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2008年4月27日 (日)

久松先生の書

(今回はちょっとかたいお話です。)

2ヶ月ほど前、父に頼んでおいた久松先生の書の軸装ですが、画仙紙のようなやや厚めの紙に書かれているため、正式の軸装は無理といわれました。

先日実家に帰ったとき、軸装の代わりに、といわゆる色紙掛けに風帯(軸の上から下がっている2本の帯のような物)をつけてもらったものを見せてもらいました。

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それに久松先生の書を掛けてみたところです。
ちゃんとした軸にみえてなかなか立派。
お茶の本席には無理でも、待合い掛けには十分。


なにより私をお茶の世界に導いてくれ(直接ではありません。精神的にという意味で)、いたく尊敬してやまない久松先生の書なので、私にとっては家元の書よりも(すんません)価値があるのです。

久松真一先生は明治22年生まれ、京都帝国大学文学部哲学科で、かの「哲学の道」で有名な西田幾多郎先生に師事されました。
学生時代に妙心寺に参禅、独自の禅哲学を展開した近代日本の代表的な禅・思想家です。

日米開戦前夜の昭和16年、京都大学の学生有志の要望で久松先生の指導の下、裏千家淡々齋家元の協力を得て、禅を基本精神とする茶の本道を実践する場として創設されたのが心茶会です。

大学に入って、せっかく京都にいるんだし、茶道でもと思って軽い気持ちではいった心茶会が、私と茶道との出会いでした。
以後中断の時期もありましたが、いまだに茶道の修業を続けています。
入会当時、久松先生はご存命とはいえ、すでに引退され、故郷の岐阜で隠居されていました。
心茶会で、その精神を受け継いだ先輩方に禅と茶道の指導をうけていましたが、久松先生はお名前を存じ上げるだけでお目にかかったことはありませんでした。
卒業間際になって、先生もご高齢だし、一度ご存命中に是非お目にかかりたいと、当時の学生会員5〜6人で岐阜の先生のお宅まで押しかけていきました。
まだ、先生の思想を良く理解していなかった(今でもあまり理解しているとはいえませんが、、、、むつかしいんです。本を読んでも、、)私は、なにをうかがったのかほとんど当時の記憶がありません。おしいことをしました。
ただ手元に残るその時の写真では、先生は仙人のように、俗世を超越しておられるように見えます。
それからほどなくして先生は91歳で入寂されました。
学生心茶会の会員として、多分私たちは先生に直にお会いした最後の世代だと思います。
そのときに、私達にそれぞれ画仙紙や、短冊に書をしたためくださったのです。


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「薫風自南来」
(”殿閣生微風”につながる。一切の煩悩の垢の抜けきった無心の境地を表す語と考えられる。)


もうず〜っと長いこと、それこそ30年近くその存在を忘れていました。
子育て、仕事に一区切りついて茶道を再開し、いよいよ自分の茶室を持ちたい、と思ったとき、茶碗などの道具はともかく、茶会のテーマ、顔になるべき軸が欲しいと思ったとき、ふとあの先生の書はどうしただろう、と思い出しました。

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「不出戸以知天下(戸を出でずして以て天下を知る)」
(老子の言葉で、自分の心を推していけば、格別世の中に出ずとも人の心、世の中の姿がわかるはず。)


茶の本道は侘茶にほかならない、とされた先生の思想は私のお茶に対する理想でもあります。(及ばずながら、、、)

今日のお茶会というと、少しおかしい方向にいってないかと思うときがあります。
月釜で釜をかけるのに、極端な話、家を売ってお道具を買った、という話も聞きます。お茶会が単なる道具自慢になったり、家元の箱書きをもらうのに競って高いお金を払ったり、、、。茶道が金持ちの暇なご婦人方の道楽と陰口をたたかれる始末。
(最近裏千家の家元はもう箱書きはしない。いい道具は箱書きがなくてもいいものだから。と宣言したそうです。これはすばらしい見識です。)

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一番好きな短冊
「龍吟起雲」
(”虎嘯生風”と続く。文字通りの意味?なんだか雄大な景色が目に浮かぶ)



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久松先生によれば茶道とは人間生活全体と密接にむすびついた生活様式そのもの、なのです。”狭隘なるささやかな住居の中で、宗教的にも、道徳的にも、礼儀作法的にも、芸術的にも、食事から掃除に至るまでも、良く洗練された文化的生活”なのです。(この本よりの抜粋です)


(そういわれると、なるほどなあと同意する次第)
そしてその茶の本道たる侘びとは、ただ単に物を持たない、ということではなく、物を持たないことを活かすことなのです。
たとえば、以前はただの朝鮮半島からやってきた雑器にすぎなかった焼き物に侘びの美を見つけ出し、茶入れとして尊重される物とした利休のように。

先生の茶道に対する理想をまとめたのが茶道箴、茶道小箴(*ご興味のある方は”続きを読む、、”でご覧ください。)で、今でも学生心茶会の接心会(参禅とお茶の稽古)では必ず始まりと終わりにこれを暗唱します。


そこで話はもとにもどりますが、30年近く箪笥の隅のスケッチブックに無造作に挟み込まれて眠っていた、先生の書が日の目をみたのです。
これほど私の茶室にふさわしい書はないのではないかと、再び手に取ったとき嬉しくて嬉しくて、、、。(よくぞ何回もの引っ越しに耐え、残っていたくれた!)


ただ、、、、、画仙紙に書かれたこの書が、読めないんですぅ〜〜。
(T.T)

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全人類??の 教育?定し、倫理政経 文化草えなむ
     抱石(久松先生の号)


忙しくてずっと参加できていない、年2回の心茶会OB茶会の時にでも、偉い先輩方に聞けたらと思っているのですが、、、

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一と??と一談不二の 念珠をば ポストモダンの 象徴にせむ



今でも秋に行われる京大心茶会の錬成茶会、毎年通っています。
久松先生が亡くなられてもう30年近く、それでもその精神は学生達の活動の中に生きていると、いつもほっとして、また襟を正しています。


*茶道箴、茶道小箴・・・にご興味のある方はどうぞ


<茶道箴 さどうしん>

吾等今幸に
露地草庵に入って
茶道の玄旨に参じ
和敬清寂の法を修することを得

願はくは
前賢古聖の芳躅を攀ぢ
苛且にも
遊戯逸楽に流れ             
好事驕奢に趨り
流儀技芸に偏固して
邪路に堕する事勿く
堅く佗数寄の真諦を把住し
専ら心悟を旨とし
一期一会を観じて
道業倦むこと無く
事理双修し
挙止寂静にして
塵念を生ずること無く
事物人境に対って
無念にして身心自ら道に契ひ
山水 草木 草庵 主客
緒具 法則 規矩
共に只一箇に打擲し去り

皆倶に
無事安心一様の白露地を現成し
茶の十徳を以て世を饒益せんことを
 

<茶道小箴 さどうしょうしん>

和敬清寂今正に修し
喫茶去身心寥廓たり
願はくは要諦鎮日に堅持し
精進以って事理円成せんことを
 

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久松先生の書を参照しているブログ:

» 心茶会と久松先生のこと (海洋学研究者の日常)
一部修正・追記しました 2008年5月2日02時20分 前のエントリーで、管理人が学生時代に所属していた京都大学心茶会の説明として、その創立時の指導者が久松真一先生であることを述べ、先生の紹介として、先生の主要著書を論じている松岡正剛の千夜千冊:久松真一「東洋的無」.. [続きを読む]

コメント

風流とは縁のない暮らしをしてきまして、花の名前もほとんど知らない有様でしてましては茶の心などほど遠いものを感じます。しかしこのような写真を見るのと文章を読むのは大好きなんです。

またまたコメント、ありがとうございます。遠いヨーロッパの国々にも、日本人以上にお茶の心を理解し、茶道の修業をされている方は多いですよ。また機会がありましたら是非お茶など喫してくださいませ。

まだまだ初心者の私ですがお茶はお道具ではなくて、どのようにもてなすか、だと思います。夏は涼しく、冬は暖かく、お茶は美味しいと思えるように点てる。一つ一つの心遣いがお茶の心だと思います。しぇるさんのお茶室の夢、うらやましいなぁ。夢にだいぶ近づいてきてますね。

人をもてなすことも、大切な生活様式、というか、生活の中での重要な要素ですよね。私も、茶の基本はどのように人を喜ばせるか、と言うことだと思いますが、高価な道具をだして眼を喜ばせる、というのではなくて、もっと精神的なことだと思っています。客への心配りができるかどうか、まず自分の心と技をきたえなければならない。そしてまた客も”なんだ、たいしたお道具はもってないな。”などどかりそめにも思ってはいけない。こころからのもてなしに答えられる度量が必要だと思っています。お互い50の手習いですが(^_^; がんばりましょう!

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