。ウチは町家ではありませんでしたが、大正の古い家で、暖房は火鉢が主、隙間風で冬がとても寒かったです。
祖父母は歳時に気を遣っていました。1日と15日は必ずお赤飯でしたし、月命日はお寺さんが仏壇にお経を上げに来ていました。雛祭りは旧暦、お内裏様はもちろん向かって右でしたよ。芋棒とは云いませんでしたが、冬場は棒鱈と海老芋もよく食べました。
京都の町家はどんどん無くなっていますね。子供の頃、墓参りで東山から見た京都の街はまだまだ瓦屋根がたくさんあり、八坂の塔が目立っていました。京都駅から出発する蒸気機関車の汽笛もよく聞こえました。
以前の住まいは町家だったそうですが、禁門の変で焼けてしまい、その後の道路拡幅で引っ越したそうです。今では変わらないのは西大谷のお墓だけです。

父が丁稚のころ居候していた家が杉本さんちと同じ
お町内なので(ずっと親戚づきあいをしています)、
膏薬図子ではよぅ遊びました。うちが小さいころは
ほとんどが染めにかかわる職人さんのお家でしたよ。

うちのねきの相合図子でもそうですが、
どうも京都市は「図子」がお好きでないようで・・・
どんどん名前を「~通り」にかえていったはりますねwobbly
こういうのも、文化やと思うんですがねぇ。。。  moon3

私も、ど真ん中にあってひなびた風情を感じさせるこの通り、好きです。神田明神の祠も、知る人ぞ知るちゅう感じで。

そやのに、マンション?!せちがらいねぇ。空いてる家ももったいないけど、そうかと言うてお店ばっかり出来るのも問題あるしなぁ。

ヘルブラウ様

nnya様との平岡珈琲での初デートのお話、聞きましたよ!
わたしも京都でヘル様と路地散歩したいです〜。その前に同じ日本におられるnnya様との初デートもしなくちゃ〜。
今回の帰国もおいそがしそうですが、十分お楽しみくださいね。

へちかん様

この杉本家も禁門の変で焼けて今の場所にうつってこられたとか。
そこらへんが「戦争(太平洋戦争)で焼けて、、、」という他の町との
違いですね。応仁の乱で、じゃなくてよかった!coldsweats01
京都生まれの友人の何人かはけっこうごつい町家になにげに住んでいて、本人達はべつに普通と思っている様子なのにびっくりしたことがあります。
S&Y様にご紹介いただいた「京都市電が走った町 今昔」という本、まさに大学生だった頃の写真がてんこもりです。町は少しずつ形を変えて行くので気づきませんでしたが、これを見ると、ずいぶんかわったんや〜、、、の思いを強くしました。

あまね様

あら〜、あまね様ご幼少のみぎりはここらで遊ばれてたのですね〜。
ここは車は入ってこれないので、近所の子供たちが気兼ねなく遊んでいる、、というのが似合う図子ですね。昭和の頃まではきっとそうだったんでしょう。
相合図子ってあるんですか?こんどいってみなくちゃ。
京都の地名は財産ですのにね。東京が、江戸の頃の地名をみんな葬り去ってつまんない地名ばかりになりましたよね。地名を整理して一体誰が得するのか謎です。

ぽん様

神田明神の前を通って、なんやこのおじぞうさん?檻にはいったはるわ〜と思ってました。あとで本を読んで、将門の首云々の言い伝えのある由緒ある明神さんと知りましたcoldsweats02ひや〜、もうちっとよく見ておくんだったわ。知らないってコワイ。

子供の頃は市電が縦横無尽でしたが、大学生のときにすべて無くなりました。祖父からよく聞きましたが、今では想像のつかないところを昔は走っていたとか…。
木屋町通りや寺町通りも電車道だったそうで、寺町二条の交差点が一部アールになっているのも線路の名残だそうです。終点は御所の東側、鴨祈高校のあたり、今は市営駐車場になっています。
ウチの家は北野線の施設による道路拡幅で立ち退いたと聞いています。広島に行くと京都市電の車両が現役で走っているそうですね。

へちかん様

烏丸の西の南北の通りを横切ってあるいていて、なぜか西洞院は広いなあ、と漠然と思っていたのですが、本を読んで、ここは昔市電通りだったんだ、と納得。
廃止される前はわずかな線しか残っていませんでしたが、思い出深いのは22番、洛中をぐるりと一周する線でした。某ボランティア活動で週に一回、百万遍→西大路九条、対角線の駅を行きと帰りで一周していました。

その、戦利品がまず気になります(笑)。

図子(辻子)の名は、中世以来の都市開発の名残なのですけど、それが消えていくというのは、なんとも。
こうなると今後のためにも、各町ごとの聞き取りの記録が大切になってきますね。『雍州府史』や『京都坊目誌』のような京都の地域の歴史や風俗などの悉皆調査のお仕事をしていただけるかたが出るといいのですけどね。
(まあ『史料京都の歴史』がございますけど・・・。)

もちや様

はいはい、ご要望にお応えして(?)戦利品、本日アップしましたよ。

図子の歴史は中世までさかのぼるのですね。あ、京都だし、あたりまえか?(すみません。日本史選択でなかったもので、あまりにも知識が乏しくて)
京都の町名は聞いただけで、具体的イメージがどんどんふくらんできますね。しかも角が取れた、口に乗せてもはんなり系の名前が多いので、地図で名前をひらうだけでも十分楽しめるというもの。だれか町名の保存を働きかけてくれ〜、、です。

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