フォトアルバム
Powered by Six Apart

« 今日のお稽古7月6日/夏羽織など | メイン | 友人のお茶室で/岡山にて »

2007年7月 7日 (土)

”夕凪の街 桜の国”

Ndqvckwm 久間元防衛大臣が原爆に対する不謹慎発言で辞職したニュースもまだ記憶に新しいこの時期、このコミックを書店で見つけました。
4年前の作品ですが、近いうち映画化(麻生久美子、田中麗奈主演らしい)され公開されるのを機に書店に並んだようです。でも少し前、雑誌の書評コーナーで見て、原爆症というテーマの重さと、どこかほのぼのした絵にギャップを感じて興味をもっていました。

寝る前にさわりだけ読んで寝よう、と思っていたのに、読み出すと一気に最後まで読ませる作品でした。



話は原爆投下後十年たった広島を舞台にした前半と、現代が舞台の後半がやがて一つの物語になって行く、、、という感じでしょうか?

皆実(みなみ)は23歳で、広島で会社つとめをし、母親と一緒に戦後急拵えされたとおぼしき雨漏りのするバラックにすんでいます。原爆投下のあの日、父と妹はかえらず、助かった姉も2ヶ月後に原爆症で黒い血を吐いて死んでゆきました。

靴の底がへるのがもったいないので、家の近くにくると靴を脱いで裸足で歩き、友人のお弁当の竹の皮をもらっては草履を編もうとするような、貧しい生活ですが、彼女はユーモアにあふれた明るくたくましい女性です。
けれど、心を寄せてくれる男性の気持ちを素直に受け止められないのは、自分が”ヒバクシャ(被爆者)”で、生き残ってしまったという何か、後ろめたい思いがあるからでした。

やがて原爆症が少しずつ彼女の体を蝕んでいきます。

    ”十年経ったけど
       原爆を落とした人はわたしを見て
        ’やった!また一人殺せた’
          とちゃんと思うてくれとる?”

その死を暗示する終わり方でしたが、最後に一行、
  
   ”このお話は終わりません。
      何度夕凪が終わっても おわっていません”

そして、現代の後半に引き継がれ、主人公はやはり若い女性、七波(ななみ)。
父親は疎開していて被爆を免れた皆実の弟。そして母親は赤ちゃんの時被爆し、38歳で原爆症でなくなっています。
彼女と弟は被爆2世で、弟はそれを理由に恋人の両親に結婚を反対されています。”ヒバクシャ”の戦後はまだ終わっていないのです。

そして、姉の皆実ゆかりの人をたずねる巡礼の旅に広島へ行く父と、こっそりあとをつける七波。


原爆の悲惨な場面はあまり出てきません。
それでもそれがもたらした恐怖や絶望はこんな普通の人たちの普通の日常を今なお、さいなむ。


出かける夫を送り出したあと、干した布団を丁寧にたたく。
ごくごく平凡な日常。
ほのぼのとしたタッチの人物、どこかとぼけた広島弁。
それが故によけいに、これを一瞬で破壊し、いまなお原爆症の恐怖を日常生活の後ろに忍び込ませる、原爆がどれほど罪深い物なのか。

最後に七波が“この両親を選んで生まれて来た。”
と、皆実の精神的生まれ変わりを暗示してこの話は終わります。


作者のこうの史代さん(もちろん戦後生まれのお若い方です)は、広島、長崎以外の人は本当に原爆の惨禍を知らないこと、知ろうしないのではなく、知る機会がないことに気づき、この作品を描いたそうです。

声高な戦争反対、原爆反対はありません。
でも静かに心に響く作品です。
一読お勧めします。
(映画はどうか知りませんが、、。映画化されるとテーマがずれてくる気がして、、、、)




トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/349039/13869253

”夕凪の街 桜の国”を参照しているブログ:

コメント

どうも政治的なことが絡むと、お店のブログでは書きにくくて。原爆のことは、頭の中で、記事にしていました。広島県外に出たとき、皆さんの原爆に対する、意識の低さに驚きました。あくまで、歴史の一部でしかないのですね。我々にとって、原爆の歴史は、皮膚の一部のようなものです。今もかな?京都の駅ビルで、原爆の写真展をされてると聞きました。我が実家には、本棚に写真集があり・・・時々、(子供心に、怖いもの見たさか)覗いていました。一つ一つ、胸に刻まれています。一番心に残っているのは、瀕死の兵隊さんの写真。目はうつろ、皮膚には死の目前に現れるという斑紋・・・学問の領域での戦争論には、いろいろあって然りと思いますが。少なくとも、起こったものに対しては、全く肯定できるものはありません。

小学生の頃行った広島の平和記念資料館で、あまりのショックに、むしろ生理的にこわくて最後まで見ることが出来ませんでした。中学になって長崎原爆資料館に行き、最後まで見ることが出来、ふりかえって広島の資料館の意味を理解しました。終戦後10年前後で生まれた私たちの年代はまだ戦争の惨禍について、祖父母や両親、年配の方々から直接くりかえして話を聞きつつ育ちました。けれど私たちの子供達の世代は、原爆資料館に行ってももう一つピンとこないようです。悲しむべきことですが、、、。広島、長崎上空に原爆を落としたアメリカ人にもっと知ってもらいたいと思っていたけれど、それより前に、若い世代の日本人に知らせないといけないとは、その世代を育てた世代(自分も含め)の責任を痛感しています。

コメントを投稿