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2009年2月20日 (金)

「茶道を深める」〜心理学者と茶道との出会い〜

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少し前に購入した本ですが、何回読み返してもお茶を学ぶ者として、納得させられること、なるほどなあと思わせるところ考えさせられるところ満載な本です。

しかも文章が平明なので(久松真一先生・比
coldsweats01)どこからでも読めます。

茶道雑誌の「淡交」に「茶道心講」として連載されていたものをまとめた本なので、一度は読んだことがあるはずですが、まとまって読むとまた理解しやすい。

一体どんな作者なのかしら、きっと白髪の上品な高齢のお茶人さんだわ、、と想像していたら、あにはからんや、なんとほぼ同い年のかたではありませんか!

岡本浩一さん、東大卒の「リスク心理学」のエキスパートで、文科省関連団体でリーダーシップをとられ今なお様々な国の委員会のメンバーかつ大学教授とか。

裏千家淡交会終身師範であるだけでなく、なんと将棋連盟免許4段、英語は母国語並みにしゃべれてフランス語の文献は読むのに支障なし、、、とは、どこまでも神様に愛され、きらびやかな才能にめぐまれたお方なんです。はあ〜〜〜happy02ただただ感心するしかない。

この本にはいままで参席した、あるいはご自分が主催した茶会や茶事などで感動を味わったこと、心に残る数々のことなど多岐にわたって書かれていて、なるほど、こういう茶事もありなんだ、こういうところは取り入れたい、茶人の心構えとはこうなのか、、、などなど具体的な話がなかなかおもしろいのです。

茶席で亭主が出ると、水屋の半東は、襖越しに柄杓が蓋置きにのるかすかな音に耳を澄ませ、点前が始まったことを知り、ほかの間合いを考える。

その間、水屋は絶対の沈黙となる。

茶事の連帯を感じるときである、、、、、、学生時代、心茶会の錬成茶会で水屋総指揮をやったときのことなど懐かしく思い出させてくれる一節もあります。

さて、この本の中に、とくに繰り返し、繰り返し、装いをかえてでてくるテーマがあります。

、、、くつろぎとゆとりというものが、実は鍛錬のあとにもたらされるものであること、、、(中略)、、、、

草の点前を見ているだけでも、亭主に行台子や真台子の鍛錬があるかどうかの見当がつくのは、そういう人の草点前にはどことなく飄々とした空気がそなわっているからである。

草の点前しか知らない人の草点前にくつろぎのあるはずがない。

また別のところで

、、、茶道でも、台子以上の古格の点前は「奥秘」であり、人前で行うことはほとんどない。

ところが、通常の草の点前に茶の湯らしい品や雰囲気が出てくるのは、この奥伝の点前がきちんとできるようになるころからである。

陰に隠れてる奥伝の点前が、外から見える草の点前の間合いや呼吸を形作っている。

奥伝の点前を正しく学んだ人は、奥伝未習の人と点前の質が異なるのである。

え?そんなに違いがありますか?

奥伝は習ってはいるけれど、そ、、、そんなにまじめに(筆者いわく、奥伝の稽古の前には3日前から酒を断ち、おさらいし、問題点を整理してのぞむ、、、らしい)やっているわけではないので、coldsweats01、やっぱりだめですかね、私。

草の点前は草の点前で、風格があるとは思ってもらえないかも、、、。

でも、なぜそういう差が出るのか、を考察した章では、うなづけるところもあります。

、、、、台子点前の手続きは、丸暗記で覚えられる限界を越えている。そのために茶道の中にあるロジックセンスを深く考え、それが自分の情動と軌を一になるほどに内面化しなければ覚えられないのである。

、、、、、、、(中略)、、、、なにかの拍子に少しずつそのロジックの断片が見えるようになり、台子点前というものの奥に伏在する論理の相が少しずつ心に染み入るようになってきた。

言語では表明しにくいが、包括的で確固としたロジックである。、、、、、(中略)、、、、

その課程で「たくさん点前がある」とたんに多彩なだけだった小習いの点前の印象が、ゆるやかな連携をもったひとつの総体に見えてくるようになる。

煩雑に見える点前の所作も一つ一つの意味がわかると、なるほど、とぴたっと腑に落ちることは、不肖このわたくしでも何度かあります。

これ以外にはないやろう、という所作もあります。

一度台子のお稽古で、理屈からいけばどうにも納得できかねる点があって、先生にしつこく聞いていたら、やはり
わたしの考えの方が正しい、といわれ、やっぱり、、と思ったことも。

それをこの本では「ロジックセンス」と書かれていて、そうか、この言葉なんだ、私が言い表したかったのは、、、と膝をうったものでした。

偉そうに書いてますが、己の未熟さは十分わかっていますので、発展途上ということでお許しを。

いつの日か、かろかろと草の点前をして、品格と雰囲気をかもせるようになりたい、という目標ができました。

まあ、一生たどりつけない可能性もあるけどね。
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この本は茶道の初心者にも、練達の方にもおすすめです。たんなる花嫁修業とかでなく、茶道を学ぶ意味をきちっと考えてお稽古する人が増えればいいな、と思いつつ。


最後に前書きからの言葉を、、、


、、、、、茶道の稽古や知識や経験が、個人のなかで他の経験から遊離した存在でなく、その人の「生」そのものに深く結びついていて、それが、席主、客、水屋などそれぞれの立場の奥にふと垣間見えたとき、茶道の深さが心を打つという小さな奇跡が起こるもののようである。

「茶道が深まる」という現象は、点前の技能や知識が、その人の職業生活や人生観や価値観と心の奥底で結びついていくときに蓄えられるのである。

古来、茶湯を心の友、心の支えとして、自分の持ち場で「生」を生き抜いた人は多い。

それが私たち、市井の茶湯者につながる系譜であろう。

  *    *    *


「茶道を深める」   岡本浩一・著  淡交社・刊

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コメント

NHK教育の「茶道入門」で若い男性がスッときれいなお点前をなっているのを見ましたが、失礼ながら私の求めているものとはちょっと違って。
人生の荒波の中で、茶道を生きがいとされてこられたあるご年配の方のお点前は、たとえ癖のあるたどたどしいものであっても、包み込むような暖かさや安らぎを感じるのです。ちょっと粒があったりしても、心から「この一碗をありがとう」と言う気持ちになります。私のお茶は本当に未熟なのですが、いつか自分の人生をこめて、かろかろと草のお点前が出来るようになったら最高だと思います。
いいご本をご紹介いただき有難う!早速注文してみます。

NHKで放映されていますお茶は私も拝見していますが とても素直な点前だと思って見ております。きちっと形もなっています。癖がなくてよいと思います。
師匠からよく注意していただくことと比べて 「あ~!これなのね」と思うのです。
私もこの本を図書館で借りて読もうと思います。
裏千家では業体さんの年齢で ぽっこりあいてしまう層があると先生が昨日おっしゃっておられました。仕方がないようです。今の時代 お茶をされる方が減っていますね。
旧態然だとついていくのが大変かもしれませんね。私の年代でも思いますから変わっていくのでしょうね。

yuchi様

残念ながらNHKの番組は見ていないのです。いつも、あ、忘れてた、、、で。
私は筆者のような慧眼をもっていませんし、禅宗の坊さんでいえば、まだまだ行者(あんじゃ)=雑用係レベルですので、他人様のお点前をあれこれ批評はできません。人様が草の点前しかしらなくても、心がこもっていればありがたく、お茶をいただきます。ただ、自分自身にはかくのごとくきびしくあるべきだ、と思うのです。いや〜、、いつも安きに流れてしまうんですけど、、。
この本は私には久々のヒットでした。是非ご一読くださり、感想などお教え下さい。

ひいらぎ様のような

お茶の先輩にご紹介するのも僭越なのですが、是非ご一読下さい。いろいろな感想はあると思いますが、お考えをお教え下さればうれしいです。
茶道を幅広い層に広めるために、いろんな家元がさまざまな工夫をこらしてこられました。立礼など大ヒットといえるのではないでしょうか。少しずつ時代に合わせて柔軟に変化していくのは私は良いことだと思います。(それを是としない人もおられるようですが。)
でもそういう「破」ができるのはやはり元をしっかり修められた人だけなんですね。目新しいだけの元がしっかりしていない新しがりは後世に残らないで陶太されていくでしょうし。
というので、まずはしっかり「守」に励もうと思っています。いつか「離」の境地に達せられますように。confident

ぜひ、読んでみたいと思いました。
でも、今はちょっと心の余裕がないかもcoldsweats02  反省。

お茶はとても理屈っぽい面がありますよね。
系統的に考えると、お点前もすくっとからだの中に入ってきます。


お点前がすらすらとできることはもちろん重要なんでしょうけれど、お点前ばかりにとらわれていては、茶道を見失うのやないか・・・とここ10年ほど考えたりもしています。むつかしいです。

あまね様

1話題読み切り、でどこからでも読めますので、お忙しいとは思いますが、機会がありましたら是非。
私などの凡夫にとっては点前の型を繰り返し繰り返しなぞることが修行ではないかと思います。一番簡単な修行ですが、その繰り返しの中でこそ、何か見えてくるのではないかと。何が?と言われるとさっぱりわからないんですけどね〜。coldsweats01

初めて投稿いたします。大学卒業と同時に京都を出て東京の企業に就職しました。東人になり早や20年を超え、学生時代には出たかった京都でしたが今は懐かしい故郷です。
20代も後半のころから、何ゆえか俄かに茶の湯に興味を持ち始め、祖父母が嗜んでいた表千家のお茶をはじめました。宗匠のご縁にも恵まれ、気が付いたら20年、分不相応にも講師の資格までいただく身になっております。
しかし未だ茶の湯についてほとんど理解できてはおりません。最近は、つくづく茶の湯とは恐ろしいもの…と思います。道具、言葉、知識、どんなもので吾身を繕っても、すべてはその点前に現れます。点前はウソをつきません常に裸です。
家元の稽古は、炉、風炉ともに運びの薄茶点前しかされないと伺っております。自らを振り返りますに、確かに服の良い薄茶を点てられているのか、未だ恥ずかしい限りです。
利休さんは「茶は服の良きように…炭は湯のよく湧くように…。それらの上手が居られれば、私は早速弟子になりましょう」と言われたとか…。
私はまだまだ学ぶ(真似ぶ)の状態。我慢我執と闘っております。

へちかん様

はじめまして。
コメントありがとうございます。
京都に憧れて移住しようという私のような者にとって、せっかく京都に住まれていたのに、なぜ出て行きたいと思われたのか、知りたいような気もします。
茶道に関しては、偉そうに言う資格はないのですが、大学時代にふれた禅の思想家、久松真一の考える茶道の精神が自分がもとめている茶道のかたち、と思いつつ、ここまできました。(あ、途中だいぶんブランクありましたけど、、)けれども普通のお稽古の中では、ついつい油断して、修行の気持ちを忘れてしまいます。
久松先生の茶道箴に曰く「遊戯逸楽に流れ 好事驕奢に趨り 流儀技芸に偏固して 邪路に堕する」ようなことも、、、
まあ、未熟であることの自覚があるだけましか、、と思っていますけれど。
へちかん様もなかなかの修行者とお見受けいたします。
茶道の道はほんに深くて、すればするほどその奥がみえません。
けれどお互いに、理想をめざして、たとえたどり着けなくても、精進いたしましょう。(かっこよすぎる言い方でしたね、、あはは、、、coldsweats01

私の本を深く読んでくださってありがとうございました。
このあいだ、昔の社中の姉弟子たちが、出版祝いの茶事をしてくれたのですが、正客でけっこうへまをやりまして「私の茶事は文章だけですから」と言ったら、みんなが「安心したー」と申しておりました。文というのは、その著者の上限値で書くもので、平均値で書くものではありませんので、ご了解ください。

よろしければ、メル友としてメールをください。

岡本浩一様

ひゃあ〜〜、、coldsweats02です。
わたくしの駄文を作者ご本人に読まれてしまうとは汗顔の至りです。
しかもコメントまでいただき、光栄です。

御著書は、私のまわりの茶道をたしなむ友人たちにかなりお薦めしましたが、読みやすいし、納得できることも多い、さらに茶道を深めようと思った、、、などなど、非常に好評でございますよ。
私も上限値(^_^;、、というか、ブログではえらそうなことを書いていますが、実際には茶人というにほど遠く、まだまだこれから、の凡人です。けれどこのブログもふくめ、まわりに茶道について語れる友人がいることは、ありがたい、と思っています。
メールを差し上げようかと思いましたが、アドレスがわかりませんでした。御著書に書いてありましたでしょうか?あの本は現在、友人に貸し出し中です。(よく働く本です)また、探し当てましたら、差し上げますね。もっと「平均値」的なお話など、おうかがいできたらうれしいです。

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