フォトアルバム
Powered by Six Apart

« 即全の茶碗?! | メイン | 心斎橋大丸・キルトフェスティバル »

2009年2月 9日 (月)

節分に豆まきしない保育園

P1040511

うちの梅は遅くて、やっと蕾がほどけてきた感じです。まもなく開花するでしょう。

忙しいです。

ここ数年で一番。

でも、これは京都へ移住するための第一歩なので、がんばらないといけません。


P1040507

   cat「手、かそうか?」

いいです。遠慮しときます。

あんたの手、借りてもね〜、、、、、


話は変わるのですが、先日のお茶のお稽古の時、時節柄節分、豆まき、という話題に。

ところが、大阪府下の某市の市立保育園で働いておられる若いお弟子さんが、自分とこの保育園では園児たちは豆まきをしない、とのこと。

ええ〜?なんで〜?とみんなびっくり。

幼稚園、小学校低学年では定番の行事でしょう。鬼のお面、作りましたよ〜。

なんと、「鬼は外」は差別・いじめを助長する言葉だから、、、市立の保育園、幼稚園ではしないように指導されるそうなのです。

(ちなみに私立はこの限りにあらず)


P1040505

橋本大阪府知事のセリフではありませんが、

    「バカですね〜!!」

ところが、話は節分だけでなく、五月の鯉のぼりもだめなんだそうです。

上から真鯉・緋鯉・子供の鯉の順番が男尊女卑をあらわすものだとして。

ふたたび

    「バカですね〜!!」

さらにクリスマスも特定の宗教に偏ってる、という理由でツリーはだめ、とか。

いったい何なら許されるの?とききたくなります。

お雛様はかろうじて飾ってもOKらしいですが、この論理で行くと男雛が位の高い左側(向かって右)なのも、お内裏様より下に家来たちがいるのも、衣装に差があるのも、男尊女卑、身分差別、、、ということまでいいだしかねません。

子供たちが小学校の時、等級をつけてはいけない、ということで運動会では一等賞はつくらせず、親が居ない家庭の子がかわいそうだからと、お弁当は親と一緒でなく、教室で食べる、、、などおかしな「平等教育」に頭をかしげたものでしたが、
保育園、幼稚園までこうだとは!

学校で平等、平等、劣等感をもたないように、もたないように、と現実から目をそらして守られても、実際の社会に出たらいっぺんに、そういう確実にある、いろんな意味での差別や遠慮ない他人の指摘にさらされるのはまちがいないのに。

そういう社会へ抵抗力のないままほうりだすほうが罪だと、思うのだけれど。

掲げた理想はわかります。

でもそれが波風たたせないで無事通過させるためだけに機能するように変質してるのではないかと疑ってしまいます。

ここで教育論をぶつ資格なんぞ、私にはありませんが、むしろ一筋縄ではいかない人生というものの手ざわりを、幼い頃から体感して、そういうときに自分はどう対処したらいいのか、どういう大人や友達が頼って良い相手なのか、学ぶべきだと思うのですが。

豆まきもクリスマスツリーも鯉のぼりも知らないで、季節の微妙な気配にも鈍感な子供たちが増えないことを祈るばかりですわ。


お口直しに我が家の庭の微妙な季節の気配をお届け、、、


P1040513
昨年の花のこぼれ種から芽が出たネモフィラ

P1040516
こっそりうつむいて葉の陰に蕾をつけていたクリスマスローズ

そして、この季節にこんな大輪のバラにであうとは!
P1040515

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/349039/18480388

節分に豆まきしない保育園を参照しているブログ:

コメント

シェル姫のふかふかのお腹、それでもどこかお上品でお姫さまな大あくび・・・なごみます。

大阪の市立保育園の話、驚きました。昔から伝わる年中行事や伝承は、日本の文化や歴史の一部だと思いますし、自分が日本人であると感じ誇りに思うには、こういう行事を親から子へと引き継いでいくことが大切のような気がしますが。
そして、一等賞を付けないから差別がなくなるのではなくて、一等賞の子もびりさんも同じ価値のある人間だと教えていくことで差別をなくすのが教育じゃないかな。おっしゃるとおり世間に出ればきれい事は通じずに、風も目も厳しい現実にさらされるのですもの。火は熱い、刃物は怪我をすると分からせ、扱う知恵を育てないといけませんよね。

春を待つお庭の花々にうっとりです。

若い頃共産主義に疑問を持ったのはこの平等主義でした。
共産主義の崩壊で想いに確信がもてました。

でもこんな思想は長くは続かないでしょう。
ただ危ないのは子どもたちが素晴らしい伝統行事を覚えていないことだと思います。

 うちの子供がネコちゃんにウケておりました。「気持ちを察してくれてるネコだ」と感心してましたよ。
 我が家では、主人の帰宅が10時だったので10時に豆まきしましたよ。お面は近年手作りで、年々鬼とは関係ないオブジャになってきました。

 世の中、良くも悪くも平等であるはずはなく、無意味ですね。

 ちなみに、うちのお寺の若さんファミリーのチビちゃんは、普段お菓子にまみれている生活のせいで、園のクリスマスでプレゼントを頂き、喜んだのをつかの間、中身がお菓子と知り露骨にガッカリしたそうです(笑)

 追伸 ちょきたに<様>は恐縮なので、ご勘弁願えれば幸いですdog

yuchi様

私が言葉足らずで言えなかったことの補足をありがとうございます。そうなんです。こういう季節の行事は日本の文化伝承に重要な役割を果たすと思います。日本人であることのバックボーンになるべき経験だと思うのです。
小学校での「平等教育」は知っていましたが、こんなかたちで保育園にまで「平等思想?」がおよんでいるとは!と愕然としました。

「あくび姿はわたくしの優雅さを台無しにしますが、お姫様といっていただけて救われましたわ。」by シェル

ヘルブラウ様

ある種の差別は人間が存在する限りなくならないと思います。人間の心ってそういうふうにできているんです。残念ですけれど。
ある時は差別され、ある時は差別し、生きていくんですね。それが人生だと学ばないと。
私もこんな教育の仕方はもう反省すべき時に来ていると思います。いくら平等でも、こんな楽しい思い出のない子供時代なんてごめんです。

ちょきた さん?でいいかしら。

呼び捨てはどうも抵抗があって、、、
はい、この猫、名前を、お察しの通りわたしのブログネームのシェルと申します。
気持ちを察してくれるかどうかはきままなので、気分次第ですが、、、、coldsweats01

ちょきたさんちもちゃんと、豆まきされたんですね。ちびちょきさんも、大きくなったらきっと2月には豆まきを思い出し、自分の子供さんとも豆まきをなさることでしょう。それが大事!だと思います。
それにこの機会に、子供にとっては鬼という存在ってなんなんだろう?と考える良いチャンスにもなっていると思うのです。
家庭でやるのは自由だけど、保育園内ではやってくれるな、というのはクレームに対する逃げ、としか思えません。

豆まきをした夜、下のボン・みのりん(小1)がお風呂で訊いてきました。
「まま、鬼って何?」

今まで保育園で毎年、鬼に扮した先生(誰かわからないくらい、ものすごリアルやったらしい)に豆を投げていたのですが、
今年からは豆まきが家でのみになり、何に向かって豆を投げるのか?と思ったらしい。

「うーーん。
たぶんやけど、
みのりんの心の中にある、いじわるな気持ちや怠けたい気持ち、ずるい気持ちが鬼なんやないかな。
だから、『鬼は外』ってして、みのりんの中からそういう気持ちを追い出すんやないかな・・・」と答えました。

そしたら、
「そうか。忘れとった。
そういえば、去年、保育園の先生もそんなこと言うたはったわ」と。

差別と区別、平等をはき違えている昨今、
先生がどのように子どもにアプローチするかでぜんぜん違ったものになるはずなんですが。

先生の力量の問題もあるかと。   moon3


ほんま!生きていくのは厳しいことなんよ~~!甘ちゃんで、護られっぱなし(いえ!これは全く護られているのではなく、その反対です)で、来ていたら、ポンと出た社会で頼もしくなんか!生きられへんよ~~~!シェルちゃんも、わかるよね~~~!

シェルお嬢様は可愛いオーラ実力発揮で大活躍!

昨日、友人と子供の成長過程を振り返って様々な思いを話していたのです。

人は平等であるべきであっても・・・どうしても、備わった「ちから」の差は生じるものです。それを無意味に同等化する必要もないし。事実出来ない。そんなこと子供たちでさえ、すぐにわかる時期が来ますよね。平等の意味の履き違えをこういう形で可笑しな説明につなげること・・・怖いです。ばかげてもいるし。

今の教育現場がこういう「不可解な言い出し」を永年容認しているのかが、本当に不思議でならないです。歯がゆいです。
幼稚園の豆まきのことを知り、そこらにまでと・・・
この問題点の根の深さに愕然としました。

「鬼=差別・いじめの具現」だなんて、なんという貧困な想像力なんでしょう!
これは某市の教育委員会の方針でしょうか?
教育者の機関がこんな浅い考えしかできない人の集まりだなんて考えるとぞっとします。
「鬼とはなんぞや?」というディスカッションのひとつでもやってみなさいとか言えないんでしょうかねえ。。。

何でも平等一辺倒な教育って何だかある意味洗脳か?とも思ってちょっと怖くなるときがあります。


あまね様

みのりん君が保育園の先生にきいたこの言葉は、節分のころになると大人になっても思い出す忘れられない言葉になるでしょうね。
各先生の力量はあると思うのですが、その先生達をしばっているもっと上のお方の考え方が問題なんだと思います。
きっと先生方がきちんと教育をされていても、それに文句を言う親は絶対にいますよね、、、。そしてそういう人たちの方が残念ながら声が大きいのです。上のお方もその意見ばかりを尊重する事なかれ主義が多いという事ですかね。

nnya様

シェル姫はますますふくふくされています。(特に腹の辺りが、、、、。)お腹に顔をすりすりすると気持ちいいのです。おもいっきりイヤそうな顔されますけど。

日本の教育現場は○教○が牛耳ってますからね〜。かつては進歩的で理想をかかげた団体だったと思うのですよ。でも世界中で、ヘルブラウ様もいわれるとおり、共産主義は挫折しました。教育の機会は平等であるべきだけれど、教育の中身は平等ではありえないです。それに疑問を感じて一石を投じる運動があちこちでおこっているのはうれしいですね。(たとえば東京の杉並区の夜スペの試みなど。)
ありゃ〜、保育園の話からちょっとずれちゃいましたか、、、。でも根っこはきっと同じだと思います。

kasparek様

そうでしょそうでしょ。
鬼は外=いじめ、差別なんて発想どこからでてきたのか、私にはおもいつかなくてびっくりの発想です。鯉のぼりに至ってはもうこじつけとしかいいようがない。こんなまんがみたいなことがまことしやかに行われているなんて、日本は怖い国になったな、、、とうすら寒いです。
私たちにできる事といったら、たとえば親の立場なら、是非こういう行事は復活させてほしい、どこがどう差別なのか、と○○委員会にディスカッションをせまるくらいはしたいですね。でも現実はみんな忙し過ぎて、、、、、。そういう矛盾に目をつぶってとおりすぎてしまった私たちにも責任はあるのかもしれないです。

そもそも、節分で鬼に豆を投げるという行為が始まった理由をご存知ですか?鬼=差別といいうことではなく、歴史の背景のなかに差別があり、苦しめられてきた人たちがいるわけです。確かに節分は日本の大事な行事ですので、子どもたちに伝えていくべきだと思います。でも、その背景に差別で苦しんできた人たちがいることを忘れてはいけないと思います。保育所は逃げているわけではありません。勉強し、考え、その中で子どもたちに伝えたいことを一生懸命考えているんです。さまざまな考えがあるのは、もちろんです。でも、バカですねーというのは・・・。その言葉で傷つく人がいることも知っていただきたいと思います。

ジジ様がおっしゃるのは体制的差別のことでしょうか。
これだけ広く長い間おこなわれてきた季節行事に、ことさらに差別をむすびつけるのはかなりの飛躍を感じます。そういうふうに言い出すとなんでもかんでも差別問題に結びつけて、ずいぶん息苦しい社会になりそうです。体制的差別はなくなっても、人間がいる限り、いろいろな意味の差別を根絶することは不可能だと思います。
歴史的経緯が問題ならば、それを教えることこそが教育ではないでしょうか。触らぬ神に祟りなしだからしない、というふうに感じられるのです。
「バカですね〜」という表現がまずかったのならあやまります。
でももし信念を持って教育されているのなら、私のブログごときで傷ついたなんておっしゃらないでください。「バカですね〜といっているお前がバカじゃ!」と思って下さればいいですので。
思うことは多々ありますが、こういうディスカッションするのはこのブログの趣旨に沿いませんので、これでおしまいにしたいと思います。

コメントを投稿